気がつけば食後にうつらうつら……。歴然とトシのせいなのだ。(哲




2011ソスN5ソスソス21ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 2152011

 十薬のつぼみのやうな昔あり

                           遠藤由樹子

庭にどんどん増えるドクダミと刈っても刈っても増え続けるヤブカラシは、子供の頃我が家の庭の二大嫌われものだった。ほんとに臭いね、などと言いながらよく見ることもなかったドクダミを、しげしげと見たのはやはり俳句を始めてから。近づくと、あんなに嫌だった独特の匂いは郷愁を誘い、葉はハートの形で花は真っ白な十字形、蕾はしずくのような姿で眠っている。ほんとうの花は真ん中の黄色い部分で、白いのは萼だというが花言葉は、白い追憶、とロマンティックだ。そんな十薬の群生する蕾を見つめながら、作者もふと郷愁をおぼえたのだろうか。あのしずくの形が、光に見えたか涙に見えたか、作者の胸に去来したものはわからないけれど、つぼみのやうな昔か、昔っていい言葉だな、とあらためて思った。『濾過』(2011)所収。(今井肖子)


May 2052011

 南国の雷雨をもつて城かくす

                           佐野まもる

リヴィアルな視点が俳句の特性のひとつであることや「詩は細部に宿る」ことにも異存はない。細部をきちんと見つめて描写している「写生句」というのもありそうでないものだ。しかし大きな景を構図の中で把握するのも難しいことであり、そこに挑戦してみるのも価値はある。見事な大きな景というのは往々にして露店で売る掛軸のようなベタな絵柄になる。この句、AをもってBをかくすという構文の中に見事に両者が配されている。平畑静塔『戦後秀句2』(1963・春秋社)所載。(今井 聖)


May 1952011

 遠雷や生命保険の人が来る

                           渡辺隆夫

本邦雄に「はつなつのゆふべひたひを光らせて保険屋が遠き死を賈りにくる」(「日本人霊歌」)という短歌があるが、たぶんそれを踏まえて作られているのだろう。確かに尋常に考えれば自分の命に値段をつけているわけで、保険というのはコワイしろものだ。塚本の短歌は光っているのは保険屋の汗であるが、掲句の場合は光るものは遠雷である。遠雷は遠來にひっかけてある。普通に考えれば何でもない文脈だが、読み手が塚本の短歌を思い浮かべるだろうことを想定して作られた句だと思う。作者は川柳人。もとの材料にちょいと毒や仕掛けがさりげなく盛られている。季語や故事来歴を逆手にとって詠む。「月山が死後の世界だなんて変」「亀鳴くと鳴かぬ亀来て取り囲む」なんて図を想像するとおかしくなってしまう。大真面目な俳人がおちょくられている。『魚命魚辞』(2011)所収。(三宅やよい)




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