沈みかけている船の上でまだ権力争いを。ある意味、凄い執念だ。(哲




2011ソスN4ソスソス17ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 1742011

 春めくを図形で言へば楕円かな

                           平川 尭

中を歩いていると、見ているだけで胸の奥まですっと気持ち良くなる形があります。かというと、どうもおさまりがつかなくて落ち着かない形もあります。目の前にそびえているビルの形だったり、遠くに浮かんでいる雲の形だったり、レストランの看板の形だったり、何の理由もないのに、なぜか心に影響を与える形が、たしかにあります。でもそれは、単に「ちょっと気になる」というだけのものです。でも、そのちょっと気になるものに、一日中心がとらわれてしまうことだって、あるわけです。今日の句、春めくを楕円と感じるのは、個人的な感覚と言うよりも、だれでもが持つ共通の感じ方なのかもしれません。楕円の、長い方のひろがりに、ホッとしたものが入っていると感じられるからです。『新日本大歳時記 春』(2000・講談社)所載。(松下育男)


April 1642011

 花人にのぞき見られて花に住む

                           藤木和子

週水曜日に花の散り込む目黒川に沿って歩いた時、川に面したマンションの住人だろう、二階のベランダでお花見をしていた。手の届くところに花の枝が伸びていて、その近景と延々と続く桜並木の遠景は素晴らしいに違いなく、うらやましく見上げたのだった。この句の作者のお住まいは、のぞき見られているのだからマンションではないだろう。庭にみごとな桜の木があるのか、桜並木沿いにお住まいなのか、ともかく花時にはたくさんの人がそのお庭や窓を見ながら通り過ぎる。「観る」視線のまま歩く花人は、花以外もついついじっと見てしまうのかもしれない。この句からは、それを楽しむ余裕と、四季折々の自然の中でのゆったりとした暮らしぶりが感じられる。ちなみに、目黒川沿いのフェンスには近くの小学生が詠んだ俳句を書いた短冊がくくりつけてあった。その中に「春の川ピンクできれいいい季節 高松」という一句があり、そういえばいい季節だということを忘れていたな、とあらためて感じている。『ホトトギス新歳時記』(2010・三省堂)所載。(今井肖子)


April 1542011

 陽炎へばわれに未来のあるごとし

                           安土多架志

るごとしとは、無いということだ。37歳で夭折した多架志の最晩年の句。多架志はキリスト者で、しかも神学部出ということで医者はすべてを告知していたから正確な病状を知り得たのだろう。田川飛旅子には「日が永くなるや未来のあるごとく」もあった。どちらも切実で悲観的だが、ふたりともキリスト者であったので救済を信じれば本来楽観的であるはずなのにと思われ興味深い。ことに多架志の句は明るい陽炎が背景に置かれているので余計に切迫した作者の現状が思われる。『未来』(1984)所収。(今井 聖)




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