コンタクトレンズが容器ごと行方不明に。大捜索するも未発見。(哲




2011ソスN4ソスソス5ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 0542011

 入学写真いつも誰かがよそ見して

                           樋笠 文

つどんな写真でも、きれいな笑顔で写る知人にコツを聞いたことがある。秘訣は単純明快。「まばたきをしない」だった。そんなことが可能なのかと思うのだが、集合写真のときなどは「はい、撮りますよ」の掛け声まで目をつぶっているくらいでよいのだと言う。たしかに「いい顔」は長くは続かない。子どもであればなおさらだろう。隣の子が笑わせたり、後ろの子に髪を引っ張られたり、少しぼんやりしていたり。それにしても、全員きちんと正面を向いている集合写真が果たして必要なのかと、ふと思う。公平を旨とする現代では、皆同じ分量で写っていることが重要なのだろうか。うわの空だったり、俯いていたり、泣きべそかいていたり、そんな瞬間を切り取った集合写真の方が、時代を経たのちに記念になったりするのではないだろうか。それでも先生は毎年半分あきらめながら、あの手この手でカメラへ集中させようとする。そして、今日の入学式にもきっと誰かがよそ見をしていることだろう。俳人協会自註現代俳句シリーズ『樋笠文集』(1981年)所収。作者は小学校の先生。〈初蝶を入るる校門開きけり〉〈風光るジャングルジムに児が鈴生〉など明るく多彩。(土肥あき子)


April 0442011

 何と世に桜もさかず下戸ならば

                           井原西鶴

読、三読しても、意味がよくわからない。これは読者が悪いのではなく、作者の罪である。西鶴独特の乱暴な詠みぶりと言って良い。もっとも西鶴に言わせれば、わからないのは古典の教養がないせいだと憫笑されるかもしれないが…。どうやらこの句、伊勢物語に出てくる有名な歌「世の中に絶えて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし」を踏まえているらしい。これを西鶴はもう一ひねりして、いまの世の中、桜も咲くことなく、酒の飲めない身であったなら、どんなに良いことかと詠んでいる。何故なのか。この年の正月に出された「衣裳法度」なる政令によって、とにかく庶民は派手な衣装を「自粛せよ」ということになり、女性たちの楽しみである花小袖を着るなどはもってのほか、花の下でのどんちゃん騒ぎも自粛させられてしまった。これに大いに不満を覚えた西鶴は、この句を詠んで為政者にあてこすったというわけである。と、意味がわかれば、今日このごろの東京都知事への不満としても通用しそうだけれど、なんだかなあ、句が下手すぎてせっかくの憤りも空回りしているのが残念だ。『好色旅日記』(貞享4年)所収。(清水哲男)


April 0342011

 酒蔵につとめ法被の新社員

                           大島民郎

月になって初めての日曜日です。大震災の影響で、被災地にある会社では内定取り消しを考えているところもあるようです。事情は理解できないでもありませんが、就職難のこの時期に、やっと仕事が決まってホッとしていた学生にとっては、なんとも残酷な知らせです。今日の句は、めでたく会社に入った若者を詠んでいます。酒造会社に勤め始めたその初日に、用意された新しい法被を着て、現場に集合しているところでしょうか。製造過程を知らなければ、事務だって営業だって仕事にならないのだという、先輩の説明を緊張して聴いているのでしょう。晴れてはいるけれども、風はまだ冷たく感じられます。これからここで人生の大切な部分を過ごすのだと、思えば風の冷たさのせいだけではなく、胸も小刻みに震えてきます。『新日本大歳時記 春』(2000・講談社)所載。(松下育男)




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