民主党政権の状況判断は残念ながら甘すぎると言わざるを得ない。(哲




2011ソスN3ソスソス20ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 2032011

 ひと駅を歩いてみるか花の雨

                           矢野誠一

の原稿を書いているのは3月15日の朝です。テレビでは休みなく東北関東大震災についての報道をしています。福島原発の事故や、今なお止まない余震に、日本という国は大きな困難のさなかにあります。「文学は平和の為にあるのである」と言ったのは小林秀雄ですが、大災害の渦中にあって文学とはいったい何かと、あらためて考えさせられています。本日の句を読んで真っ先に思ったのは、3月11日の帰りに電車が止まって、仕方なく秋葉原から蒲田まで歩いたことです。できうるならば、この句のほんわかとした優しい雰囲気を、そのまま受け止められる平和な日が、早く訪れますように。『新日本大歳時記 春』(2000・講談社)所載。(松下育男)


March 1932011

 ほつとする出逢ひに似たり春の月

                           嶋田一歩

は季節がめぐると共に、その色調や明るさなど印象が変わってゆく。すこし潤んだ春の月は、どこか心許なく見えたり、ふいに寂しくなったり、この句の作者のようにほっと安らぎを覚えたり。見上げる人の心持ちを映しながら、今日も変わらず夜を照らす。晴れていれば円かな月があるはずの今宵、願いと祈りをこめて空を仰ぎたい。『夕焼空』(1985)所収。(今井肖子)


March 1832011

 ひばり鳴け母は欺きやすきゆゑ

                           寺田京子

というものは欺きやすいものであろうか。女は弱しされど母は強しという。男からみると恋人や妻は強く恐い存在であり、母は無条件で許してくれる存在である。金子兜太の句に「夏の山国母いてわれを与太と言う」。与太と言われようと子は母の愛情を疑うことはない。この句は娘という立場から母をみている。同性から見た母は息子から見た母とはかなり違うのだろう。ひばり鳴けという命令調にその微妙な感じがうかがわれる。『冬の匙』(1956)所収。(今井 聖)




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