April 252011
東京の石神井恋し柳の芽
清水淑子
早春の句だ。石神井(しゃくじい・東京都練馬区)には、若い頃にしばらく住んでいたことがある。作者もそうだったのだろろう。昔もいまも、殺風景としか言いようの無い町だ。町の中心がどこなのか判然としないし、象徴的な建築物も無い。ただ漫然と住宅地が展開している町のなかで、唯一の名所と言えば石神井公園である。園内には石神井池・三宝寺池があり、井の頭池・善福寺池と並び武蔵野三大湧水池として知られている。柳の木も池畔に群生していて、芽吹きから新緑の頃の情景は文句なしに美しい。もはや遠くの地に去った作者は、近傍の芽吹きを目にして、不意に若き日の石神井公園を思い出し、ふるいつきたいような懐かしさを覚えている。何の技巧もない句だけれど、それがかえって読者にも作者の心情を直截に伝える効果をあげている。「恋し」という言葉が嫌みなく使われている。また、対象が石神井の名も無い柳だからこそ生きてくる句であり、これがたとえば有名な銀座の柳だったらこうは詠めない。『炎環 新季語選』(2003・紅書房)所載。(清水哲男)
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