RK}句

April 1242011

 蝌蚪に脚生えて楽しくなくなりし

                           中山幸枝

の幼生である蝌蚪は、その姿から一般に「おたまじゃくし」と愛称され、昔から春の小川や池から家に連れてこられてきた。童謡の「おたまじゃくしは蛙の子」に続く歌詞の「やがて手が出る足が出る」とは反対に、まず後ろ脚が出てから前脚が出て、同時進行で尻尾が消えてなくなる。考えてみれば、たいへん大掛かりな変身である。その間、不要になる尻尾を栄養源として吸収し、一切の食料を口にせず、さらに手足が揃い始めれば陸地がなければ生きていけないという。生まれ親しんだ水中にいて、だんだん泳げなくなっていくとは、どれほど心細いことだろうと気を揉むが、少年少女の視線は掲句の通り少しばかり厳しい。愛嬌のある姿からの変化を「楽しくない」と思うのは、いかにも子どもらしく、おたまじゃくしはおたまじゃくしのまま大きくなってほしいのである。小学校低学年のときに牛蛙のおたまじゃくしを見たときの驚愕を覚えている。気持ち悪いなんてちっとも思わず、ただただ「すごい!」と興奮した。脚が生えずにひたすら大きくなるおたまじゃくしもいると、迷わず信じ込んだのだ。〈豆の花幼なじみのままおとな〉〈強力の荷に付いて来る天道虫〉『龍の玉』(2011)所収。(土肥あき子)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます