有明海の幻の魚と言われるエツ。この時期筑後川に上ってくる。(哲




2011蟷エ5譛17譌・縺ョ句(前日までの二句を含む)

May 1752011

 田水張る静謐といふ四角形

                           安徳由美子

前は6月上旬に一斉にしていた田植えも、現在ではゴールデンウイークに合わせて早めになったという。田植えを前に土をおこしたり、畦を作ったり、下準備を経て、いよいよ水を満たした田は、凛と張りつめした静謐そのものといった風情になる。全面に空を映し、鳥の影が渡り、わずかな風にささやかなさざ波を立てる。頼りない苗が風になびく植田は、青々と力強い青田へ、そして秋には黄金色の稲穂が揃う。この美しい移り変わりが、都会ではもう間近には見られないようになってしまった。田の漢字のありようが、耕作地と畦道であることをいつまでも当然と思いたいものだ。今月末、ようやく雪が消えて、準備が整った新潟に田植えをさせてもらいに行く。機械が余した片隅や変形部分を手植えする補植を体験する。はたして手伝いになるのか、どうか。しかし田水の張った聖なる四角に足を踏み入れるチャンスに、胸は高鳴るばかりである。〈ひしひしと我一人なり春の暮〉〈この坂を上れば未来花なづな〉『藻の花明かり』(2011)所収。(土肥あき子)


May 1652011

 あいつとは先生のこと青き梅

                           林 宣子

女期の思い出だろう。禁断の実というのはオーバーだが、青い梅は腹痛を引き起こすことがあるので、たいていの子は親から食べることを禁じられていた。だが、そう言われればなおさら食べたくなるのが子供というもの。これから実ってくる木苺などに比べれば、およそ美味とは遠かったけれど、よく口にした。学校からの帰り道、幼かった作者は友だちとその青い梅を噛りながら道草をしている。いっぱしの悪ガキを気取って、先生のうわさ話や悪口に興じているのだ。先生を「あいつ」呼ばわりできるのも、こんなときくらいである。振り返れば、なんと未熟なおのれだったろうと、恥ずかしくもなってくる。と同時に、何も知らなかったあの頃のこと、いっしょに学校に通った仲良したちのことが懐かしい。一生のうちで、あの頃がいちばん良かったような気もしてくる。今年も、庭の梅がたくさんの実をつけた。みんな、どうしてるかなあ、先生もお元気でおられるだろうか。『現代俳句歳時記・夏』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)


May 1552011

 語らひのいつか過去形アイスティ

                           鞠絵由布子

近のテレビ番組には、芸能人が評判のお店に入って食事をするというものがずいぶんあります。気になるのは、ケーキや和菓子を食べた後での、「甘すぎなくておいしい」という誉め言葉です。甘いものが甘すぎてはいけないという感じかたは、それほど昔からあったわけではありません。いつのころからか、できるだけ薄味のものを摂取して、身体の中を薄くきれいに保つことに、努力を払う時代になっていました。本日の句に出てくるアイスティに、ガムシロップは入っていないのでしょう。「いつか」は「いつのまにか」の意味でしょうか。話をしている内に、会話の内容が自然に昔に戻ってゆく、ということは、お互いの過去を知っているということ。確かに若いころを知っている友人と、老けてしまってから知り合った友人とは、かなり意味合いが異なってきます。一緒に過去に戻ってゆける友人との会話は、それだけで充分に甘く、何杯でもおかわりできる無糖のアイスティが、似合っているようです。『角川俳句大歳時記 夏』(2006・角川書店)所載。(松下育男)




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