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July 0372011

 金魚玉金魚をふつと消す角度

                           辻田克巳

魚玉というのは金魚鉢のことです。ガラスの球形なのだから玉といったのでしょうが、球形は球形でも、上の方は開いていて、フリルのような形にガラスが波打っています。たいていはその波に、赤や青の線が描かれていて、子どもの頃には飽きずに中を覗き込んでいました。どうしてあんなに時間があったのだろうと、不思議になるほどに、ボーっとして金魚を見つめていました。それで何かを学んだかというと、そんなことはなく、ただ意味もなく暇をつぶしていただけなのです。おとなになって、会社勤めを始めてしまってからは、目的もなく何かをじっと見つめている時間なんて、なくなりました。ただただあわただしく、追われるように一日を過ごしています。ふっと消えてしまった大切なものは、あの頃見つめていた金魚玉の中の金魚と、あと何だったかと、考えてしまいます。『新日本大歳時記』(2000・講談社) 所載。(松下育男)


July 1072011

 待たさるることは嫌ひなサングラス

                           安藤久美

の句を読んだ時に、どうしても思い出してしまうのは、つい先日、辞任をした大臣のことです。数分待たされただけで、相手を叱りつけていた映像を幾度か見ましたが、人が人を叱っているところを見るのは、なんともつらいものです。みちなかで、小さな子どもを叱りつけている母親を見るのもいやだし、電車の中で頑固そうな老人が、奥さんを意地悪くいじめているのを見るのも、いやな気分です。サングラスというと、どこか横柄で威張った感じがするので、このような句ができたのでしょう。確かにうまいなと思います。でも、サングラスをかけている人が皆、横柄かと言うと、もちろんそんなことはありません。どちらかというと内気で、人の顔もまともに見られないデリケートな心の持ち主だって、ひっそりとサングラスをかけます。そういえばあの元大臣は、記者会見で薄いサングラスをかけていたなと、また思い出してしまいました。この句にはなんの関係もないのだとは、もちろんわかっているのですが。『新日本大歳時記』(2000・講談社) 所載。(松下育男)


July 1772011

 峯雲や朱肉くろずむ村役場

                           土生重次

に明暗のはっきりした句です。色、というものの鮮やかさと、白黒のメリハリ。とにかく絵画を見つめるようにして、読者は句の中に入り込んで行けます。夏の盛りなのでしょう。あぜ道を汗だくになりながら自転車を走らせて来たのでしょうか。村役場に入ってくるその人の背中越しに、雲の峰が空高く盛り上がっています。あんまり明るい外から入ってきたために、役場の中はひどく暗く感じられます。住民票の申込書に必要事項を書き、備え付けの朱肉を見れば、真っ赤なはずなのに、赤がそのまま黒ずんで見えます。あまりに明るい場所から来たせいで、目の機能がおかしくなってしまったのか。あるいは赤という色には、もともとその奥に暗闇がしまわれていて、ふとした瞬間に、その姿を見せてしまっただけなのかもしれません。『新日本大歳時記』(2000・講談社)所載。(松下育男)


July 2472011

 地下深き駅構内の氷旗

                           福田甲子雄

の句をはじめて読んだ時には、東京駅近くの地下街を思い出しました。でも句は、「駅構内の」と明確に言っています。勝手に読み違えていたのに、なんだか抱いていた印象が失われてしまったようで、さびしくなります。でも、読み違えを正してから読みなおしてみても、やはり印象の深い句に違いはありません。この句の魅力は、物が、当然あるべき場所ではないところにある、その意外性にあります。氷旗といえば、炎天下の道に、入道雲の盛り上がった空に向かって立っているのが普通です。しかしこの句では、空もない、風もない、強い日差しもない場所に、ただ立てられているというのです。視覚的な逆説、とでも言えるでしょうか。もちろん通りすがりに構内の氷旗を見た人の頭の中には、そこから大きな夏の空が広がってきてはいるのです。この句を読んだ人たちの想像の中にも、きちんと夏雲が盛り上がってきているように。『新日本大歳時記』(2000・講談社) 所載。(松下育男)


