「女子テコ」って何だ?と思ったら、女性用のステテコだってさ。(哲




2011ソスN6ソスソス16ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 1662011

 四国とは背伸びの子象風すずし

                           橋本 直

本地図の四国のかたちをじっと見る。細長く伸びる佐田岬が子象の鼻だとすれば、三角にとんがった足摺岬と室戸岬が前脚と後脚にあたるのだろうか。物を別なものになぞらえる見立ては俳句ではあまり好かれないようだ。「四国とは」の「とは」も説明的だと言われそうだ。だけど見立ては決まりきった見方を切り崩し新鮮な側面を描き出す手法でもある。この句の場合、「背伸びの子象」という表現に託された四国は愛らしく微笑ましい。せいいっぱい身体を伸ばす子象に吹きわたる風。この句を読んで四国を思うと水色の海に囲まれた島が夢ある土地に思えてくる。『水の星』(2011)所載。(三宅やよい)


June 1562011

 逃げる子を夕立すでに追い抜きぬ

                           清水 昶

は去る五月三十日に心筋梗塞で急逝してしまった。残念でならない。からだの不調がつづいて、隔月に吉祥寺で開催している余白句会に、近年は投句も出席もかなわなくなってしまっていた。それまでは句会では言いたいことを言って、笑わせたり顰蹙を買ったりしていた。自分の俳句のすばらしさを言って、座を妙に盛りあげてくれたっけ。そしてマイペースで徳利の日本酒をチビチビゆっくり干していた姿が、懐かしく回想される。なぜか憎めない男でした。淋しいなあ。掲句は、遊んでいた子どもたちが、急に降り出して迫ってきた夕立から逃げようとワイワイ走り出したのだろうが、たちまち容赦ない夕立に追いつかれ、追い抜かれてしまった。頭上ではカミナリも子どもたちを容赦なく脅かしているにちがいない。子どもにとってびしょ濡れはうれしいのだ。私にも子どもの頃、そんな経験が何回もあって、ずぶ濡れの子ども同士やんやと盛りあがっていたものだった。この句は実景というよりも、昶は子どもの頃の経験を思い出して詠んだのではないだろうか。ウェブ「新俳句航海日誌」では厖大な句を量産していた。他に「釣竿を肩に蚯蚓掘る少年期」(「少年期」が好きな男でした)、「大寒の真水のごとく友逝けり」など。「友逝けり」どころか自分があっさりと逝ってしまった。合掌。「OLD STATION」12号(2003)所載。(八木忠栄)


June 1462011

 眺めよき死地から死地へ青嵐

                           宇多喜代子

地とは戦場かもしれず、また天災によって傷つけられた土地かもしれない。「眺めよき」とは甚だ物騒な表現だが、一切が空(くう)となった地をどのように表現しようかという苦悩が作者のなかにはあったはずだ。その思いが胸に巣食ったまま、本書のあとがきにたどりつけば、そこには「振り返れば一句の背後、消した百語千語や、時のひろがり、おもいの深みが蘇えってきます」と書かれていた。そこであらためて掲句を振り返れば、書かれては消された幾百の文字が、作者の祈りとなって渦巻きながらにじみ出ているように思えてきた。今はここに残された17音に、ただただ目を凝らし、人間と自然の姿に思いを馳せる。〈八月の赤子はいまも宙を蹴る〉〈かぶとむし地球を損なわずに歩く〉『記憶』(2011)所収。(土肥あき子)




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