美しい季節になってきました。石楠花って100種以上もあるのか。(哲




2011ソスN4ソスソス29ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 2942011

 やさしさは宙下りかゝる揚羽蝶

                           山口誓子

さしさというものは高みから下降にさしかかったときの揚羽蝶のようなものだという直喩。下降のときの羽の感じや姿態や速度、それらが「やさしさ」そのものだと言っている。同じ作者に「やさしさは殻透くばかり蝸牛」がある。誓子考案の型である。どっちがいいかな。甲乙つけがたい。二句とも小さな生き物に対する愛情に満ちている。それでいて季節の本意を狙った「らしさ」はどこにもない。類型感はまったく無いのだ。構成の誓子と言われる。即物非情とも言われる誓子にはこんな情の句もある。『遠星』(1945)所収。(今井 聖)


April 2842011

 鷺草の鉢にサギ子と札を立て

                           榎本 享

草は花が鷺の飛ぶ姿に似ていることからこの名が付けられたという。写真で検索してみると、なるほどちっちゃな鷺が思い思いの方向へ羽根を広げて飛んでいるようで可愛らしい。鉢植えでもよく育つとあるから、花が咲いてくれますようにと願いをこめて札を立てているのだろう。「サギ子」と書くことで、鉢植えを子供のようにいとおしむ気持ちがユーモラスに表現されていて楽しい。当たり前になりがちな行為に言葉のスパイスを加えることでぽかっと風穴が開いたようだ。日々の営みに慣れ切ってしまうと感受性もついつい固くなる。単調になりがちな気分をほぐしつつふっと楽しくなる言葉や思いつきを俳句に詠む。読む側も思わず微笑んで気持ちが軽くなる。そんな明るい循環が俳句にはあるようだ。サギ子の鉢にたくさんの鷺が飛ぶといいですね。『抽斗』(2005)所収。(三宅やよい)


April 2742011

 椎若葉楓若葉も故園かな

                           円地文子

や楓にかぎらず、すがすがしい若葉の季節である。季節が生まれかわり、自然だけでなく身のまわりのものすべてが息づく季節でもある。「故園」という呼び方は古いけれど、「故郷/ふるさと」を意味する。人工的な要素がまだ加わらないままの姿が残されているふるさと、というニュアンスが感じられる。破壊の手がまだ及んでいないふるさとで、椎や楓その他がいっせいに若葉を広げつつあったのだろう。この時季、いろいろな植物の若葉が詠まれる。季語には「山若葉」「谷若葉」「森若葉」など、場所をあらわす若葉もある。また若葉の頃の天候を「若葉晴れ」とも呼ぶそうだ。文子は東京生まれで、かつて「国語学者・上田万年の次女」という紹介のされ方をよくされた時代があった。けれども、今や上田万年も遠い存在になってしまったし、女流作家・円地文子を知らない人さえ少なくない。文子が残した俳句は少ないが、女流作家のなかでも、網野菊、中里恒子、森田たま、吉屋信子たちは多くの俳句を詠んだ。なかでも、信子は本格的に俳句を作り、「ホトトギス」にも加わったことがあった。文子には他に「のびたたぬ萩のトンネル潜りいづ」がある。室生犀星の「わらんべの洟もわかばを映しけり」は忘れがたく可愛い。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)




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