弟(昶)が急逝。なにも俺より先に逝くことはないじゃないか。(哲




2011ソスN6ソスソス1ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 0162011

 子の背伸び出してはしまう更衣

                           内田春菊

どもの成長は早い。タケノコのようにグングン背が伸びる。去年着ていた衣服が、今年はもう着られなくなってしまうなんてことはもちろんだが、去年は大きすぎた衣服が今年は小さすぎる、などということはざらにある。母親はあれこれと出してみるけれど、子どもの背はどんどん先へ先へと伸びている。夏の衣服を出したりしまったりして「あら、まあ」などと戸惑いながらも、わが子の成長ぶりに眼を細めているのだろう。春菊は父親が全部ちがう四人の子どもの母親だった。さぞ大変な時期があったものと思われるが、けろりとして(?)このような句を詠んだ。現在の替衣は六月一日と十月一日。しかし、そうした季節感は私たちの日常からは薄れてきてしまっている。今夏は節電の影響もあって、クールビズなるものがまたはやっているようだ。それでも和服のほうでは現在でも、前年十月〜五月:袷、六月:単衣、七〜八月:薄物、九月:単衣、とされているらしい。基角に「越後屋に衣さく音や替衣」の名句がある。『命の一句』(2008)所載。(八木忠栄)


May 3152011

 水飲んで鈴となりけり更衣

                           岡本 眸

いコーヒーやお茶よりも、冷たい水をおいしいと思う陽気になった。ことに猫舌でもあるので、熱いものを喉へと流すおっかなびっくり感から解放され、躊躇なくごくごく飲めるというだけでも大いなる快感である。掲句の鈴は、まさに水が喉から胃の腑に届くあたりの感触を指しているのだと思う。ころんころんと水が収まっていく。身体の真ん中からすっと涼しくなるような心地よさが、薄着となった四肢にも響いてくるようだ。制服のある学校の多くは、明日から夏服へと一新する。街に白さが際立つようになり、女の子たちの鈴を転がすような笑い声がもっとも似合う季節でもある。『流速』(1999)所収。(土肥あき子)


May 3052011

 愚かゆえ梅雨どしゃ降りを酒買いに

                           今江立矢

雨の句には、当たり前だが鬱陶しいものが多い。この句では、ご当人はさぞかし鬱陶しいことだろうが、読者にはむしろ明るく感じられる。ドジな人だなあと、可笑しくなってくるからである。酒くらい降ってない日に前もって買っておけばよいのに、それを選りに選ってどしゃ降りの中を買いに行くとはね。でも、そんな思いをしてまで買いに行くのが酒飲みというものだ。よほど今夜は飲むのをやめようかと何度も逡巡したけれど、結局は辛抱たまらずの外出なのだろう。降りしきる雨のなか、ズボンの裾を濡らしながら、おのれの愚かさを自嘲している。「愚かゆえ」には間違いないけれど、この愚かさは事情や場面が違えば、実はまた読者のそれでもあるだろう。だから、読者はこの句の作者に愛すべき人間像を見いだして、微笑することができるのである。まことに俳句とは「思い当たりの文芸」である。『現代俳句歳時記』(1989・千曲秀版社)所載。(清水哲男)




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