_D句

May 1852011

 鶯の声もさびたり青葉山

                           仮名垣魯文

は「春告鳥」とも呼ばれるように、春になってさえずりはじめる。その美声は言うまでもない。だから、声の良い人のことを「うぐいす芸者」とも呼ぶ。さえずりはじめの頃は、まだ覚束ないところもあって妙に愛嬌があるものだけれど、時経るにしたがって錬られて美声になってくる。三年前、紫陽花の時季に鎌倉の山あいに出かけた折、複数の鶯がもったいないくらいにしきりに啼くのを聴いた。石に腰をおろして、いつまでもただ聴き惚れていたっけ。人を酔わせてくれたさすがの美声も、やがて青葉繁れる夏本番になってくると「さび(錆)」が生じてきて、次第に衰えてしまう。そうなると、夏の季語「老鶯」の登場となる。年老いた鶯という意味ではない。『年浪草』に「初春声を発し、夏に至りて止まず。しかれどもその声やや衰ふ。ゆゑにこれを老鶯といふ」とある。トシではなく声の問題である。青葉が勢いを増してくる山あいで啼く鶯の声は、対照的に衰えを隠せないといった光景である。「老いたり」ではなく「さびたり」はうまい。江戸文学から明治文学へ、その橋渡し的役割を果たした魯文の代表作は「安愚楽鍋」「西洋道中膝栗毛」。俳号は香雨亭応一と名乗った。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)




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