博多久留米間15分、九州新幹線に乗ってきました。がら空き…。(哲




2011ソスN5ソスソス16ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 1652011

 あいつとは先生のこと青き梅

                           林 宣子

女期の思い出だろう。禁断の実というのはオーバーだが、青い梅は腹痛を引き起こすことがあるので、たいていの子は親から食べることを禁じられていた。だが、そう言われればなおさら食べたくなるのが子供というもの。これから実ってくる木苺などに比べれば、およそ美味とは遠かったけれど、よく口にした。学校からの帰り道、幼かった作者は友だちとその青い梅を噛りながら道草をしている。いっぱしの悪ガキを気取って、先生のうわさ話や悪口に興じているのだ。先生を「あいつ」呼ばわりできるのも、こんなときくらいである。振り返れば、なんと未熟なおのれだったろうと、恥ずかしくもなってくる。と同時に、何も知らなかったあの頃のこと、いっしょに学校に通った仲良したちのことが懐かしい。一生のうちで、あの頃がいちばん良かったような気もしてくる。今年も、庭の梅がたくさんの実をつけた。みんな、どうしてるかなあ、先生もお元気でおられるだろうか。『現代俳句歳時記・夏』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)


May 1552011

 語らひのいつか過去形アイスティ

                           鞠絵由布子

近のテレビ番組には、芸能人が評判のお店に入って食事をするというものがずいぶんあります。気になるのは、ケーキや和菓子を食べた後での、「甘すぎなくておいしい」という誉め言葉です。甘いものが甘すぎてはいけないという感じかたは、それほど昔からあったわけではありません。いつのころからか、できるだけ薄味のものを摂取して、身体の中を薄くきれいに保つことに、努力を払う時代になっていました。本日の句に出てくるアイスティに、ガムシロップは入っていないのでしょう。「いつか」は「いつのまにか」の意味でしょうか。話をしている内に、会話の内容が自然に昔に戻ってゆく、ということは、お互いの過去を知っているということ。確かに若いころを知っている友人と、老けてしまってから知り合った友人とは、かなり意味合いが異なってきます。一緒に過去に戻ってゆける友人との会話は、それだけで充分に甘く、何杯でもおかわりできる無糖のアイスティが、似合っているようです。『角川俳句大歳時記 夏』(2006・角川書店)所載。(松下育男)


May 1452011

 守宮出て全身をもて考へる

                           加藤楸邨

、守宮と住んでるんですよ、家族みんなで、先生って呼んでます・・・と知人が言っていたのを、この句を読んで思い出した。そういえば守宮ともしばらく会っていない。守宮は、壁に、窓に、ぺたりとはりついてじっとしている。その様子は、まさに沈思黙考、先生と呼びたくなるのもわかる。イモリの前肢の指が四本なのに対して、守宮の指は五本であることも、ヒトに引きよせて見てしまう理由だろう。守宮の顔をじっと見たことはないなと思い調べると、目が大きく口角がちょっと上がっていてかわいらしく、餌をやって飼っている人もいるらしい。ちょうど出てくる頃だな、と守宮と同居していた古い官舎をなつかしく思い出した。『鳥獣虫魚 歳時記』(2000・朝日新聞社)所載。(今井肖子)




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