香山リカが「共感疲労」について書いている。きっと、これだな。(哲




2011ソスN4ソスソス15ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 1542011

 陽炎へばわれに未来のあるごとし

                           安土多架志

るごとしとは、無いということだ。37歳で夭折した多架志の最晩年の句。多架志はキリスト者で、しかも神学部出ということで医者はすべてを告知していたから正確な病状を知り得たのだろう。田川飛旅子には「日が永くなるや未来のあるごとく」もあった。どちらも切実で悲観的だが、ふたりともキリスト者であったので救済を信じれば本来楽観的であるはずなのにと思われ興味深い。ことに多架志の句は明るい陽炎が背景に置かれているので余計に切迫した作者の現状が思われる。『未来』(1984)所収。(今井 聖)


April 1442011

 あつ雉子あつ人だちふ目が合うて

                           西野文代

物の雉子にはなかなかお目にかかれないが、名古屋に住んでいたころ、山林を切り崩して宅地を造成している道へ出てきた雉子を見かけたことがある。もちろんそばには近寄れず、遠くから双眼鏡で眺めただけだったが、住み場所を荒らされたあの雉子はどこへ行ったやら。それにしてもこの句、山道かどこかでばったり雉子と鉢合わせをしたのだろうか。「あ、雉子」と声にならない声をあげている人の驚きは勿論のこと、雉子の目にも狼狽の色を読み取っている。こういう出会いは人間からの視点になりがちだけど、目を白黒させている雉子の気持ちになって「あ、人だ」と言わせているのがおかしい。ほんとに雉子は焦っただろうな。仮名遣いの妙を生かして瞬間の情景を生き生きと描き出している。いいなぁこういう句。『それはもう』(2002)所収。(三宅やよい)


April 1342011

 うばぐるま突きはなしたる花吹雪

                           安東次男

東次男はいつも背筋をピンと伸ばして、凛乎とした詩人だった。彼の作品や言動もまたそのような精神に貫かれていた。掲句は、そうした詩精神によって生まれた一句だと言える。「うばぐるま」と「花吹雪」という二物の狭間に打ち込まれた「突きはなしたる」という勁い表現によって、いやが上にも緊張感は増したと言える。赤児が乗せられているうばぐるまは、通常は母親が押しているはずだが、何かの事情で母親がそれを突きはなしてしまったのか、母親がしっかり押しているうばぐるまを、すさまじい花吹雪が突きはなしてしまったのか。――実景であるにせよ、心的現象であるにせよ、ハッとさせる勢いがある。上五、中七、下五、それぞれが押し合うようにして、張りつめた緊張感をくっきり放っている一句である。何ごとかを思いつめた若い母親像が、厳しく立ち上がってくるようである。今さら引用するまでもないだろう、橋本多佳子の「乳母車」の句もそうだが、「乳母車」というものは、俳句に不思議なパワーをもたらすように思われる。映画「戦艦ポチョムキン」のオデッサの階段で、下降する乳母車の有名なシーンを思い出す。既刊の『安東次男全詩全句集』に未収録の俳句と詩を中心に、中村稔が編纂した『流火草堂遺珠』(2009)に収められた。他に「ふるさとの氷柱太しやまたいつ見む」も。(八木忠栄)




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