July 3172011

 昼寝よりさめて寝ている者を見る

                           鈴木六林男

の句はいいな、と感じるときには、二種類あります。句のほうに向かって、自分の感受性がぐいぐい引きこまれてしまう場合と、反対に句のほうがこちらにやってきてくれて、自分の感覚に寄り添ってくれる場合です。自分にはない新鮮な美しさをもたらしてくれるのが前者。自分の中の懐かしさや優しさを思い出させてくれるのが、後者です。この句に惹かれたのは、後者の感じ方によります。座敷にゴロゴロと、誰が先ともなく、いつのまにか眠ってしまい、ふと目が覚めると、まだ他の人は眠っていたという状況のようです。つまりは思いがけなくも、いつもそばにいる人の寝顔をじっくりと見ることになるわけです。ああ、たしかにこういう経験って、幾度もしたことがあるなと、思い出し始めます。家族みんなでぐっすり眠っていたこともあるし、あるいは高校生だった頃の夏に、臨海学校の大きな畳敷きの部屋で、たくさんのクラスメートと眠っていたこともありました。もちろん外では、蝉がやかましいばかりに鳴いていました。長く生きていると、ひとつの句から、いくつもの大切な情景が思い出されてきて、そのたびに幸せな記憶に漂ってしまいます。『新日本大歳時記』(2000・講談社) 所載。(松下育男)


August 0782011

 行く夏の倉と倉との間かな

                           永島靖子

節の中で、一番惜しまれて去ってゆくのが夏です。行く夏、とひとことつぶやけば、だれしも胸に込み上げてくるものを思い出すことができます。生命の、最も派手やかな瞬間の後の、虚脱感のようなもの。本日の句、倉と倉との間は、それほどに広くはないと思われます。地面には、小さな砂利が敷き詰められてでもいるでしょうか。同じ形に並んだ倉の、白壁と白壁に挟まれた長細い空間。その中ほどに立ち止まって、うつむいて物思いにふけっている人の姿が、はっきりと見えてくるようです。それからゆっくりと顔をあげ、空をじっと見上げてみれば、特段何が悲しいというわけではなくても、自然ときれいな涙があふれてくるものです。『角川俳句大歳時記』(2006・角川書店)所載。(松下育男)


August 1482011

 戦争が廊下の奥に立ってゐた

                           渡辺白泉

ころで、明日の「終戦記念日」は秋の季語ですが、「戦争」はどうなのでしょうか。「時の流れ」がどの季節にも限定できないように、「戦争」も同様に、季節からまぬがれているのかもしれません。だからこの有名な句を前にしても、特段、季節の風を感じません。あるいは、生きている者の親密な息のぬくもりが感じられません。ただ廊下があって、その奥があって、そこに戦争が立っているのだなと、書かれたままに読むだけです。それでもその無表情な戦争が、頭の中を去ってゆかないのはなぜなのでしょうか。どれほど巧みに感情を込めた表現も、どんなに大きな叫び声も、とても歯が立たないもの。文学という器には到底押し込めることのできないものを表現しようとすれば、こうしてただ、そのものを立たせているしかなかったのでしょう。見事な句です。『現代俳句の世界』(1998・集英社) 所載。(松下育男)


August 2182011

 黒板負ふごと八月の駅の夜空

                           友岡子郷

板を負ふ、という強いイメージに喩えられているのは、なんともありふれた夜空です。「八月の駅の」なんて、ずいぶん個性のない言葉たちです。でも、そうしたのは作者の意図するところなのです。あってもなくてもいいような言葉が、こんなに短い表現形式の中にも必要になるなんて、驚きです。たとえ17文字とはいえ、全部の言葉が強く自己主張を始めたら、句が暑苦しくなるばかりです。「黒板を負ふ」だけで、もう充分イメージが読者に与えられているわけですから、あとはこのイメージの邪魔をしないようにしなければなりません。暑い日の仕事帰りに、ふと駅の上空を見上げれば、人生の、何か重要なメッセージが空に書かれていたように一瞬思われ、でも目を凝らしてみれば、黒板消しを持った大きな手が上空に振られ、あとはもう何も見えません。『日本大歳時記 秋』(1971・講談社)所載。(松下育男)


