2011N316句(前日までの二句を含む)

March 1632011

 すこしだけ振子短くして彼岸

                           美濃部治子

分の日(三月二十一日)の前後三日間を含めた一週間がお彼岸。だから、もうすぐ彼岸の入りということになる。彼岸の入りを「彼岸太郎」「さき彼岸」とも呼び、彼岸の終わりを「彼岸払い」「後の彼岸」などとも呼ぶ。昼と夜の長さが同じになり、以降、昼の時間が徐々に長くなって行く。人の気持ちにも余裕が戻る。まさしく寒さも彼岸まで。それにしても振子のある時計は、一般の家庭からだいぶ姿を消してしまった。ネジ巻きの時計は、もっと早くになくなってしまった。振子の柱時計のネジをジーコジーコ、不思議な気持ちで巻いた記憶がまだ鮮やかに残っている。時計の振子を「すこしだけ」短くするという動きに、主婦のこまやかな仕草や、何気ない心遣いがにじんでいる。治子は、十代目金原亭馬生の愛妻で、落語界では賢夫人の誉れ高い人だった。酒好きの馬生がゆっくり時間をかけて飲む深夜の酒にも、同じ話のくり返しにも、やさしくじっとつき合っていたという証言がある。馬生の弟子たちは、この美人奥さんを目当てに稽古にかよったとさえ言われている。馬生は一九八二年に五十四歳の若さで惜しまれて亡くなり、俳句を黒田杏子に教わった治子は二〇〇六年、七十五歳で亡くなった。他に「初富士や両手のひらにのるほどの」がある。彼岸といえば、子規にはご存知「毎年よ彼岸の入に寒いのは」がある。『ほほゑみ』(2007)所収。(八木忠栄)


March 1532011

 鳥雲に入る手の中の海の石

                           廣瀬悦哉

に渡ってきた鳥たちも、間もなく帰り仕度を始める頃だろう。梨木香歩の『渡りの足跡』は、住み慣れた場所を離れる決意をするときのエネルギーはどこから湧いてくるのか、という問いに渡り鳥の後を追いながら考えていく。観察記録とともに、動物として生きていくなかの「渡り」や「旅」の本質を探っていく繊細なエッセイに感銘したばかりなので、今年の鳥たちの様子は例年以上に気にかかる。それにしても、鳥が帰る時期を知るのは、なにかに誘導されるのだろうか。たとえば風が、たとえば雲が、鳥たちだけに分かる言葉で、そろそろ帰っておいで、とささやいているのかもしれない。掲句では、大陸へと引きあげる鳥の姿を思い描きつつ、ふと手に握った石を意識する。海の石。それは、人類になる前のずっとずっと昔の故郷の石である。ひんやりと冷たい小さな石が、一途に海へと針を向ける望郷のコンパスのように感じられる。〈啓蟄や黒猫艶やかに濡れて〉〈空つぽの鳥籠十六夜のひかり〉『夏の峰』(2011)所収。(土肥あき子)


March 1432011

 たんぽぽや避難テントに靴そろえ

                           渡辺夏紀

作「地震百句」のうち。この句は阪神淡路大震災のとき(1995)のものだ。だいぶ以前に「きっこのブログ」で紹介されていたのを覚えていた(むろん、表記などはいま再確認した)。かつての空襲の焼け跡でもそうだったように、まだ片づいていない瓦礫の隙間から生えて咲く「たんぽぽ」は、つくづく強い花だと感心する。一見可憐とも思える花が、まことに強靭な生命力を持っているのことに勇気づけられもする。そんな花の傍らに、テントに避難している人の靴がきちんと揃えられていた。テントのなかの人の様子などはわからないけれど、どんなときにも礼節を忘れない靴の主の人柄がじわりと伝わってくる。うっかり見過ごしてしまうような小さな情景でしかないけれど、作者のおかれていたシチュエーションを想像すると、逆にこのような情景こそが大きく目に入ってくるのかもしれない。いや、きっとそうなのだと思う。この春の東北のたんぽぽはまだ咲いていないだろうが、もうしばらくすると、花も咲けば鳥も歌い出す。被災地のみなさんの、せめてもの慰めになってくれればと祈っている。百句すべてを読みたい方は、こちらからどうぞ。http://kikko.cocolog-nifty.com/kikko/2007/01/post_b0f9.html(清水哲男)




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