ここ数年、クーラーは一度も使ってない。これ以上の節電は無理。(哲




2011ソスN5ソスソス23ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 2352011

 夕わけて竹の皮散る酒の中

                           清水基吉

は静かに飲むべかりけり。日本酒が飲めない私でも、こういう句を読むと、しみじみとそんな気がしてくる。薄暮の庭でも眺めながら、ひとり静かに飲んでいるのだろう。実際に竹が見えているのかどうかはわからない。見えていないとすれば、竹が皮を脱ぐときにはかすかな音がするので、それとわかるのだ。よほど静かな場所でないと聞こえないから、音が聞こえていると解したほうが、より情趣が濃くなる。夕暮れの淡い光のなかで時折はらりと竹の皮が散るさまは、それだけでも作者の孤独感を写し出しているように思われるが、散った皮がはらりはらりと「酒の中」へ、つまり少し酔った状態のなかへと散りかかるというのだから、寂しくも陶然とした作者の心持ちが表されている。孤独の愉しさ……。酒飲みのロマンチシズムもここに極まった、そんなおもむきのある句だ。『俳句歳時記・夏の部』(1955・角川書店)所載。(清水哲男)


May 2252011

 目の覚める時を朝なり五月雨

                           炭 太祇

まり、朝になったから起きるのではなく、目が覚めたその時が朝なのだよと、そのような意味なのでしょうか。起きて行動を起こすための眠りではなく、眠りそのもののための眠りを、しっかりととった後の目覚めです。句を読んでいるだけで、長い欠伸が出てきそうです。そういえば、眠りの中でずっと聞こえていた音は、窓の外に途切れることなく降る雨の音だったかと、目覚めて後に布団の中で気づくのです。なんだかこの雨も、そんなにあせって生きることはない、もっと体を休めていてもいいのだよという、優しい説得のようにも聞こえてきます。もちろん、いつもいつもでは困りますが、たまには、五月雨の許可を得て、目を閉じ、そのまま次の夢へ落ちて行ってもいいのかもしれません。『角川俳句大歳時記 夏』(2006・角川書店)所載。(松下育男)


May 2152011

 十薬のつぼみのやうな昔あり

                           遠藤由樹子

庭にどんどん増えるドクダミと刈っても刈っても増え続けるヤブカラシは、子供の頃我が家の庭の二大嫌われものだった。ほんとに臭いね、などと言いながらよく見ることもなかったドクダミを、しげしげと見たのはやはり俳句を始めてから。近づくと、あんなに嫌だった独特の匂いは郷愁を誘い、葉はハートの形で花は真っ白な十字形、蕾はしずくのような姿で眠っている。ほんとうの花は真ん中の黄色い部分で、白いのは萼だというが花言葉は、白い追憶、とロマンティックだ。そんな十薬の群生する蕾を見つめながら、作者もふと郷愁をおぼえたのだろうか。あのしずくの形が、光に見えたか涙に見えたか、作者の胸に去来したものはわからないけれど、つぼみのやうな昔か、昔っていい言葉だな、とあらためて思った。『濾過』(2011)所収。(今井肖子)




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