阪神が東京ドームに登場。気分転換に行ってみたいが階段が怖い。(哲




2011ソスN5ソスソス3ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 0352011

 あたたかし老人ホームの地図記号

                           藤崎幸恵

老人ホームの地図記号
人ホームの地図記号は2006年に制定された比較的新しい記号である。2005年に国土地理院が風力発電車と老人ホームの新しい地図記号のデザインを公募し、老人ホームは家の中に杖がデザインされている鳥取の小学生の作品が採用された。公募作品優秀賞にはハートのマークや手に手を取っているようなかたちなど、どれも愛が強調されている作品が目立って多かった。以前ならおそらく老人の「老」の文字を意匠したものや、腰が曲がった老人そのものをイメージさせるものが採用されたかと思う。老人ホームは、以前の家族が手に負えずやむなく世話になる場所という印象から、高齢者が安心して暮らせる施設としてイメージを好転させてきた。この先もっと明るく充実した場所になればいいと思う。数十年先にはおそらくお世話になるに違いない私にも、あらためてこの記号がほっこりあたたかく、愛おしく見えてくるのである。『異空間』(2011)所収。(土肥あき子)


May 0252011

 新品の島だ若葉を盛り上げて

                           大住日呂姿

放しの新緑賛歌。気持ちの良い五月の風も吹いている。しかし、この島にも目には見えない死の灰が……。などと、作者の意図を越えた野暮は言うまい。こういう句、作ろうとしてもなかなか作れない。けっこう難しいのだろうと思う。ところで「新品」という言葉だが、昔に比べるとすっかりインパクトが弱くなってきたような気がする。使うことも、あまりなくなった。なにしろいまはどこを見回しても「新品」だらけだからであり、ことさらにそう言うべき対象が少なくなっているからである。私が子供だったころには、「新品」というだけで何かまぶしいような晴れがましいような感じがあった。着るものなどはとくにそうで、学校に「新品」の服や帽子で行こうものなら、何人もの友達から「おはつ(初)っ」と背中をどやされたものだった。それが嫌さに、帽子などはわざわざツバを折り泥土に踏んづけてまで古く見せようとしたりしてたっけ。いまでは、そんなことは起こりようもないだろう。まさに隔世の感あり、である。『埒中埒外』(2001)所収。(清水哲男)


May 0152011

 平凡といふあたたかき一日かな

                           東野佐惠子

ちろん平凡な毎日が、ただのんきで、何の気苦労もないものだなんてことはあるはずがありません。そんな人も、まれにいないことはないのでしょうが、たいていの人にとっての平凡な一日というのは、たくさんの辛いことや、みじめな思いに満たされています。それでもなんとかその日を踏みとどまって、いつもの家に帰り着き、一瞬のホッとした時間を持てるだけなのです。でも、その辛い毎日が失われた時には、ああ、あの頃はよかったなと思いだすのだから、不思議なものです。子どもがまだ小さくて、忙しく面倒を見ていた時には、幸せだなんて思う暇もなかったのに、年をとってそのころを思い出すと、ずいぶんあたたかな毎日として受け止められてきます。ということは、うじうじと思い悩んでいるこの時だって、のちに思い出せば平凡というあたたかな布に、柔らかく包みこまれていることになるのでしょうか。「朝日俳壇」(「朝日新聞」2011年4月24日付)所載。(松下育男)




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