August 2882011

 霧しぐれ富士を見ぬ日ぞおもしろき

                           松尾芭蕉

士山を見ようと楽しみにしてやってきたのに、いざ到着してみたら、霧が深くてなにも見えません。でもそんな日も考えようによっては面白いではないかと、そのような意味の句です。たしかに、生きていればそういうことって、幾度もあります。ディズニーランドに遊びに行こうという日に、朝から雨が激しく降っていたり、家族旅行の前日に、なぜか姉が熱を出して中止になってしまったり。楽しみにしていた分だけ、落胆の度合いも大きくなるというものです。それにしても、やはり芭蕉は普通ではないなと思うのです。この句を読んでいると、決して負け惜しみで言っているようには感じられません。「霧しぐれ」という言葉が、なによりも美しいし、霧の向こうにあるはずの富士の姿が、思いの中にくっきりと浮かんでくるようです。体験している自分に振り回されないって、なんて素敵な生き方だろうって、つくづく思うのです。『芭蕉物語(上)』(1975・新潮社) 所載。(松下育男)


September 0492011

 僧朝顔幾死にかへる法の松

                           松尾芭蕉

週も芭蕉の句から。幾死は「いくし」、法は「のり」と読みます。誰の句だって、読みたいように読んでしまってよいわけです。しかし、この句はちょっと難しい。僧と朝顔は、死んではまた新しく生まれ出るものを象徴しています。朝顔は年々、それぞれの命を変えるものだし、僧の寿命は朝顔より長いものの、幾度も死んではまた生まれてくると考えれば、同じものと言えます。一方、松の方は、ずっと生き続けるものとして対比されています。法は仏法の法。宗教に携わる僧の命は絶えることがあっても、仏法は松のようにずっと生きているのだということなのでしょう。むろん松にも寿命はあるわけですが、ここは素直に読みましょう。それにしても年をとってくると、宇宙の大きさとか悠久の時の長さの中に、小さな自分をそっと置きたくなるのは、なぜでしょう。『芭蕉物語(上)』(1975・新潮社) 所載。(松下育男)


September 1192011

 団栗の寝ん寝んころりころりかな

                           小林一茶

の句、いったいどういう意味かと考え始めても、なかなかしっくりした答が出てきません。でも、意味は不明でも、読んでいるとなぜか心の奥が明るくなるような気がします。心の奥を明るくしてくれる句なんて、めったにあるものではありません。だから意味なんてどうでもいいのです。言葉のよい調子が、読む人の気分を穏やかにしてくれるし、団栗の姿形も、どこかとぼけていて安心させてくれるものがあります。団栗というと、手のひらに乗せて転がしてみたくなります。そんなことをしても、なにがどうなるわけでもないのに、ただ転がしてみたくなります。この句、子守唄がそのまま入っていますが、安らかに眠ってしまったのは、団栗を握ったままの、日々の労働に疲れきった人の方なのでしょうか。『日本大歳時記 秋』(1971・講談社) 所載。(松下育男)


September 1892011

 秋暑く道に落せる聴診器

                           高橋馬相

の句が読者を振り向かせるかどうかは、道に落したものが何かにかかっています。当たり前なものではつまらないし、かといって「手術台の上のこうもり傘」ふうな、突拍子もないものでは、わざとらしさが残るだけです。おそらく、句を作っている時に、道に何を落したことにしようかなどと考え込んでいるようでは、期待できません。才を持っている人なら、何も考えずとも自然に思い浮かんでしまうものだし、その自然に思い浮かんだものが、ああなるほどと読者を納得させるものになってしまうのでしょう。ところでこの句、熱いアスファルトの上に落ちた聴診器が聴きとっているのは、去ろうとする夏の足音と考えても、よいのでしょうか。『日本大歳時記 秋』(1971・講談社)所載。(松下育男)


