June 202011
天井扇ゆっくりリリー・マルレーン花谷 清日本の情景ではないだろう。「リリー・マルレーン」は、もう七十年ほども前のドイツのヒット曲。兵営の門の前にある街灯の下で、恋人に逢いたいという兵士の気持ちがこめられた歌だ。これを第二次世界大戦の欧州戦線でドイツ軍が謀略放送で毎日定期的に流したところ、相手側のイギリス軍兵士にも大きな人気を呼び、あわてた英軍司令部が聞くことを禁じたというエピソードが残っている。作者はこれを、ヨーロッパのどこかの古びたレストランのような店で耳にしたのだろう。昔の若き兵士たちの純情をいやが上にも盛り上げる甘やかでどこか寂しいメロディーが、天井でゆっくり回っている扇風機の無機的な回転音とないまぜになったとき、心に浮かんでくるのは戦争の限りない空しさであろうか。私も若いときに、この歌をミュンヘンの古いレストランで楽士に弾いてもらったことがある。つわものどもの夢の歌。思いはやはり戦争の無情であり、無常であった。この曲を聴きたい方は、ここをクリックしてください。1939年版とあるので、おそらくこれがオリジナル曲でしょう。『森は聖堂』(2011)所収。(清水哲男) June 192011 アロハ着てパスポートどのポケットへ山崎ひさをこの句は、パスポートをどのポケットへ入れたらよいのか迷っているということのようです。海外のリゾート地に到着してすぐに、とにかくアロハシャツに着替えたものの、薄い生地の胸ポケットは、何を入れてもだらしなく下がってしまいます。とはいうものの、このだらしのなさが避暑地に来た目的でもあるわけです。たしかに、海外旅行をしていると、なにか失くしていないかと、四六時中探し物をしているような気分になります。出入国の手続きをしている時でさえ、あれはどのポケットに入れただろうか、これはさっきまでこのポケットに入っていたはずだがと、次々にものを探しているようです。アロハを着ているわけだから、それほどたくさんのポケットがついているわけでもないのに、いざ必要となったその時には、パスポートを探すために大騒ぎで両手は、ポケットの底を探し回ります。『新日本大歳時記』(2000・講談社) 所載。(松下育男) June 182011 紫陽花に置いたる五指の沈みけり川崎展宏空梅雨の年は紫陽花が気の毒なほどちぢれてしまうことがある。雨の多い今年は形よく色もみずみずしく、特に水をたたえたような深い青が際立っている。遠目にはこんもりと球のように見える紫陽花。作者が近づくとちょうど目の高さほどの木に、大ぶりの毬がたくさん揺れている。どこか親しさのあるその毬にそっと触れると、ただ包みこんだだけで、細かな花の隙間に五指が沈む。わずかな驚きと少し濡れたかもしれない指先に残る感触は、目の前の紫陽花をより生き生きと感じさせている。『花の大歳時記』(1990・角川書店)所載。(今井肖子)
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