今日からまた暑くなりそう。気がつけば六月も間もなくおしまいだ。(哲




2011ソスN6ソスソス28ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 2862011

 明易し絵具の棚の青の段

                           天野小石

近なところでmacのカラーインデックスを開いてみた。パレットのクレヨンは48色が配され、青とおぼしき種類だけでも7種類が並ぶ。薄い方からスカイ、アイス、アクア、ターコイズ、ブルーベリー、オーシャン、ミッドナイト、こうして文字にするだけでも涼やかな風が運ばれてくるようだ。日本の伝統色の青みに至っては、瓶覗(かめのぞき)やら紅掛空色(べにかけそらいろ)など、涼感というより、その名の生い立ちに深く興味を覚える。おそらく作者も、青系の絵具の並ぶ棚を眺め、そのグラデーションの美しさに目を奪われたのはもちろん、それぞれに付いたゆかしい名の由来に思いを馳せつつ、仄とした明易(あけやす)の時間に身を置いているのだろう。暁から薄明、東雲、曙と深い闇から明るい瑠璃色へと移り変わる夜明けもまた、空の青の段を楽しめる時間である。『花源』(2011)所収。(土肥あき子)


June 2762011

 若楓おほぞら死者に開きけり

                           奥坂まや

(かえで)は紅葉も美しいが、青葉の輝きも見事だ。歳時記で「若楓」と、独立した季語として立てられているのもうなずける。この句のシチュエーションはいろいろに想像できるが、私は納骨の情景を思い浮かべた。普通の墓参りよりも少々厳粛な気分で親族や関係者が集まり、服装も黒っぽい。上天気なのだろう。折りからの初夏の風にあおられて、それまで墓をおおっていた楓の影が払われ、ぱあっと日が降り注いでくる。思わず見上げた目には、真っ青な「おほぞら」が……。そこでいささか鬱屈していた作者は、一瞬救われたような気持ちになったのだろうが、その気持ちを自分のそれだけにとどめず、埋葬される死者と共有しているところが素晴らしい。いや、楓はむしろ死者のためにこそ大空を開いてくれたのだと詠んだ作者の、大きな包容力を伴った情景の捉え方は、読者をもまた癒してくれる。単なるスケッチを超えた佳句だと思った。『妣(はは)の国』(2011)所収。(清水哲男)


June 2662011

 悲しみの席にビールのある事も

                           岡林知世子

句の世界とは違って、現代詩には、吟行をするということがありません。詩というものは、若いころからずっと一人で、隠れるようにして書き続けるものです。だから著名な詩人の名前を知ってはいても、実際に会う機会などめったにありません。僕が二十代後半の頃、ということはもう三十年以上も昔のこと。詩の賞の、誰かの受賞式の帰りでもあったのか、夜遅く、新宿の広い喫茶店に詩人たちが集団で入ってゆきました。僕のいたテーブル席には、同世代の若い詩人たちがいて、話すこともなく静かにコーヒーを飲んでいました。そのうちに一人が、遠くの席を指さして、「あそこに、清水昶がいるよ」と言いました。「えっ」と、僕は思って、薄暗い喫茶店で、かなり距離もあり、その姿ははっきりとは見えませんでしたが、それでも当時、夢中になって読んでいた詩人がそこに本当にいるのだということに、胸が震えていました。幾度読んでも飽きることのない喩の力、というものが確かにあるのだと、教えてくれた詩人でした。「悲しみの席」とは、なんとつらい日本語かと、思わずにはいられません。『新日本大歳時記』(2000・講談社) 所載。(松下育男)




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