September 2592011

 ねばりなき空に走るや秋の雲

                           内藤丈草

を読んでいると、たまに、ああこれは作り過ぎているなと感じることがあります。こんなに短い表現形式なのに、盛りだくさんに技巧を凝らすと、そういうことになるようです。所詮は作り物なのだから、作品の中から作意を完全に消し去ることはできません。だから凝った表現は、せめて一句に一か所にしてもらいたいものです。今日の句、凝っているのはもちろん「ねばりなき」のところです。それ以外には特段解説できるようなところはありません。さっぱりしています。このさっぱりが、なかなかすごいのです。雲が秋の空に抵抗を感じないように、句を作る所作にも、余分な抵抗はなさそうです。言葉は自然に生まれ、生まれたままの姿で句に置かれ、秋空を滑る雲のように、読者の目の中に滑り込んできます。『日本大歳時記 秋』(1971・講談社) 所載。(松下育男)


October 02102011

 原爆も種無し葡萄も人の智慧

                           石塚友二

の句を初めて目にした時には、人の浅智慧が冒した自然冒涜への抗議かと感じました。でも、それはどうも勘違いだったようで、句が表現しているのは、この世に人が加えた変更を、ただ並べて見せただけにすぎません。それにしても、種無し葡萄に並べられた原爆という言葉の存在は、重く感じられます。原発の問題がこれほど身近に迫ってきた今年だからでもあるのでしょう。繰り返すようですが、句は、「原爆」と「種無し葡萄」を並置しただけのもので、ことさら人の智慧を誉めているわけでも、批判しているわけでもありません。つまりはそこが、俳句の俳句たる所以なのでしょう。あるいは俳句に限らず、表現物というのは、おおむねそのようなものなのかもしれません。事実を平然と読者に見せることの恐さ。あとは余計な批評を加えない。『日本大歳時記 秋』(1971・講談社) 所載。(松下育男)


October 09102011

 秋ふかき目覚め鉄階使ふ音

                           岡本 眸

階という言い方は通常聞きませんが、鉄の階段ということなのでしょう。句を読んでいるとたまに、作者が苦労をして言葉を縮めていることがあります。あまりやり過ぎると不自然になってしまいますが、この句は素直に受け入れられます。それほど工夫をして組み込んだ「鉄の階段」は、しっかりと存在を示しています。ああずいぶん寒くなったなと目覚めた朝に、まだかなり早い時刻なのに、外の階段をあわただしく下りて行く音が聞こえてきます。アパートの外階段なのでしょうか。下りて行く人の手のひらは、握った鉄のあまりの冷たさに、身ぶるいをしていることでしょう。この句がすごいのは、たったこれだけの長さの中に奥行きのある物語をしまいこんでいることです。朝、あわただしく外階段を下りて行く人の表情も、あるいはその音を聞きながらまだ布団に入っている人の表情も、それぞれに自分のこととして感じることができるのです。『日本大歳時記 秋』(1971・講談社) 所載。(松下育男)


October 16102011

 地と水と人をわかちて秋日澄む

                           飯田蛇笏

月11日の大震災を経験したのちに読んでみると、それまでとは違った感想を持ってしまう句があります。むろん、句そのものに違いはないわけで、あくまでも受け取り方の問題なのですが。本日の句も、単に大地と水がくっきりと分かれて見えると詠っているだけなのですが、どうしても陸地と海の境目のところに、思いは及んでしまいます。それはともかく、この句がすごいなと思えるのは、人を、地と水に並置しているところです。秋空の下、空気をどしどし押しのけるようにして歩いている人の姿が見えてくるようです。悩みとか感情とか屈託とか、そんなものはもともと大したものではなく、ここにこうしてあること自体が大切なことなのだと、あらためて教えてくれているようです。『日本大歳時記 秋』(1971・講談社) 所載。(松下育男)


October 23102011

 踏切の燈にあつまれる秋の雨

                           山口誓子

あ寒いなと、秋が終わってしまうことを感じたのは、雨の日の夜でした。ついこないだまで暑くてしかたがなかったのに、もう冬になってしまうのかと、なんだか寂しい気持ちになります。突然の雨に傘の用意もなく、濡れながら帰宅を急いでいます。明日やるべき仕事のことなどを考えながら、踏切が開くのを待っています。顔をあげてみれば、踏切の光の中を、雨がしきりに降りつのっています。今日の句、「あつまれる」というのは、なるほどうまい表現です。うまい表現だということが、はっきりと前面に出ているのに、特段嫌味な感じがしないのは、そのうまさが中途半端ではないからなのでしょう。踏切が開いて足早に渡ってゆきます。自分が集まるべき、燈の下へ向かって。『日本大歳時記 秋』(1971・講談社) 所載。(松下育男)


