東京地方は大雨の予報。梅雨入りと同時にいきなりの荒梅雨か。(哲




2011蟷エ5譛30譌・縺ョ句(前日までの二句を含む)

May 3052011

 愚かゆえ梅雨どしゃ降りを酒買いに

                           今江立矢

雨の句には、当たり前だが鬱陶しいものが多い。この句では、ご当人はさぞかし鬱陶しいことだろうが、読者にはむしろ明るく感じられる。ドジな人だなあと、可笑しくなってくるからである。酒くらい降ってない日に前もって買っておけばよいのに、それを選りに選ってどしゃ降りの中を買いに行くとはね。でも、そんな思いをしてまで買いに行くのが酒飲みというものだ。よほど今夜は飲むのをやめようかと何度も逡巡したけれど、結局は辛抱たまらずの外出なのだろう。降りしきる雨のなか、ズボンの裾を濡らしながら、おのれの愚かさを自嘲している。「愚かゆえ」には間違いないけれど、この愚かさは事情や場面が違えば、実はまた読者のそれでもあるだろう。だから、読者はこの句の作者に愛すべき人間像を見いだして、微笑することができるのである。まことに俳句とは「思い当たりの文芸」である。『現代俳句歳時記』(1989・千曲秀版社)所載。(清水哲男)


May 2952011

 わが死にしのちも夕焼くる坂と榎

                           加藤かけい

語は夕焼け。夕焼くるは「ゆやくる」と読みます。人の一生というのは、言うまでもなくその人にとっての「すべて」です。ところが、その「すべて」の外にも、なぜか依然として時は流れ、夕焼けはやってくるのです。自分の終わりが、この世の成り立ちにとって、それほどの出来事ではないのだと気づいてしまうと、ちょっとがっかりします。でも、なんだか気が楽にもなってきます。なにかの一部でしかないということの気楽さをもって、それでも日々に立ち向かってゆく人の命は、なんだか健気にも見えてきます。果てしない空を染める真っ赤な夕焼けは、たしかに坂道や木に似合っています、それでも、字余りになっても榎をここに置いたのは、高い空にすっきりと立つ姿を示したかったからなのでしょうか。あるいは作者の人生の、大切な道しるべにでもなっていたのでしょうか。『合本 俳句歳時記 夏』(2004・角川書店)所載。(松下育男)


May 2852011

 すゞかけもそらもすがしき更衣

                           石田波郷

前目にした時は、空、だった気がするが、平仮名の方がいいなあ、と。いずれにしても調べも音も色彩も気持ちのよい句だ。一昔前は、学校も六月一日に一斉に更衣をしていたので、教室に入ると、制服が紺から白へ一気に明るくなり更衣の実感があった。最近は五月から移行期間をもうけて、暑い人は夏服可、とするので以前ほどの感動はない、合理的ではあるが。この時期、個人的には衣服の入れ替えとは別に、初めて半袖一枚で外出する日、更衣に近い感慨があるように思う。そんな日は、夏が来たなあと実感しつつ、この作者のように、何もかもすがすがしく感じるのだ。『最新俳句歳時記 夏』(1972・文藝春秋)所載。(今井肖子)




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