October 30102011

 次の間の灯で飯を喰ふ夜寒かな

                           小林一茶

うして隣の部屋の灯で食べているのかは分りませんが、たしかにそんな経験、一度か二度はあったなと思います。そう思ってしまったらもう、句の魅力に捕らわれているわけです。書かれていることは、ただありのままの様子を写しただけです。それなのに、読者の想像力は妙に膨らんで行きます。不思議です。この句に感心するのは、描き方の巧さではなく、これを描けば句になるという感覚です。隣の部屋の明かりで夕食を食べざるをえないのは、肩身の狭い状況にあるからなのでしょうか。ひとりで向かう小さな御膳の前で、悲しみそのもののような食事をしているのかもしれません。『日本大歳時記 秋』(1971・講談社) 所載。(松下育男)


November 06112011

 芝居見る後侘びしや秋の雨

                           炭 太祇

者は江戸時代の人ですから、ここでいう芝居は歌舞伎のことなのでしょう。芝居小屋の中では、夢見るように過ぎて行った華やかな時間が、外に出た瞬間に消えてしまったわけです。気分は急に現実にもどって、冷たい風が吹いているなと思って空を見上げれば、細い雨がそれなりの密度で降っています。この句が素敵なのは、芝居と現実の境目の線がくっきりと描かれているところです。日々の生活は地味なものだし、悩み事はいつだってあります。たまには芝居にうっとりして、あれやこれやのいやなことを忘れる時間がなければ、人生、やってられないよと、自分を慰めながら雨の道を歩き出すわけです。『日本大歳時記 秋』(1971・講談社) 所載。(松下育男)


November 13112011

 咳をしても一人

                           尾崎放哉

時記を読んでいて、どうしても立ち止まってしまうのが自由律の句です。冬の歳時記の「咳」の項を読んでいたら、有名なこの句に出くわしました。「咳をする」も「一人」も、寂しくつらいことを表す語彙の内に入ります。つまり両方とも同じ感情の向きです。でも、幾度読んでみても、この句には統一した流れを感じることができません。その原因はもちろん「も」が中ほどで句を深く折り曲げているからです。普通に読むなら、「咳をしてもだれも看病してくれない。わたしは一人きりでただ苦しみながら止まらぬ咳に苦しんでいる」ということなのでしょうが、どうもこの「も」は、もっと癖のある使い方のように感じられます。「一人」へ落ち込んで行く危険な曲がり角のような…、そんな感じがするのです。『日本大歳時記 冬』(1971・講談社) 所載。(松下育男)


November 20112011

 弱き身の冬服の肩とがりたる

                           星野立子

んとなく読み過ごしてしまいそうになりますが、本日の句に学ぶことは多いと思います。まず、人を見る目のあたたかさと柔らかさに驚いてしまいます。読めば読むほど、恐ろしいほどに眼差しの深さを感じるのです。「弱き身」とは、ことさら身体の弱い人のことを指しているのではないのでしょう。だれでもがその根っこのところでは、びくびくと生きているのです。その弱い精神を包み込むようにして着た服は、鎧のように肩がとがっているのかもしれません。すぐれた句を詠む、というよりも、すぐれた眼差しを持つことが、まずは目指されなければならないことなのだと、教えてくれているようです。『日本大歳時記 冬』(1971・講談社) 所載。(松下育男)


November 27112011

 店の灯の明るさに買ふ風邪薬

                           日野草城

くなってきたなと思い始めるころには、間違いなく風邪をひく人が出てきます。「風邪をひかないように気をつけて」という挨拶が、自然と口に出てくるようになってきます。今日の句、風邪薬を買っているのは風邪をひき始めた当の本人なのでしょう。勤め人には、どうしても会社を休めない日があって(というか、たいていの日はそうなのですが)、風邪は仕事の大敵です。洟水を気にしながらなんて、とてもじゃないけど集中して仕事ができません。「灯の明るさ」は、風邪の症状のうっとうしさから確かに守ってくれる安心感を表しています。あたたかなオレンジ色に輝く店の灯に包まれて、まずは気分だけでも多少は持ち直したいものです。『日本大歳時記 冬』(1971・講談社) 所載。(松下育男)


December 04122011

 初雪を見てから顔を洗ひけり

                           越智越人

浜とか東京とか、関東平野に長く住んでいると、初雪というものに対する感慨はそれほどありません。朝のニュースで、「昨日は東京にも初雪が降りました」と聴いても、ああそうかと思うだけです。というのも、目を細めなければ見えないほどのかすかな降雪が、短時間あるだけだからです。でも、積雪を経験する地域の人にとっては、「初雪」というのは特別な意味を持っているのでしょう。雪の中の生活への、境目としての重要な意味があるわけです。江戸期の俳人越山が見た初雪はどちらだったのでしょう。今の生活と違って、窓のない部屋の中で洗面を済ましたのではなく、外にむき出しの縁側を通り、顔を洗ったのではないでしょうか。季節の境目としての重い「初雪」を、日常の動作の中で軽くむかえる事。そのギャップの面白さをこの句から、読み取れるのではないでしょうか。『日本大歳時記 冬』(1971・講談社) 所載。(松下育男)


December 11122011

 忘年会脱けて古本漁りけり

                           阿片瓢郎

ける、ではなくてわざわざ「脱ける」にしたのは何か意図があったのでしょうか。にぎやかに酒を酌み交わしている人たちの間を、足をふんづけながら通って扉までやっとたどり着いた、そんな動作の様子を含めたかったのでしょう。楽しいはずの酒の席を途中で帰る。急いで帰らなければならない用事があるわけでもなく、脱けた理由は、ただ人と一緒にいるのが嫌だったからのようです。そういう気持ちの時って、確かにあります。でも、普通は最後まで我慢して付き合い、せめて二次会は断って帰るものです。しかし、この句の人は、どうにも我慢が出来なくなったのです。やっと一人になって、いつもの時間を取り戻し、人心地がつきました。今年一年のさまざまなことを思い出しながら、ぼんやりと好きな古本の表紙を眺めていることも、りっぱな忘年と言えるのかもしれません。『日本大歳時記 冬』(1971・講談社)所載。(松下育男)


December 18122011

 みかん黄にふと人生はあたたかし

                           高田風人子

更とは思うものの、黄色というのは実に色らしい色だなと思うのです。見ていて決していやな感じはしないし、この句にあるように、あたたかなものを与えてもらったような気持ちになります。冬の夜に、ゆったりとコタツに入ってしまったら、ついミカンに手が伸びてしまうし、ひとつ食べたらきりもなく食べてしまいます。生きてゆくための食物とは違ったところで、精神のすみずみまで水分を補給してくれているような果物。あるいは、日々の諸事に目減りしてくる幸せを、いくばくかは回復してくれそうな、とてもありがたいものなのだなと、この句を読んで実感するわけです。『日本大歳時記 冬』(1971・講談社)所載。(松下育男)


December 25122011

 クリスマス昔煙突多かりし

                           島村 正

の句を読んで、「ああそうか、サンタクロースは煙突から入ってくるのだったな」と、思い出します。クリスマスそのものを描こうとしているわけでもなく、煙突について書こうとしているわけでもありません。ただ単に、二つの単語を置くことによって、サンタクロースの太った姿をまざまざと思い起こさせてくれます。書きたいことに焦点を当て過ぎない。表現とは決して、これ見よがしであってはいけないのだと思うわけです。ところで、12月25日とは、当たり前かもしれませんが、テレビやラジオからクリスマスソングが流れるその年最後の日なのだなと、思うのです。山下達郎もWHAM!も、また一年間大切に、しまわれてしまう日であるわけです。『角川俳句大歳時記 冬』(角川書店・2006)所載。(松下育男)




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