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July 0572011

 いま汲みし水にさざなみ黒揚羽

                           今井 豊

んだ水がしばらく揺らめいている様子は、「もぎたて」「捕りたて」のような生きものめいた艶めきがある。目の前にある水が立てる生き生きとしたさざなみを見つめ、その小さな波頭に思いを寄せている。ざわめく気持ちがいずれは落ち着くことが分っている、なだめるような視線である。小さな水面のさざ波は、やがて穏やかな一枚の滑らかな水のおもてになるはずだ。一方、確かに生きているにも関わらず、黒揚羽の美しさはどこかつくりものめいている。さらに「バタフライ効果」といわれる「ブラジルでの蝶の羽ばたきがテキサスで竜巻を引き起こす」という予測可能説が頭をよぎり、その静かな羽ばたきによってもたらされる吉凶の予感が、見る者の胸をざわつかせる。予言者めいた黒揚羽が、汲んだ水を持つ者の手をいつまでも震わせ、さざなみ立てているのかもしれない。〈せりなずな生はさみどり死はみどり〉〈もてあます時間崩るる雲の峰〉『草魂』(2011)所収。(土肥あき子)


July 1272011

 ボート漕ぐ翼のごとく腕を張り

                           松永浮堂

を張り、肩甲骨を引き寄せるボートを漕ぐ動作と、鳥の羽ばたきの動きは確かに酷似している。ことにレガッタなど数人が連なるボート競技を見ていると、腕とオールが翼と化して、水面を羽ばたいているように見えてくる。長い翼の中心に据えられた背中が、ことに鳥のそれを思わせるのだ。以前、デイヴィッド・アーモンドの『肩甲骨は翼のなごり』という書籍をジャケ買い(カバーの印象が気に入って買ってしまうこと)したことがある。残念ながら内容は生物図鑑とはまるきり関係なく、感動的な小説だったが、なにより翼のなごりが自分の身体にもあるのだということが、心を広々と解放させてくれた。とはいえ、体重10kgほどの大白鳥でさえ、両翼を開いた状態で2mを越える。人間が飛べる翼とはどれほどのものだろうと調べてみると、なんと片翼だけで17mが必要になるという。邪魔か。『遊水』(2011)所収。(土肥あき子)


July 1972011

 蝉しぐれ丹念に選る子安石

                           苑 実耶

州の宇美八幡宮は「宇美=産み」ということで安産の神社で、境内には囲いのなかに氏名を記した手のひらほどの子安石が積まれている。立て札には「安産をお祈りの方はこの石を預かりて帰り、目出度くご出産の後、別の石にお子様の住所、氏名、生年月日をお書きのうえ、前の石と共にお納めくださって成長をお祈りされる習慣となっております」と書かれ、参拝者が自由に持ち帰ることができる。個人情報重視の昨今の時勢からすれば、まったく言語道断ともいえるものかもしれないが、無事生まれてきた赤ちゃんが、これから生まれてくるお腹の赤ちゃんを見守り、引率してくれるという赤ちゃん同士のネットワークのような考え方に感嘆する。また全国の安産祈願のなかには、短くなったロウソクを分けるという習慣もあることを聞いた。火が灯る短い間にお産が済むようにという願いからだという。このような全国に分布するさまざまな安産をめぐる習わしには、出産が生死を分かつ大仕事という背景がある。何十何百の怒鳴りつけるような蝉の鳴き声がこの世の象徴のようでもあり、灼熱の太陽に灼かれた石のより良さそうなものを選る人間らしい健気な仕草を笑う天の声のようにも思える。〈ひとなでの赤子の髪を洗ひけり〉〈泣けば済むさうはいかない葱坊主〉『大河』(2011)所収。(土肥あき子)


July 2672011

 幽霊坂に立ちて汗拭く巨漢かな

                           福永法弘

漢に「おとこ」とルビあり。日本中の地名が合併統合などによって整理され、分りやすさ重視のそっけない名前に変更されているなか、東京にある多くの坂には昔の面影を偲ばせる名が残されている。掲句は神田淡路町の幽霊坂で「昼でも鬱蒼と木が茂って、いかにも幽霊が出そうだから」と由来される。そこに立つ汗まみれの大男は実像そのものでありながら、坂の名によってどこか現実離れした違和感を刻印する。ほかにも、文京区には「やかんのような化け物が転がり出た」という夜寒坂や、「あまりに狭く鼠でなくては上り降りができない」鼠坂など、車が行き来する道路の隙間に置き去りにされたような坂道が残されている。もっとでこぼこして、野犬がそぞろ歩き、日が落ちればたちまち人の顔も見分けられないほど暗くなっていた頃の東京(江戸)も、おおかたは今と同じ道筋を保ち、町がかたち作られていた。今も昔も、人々は流れる汗を拭いながら、この坂を上り降りしていたのかと思うと、ひとつひとつの坂が愛おしく感じられる。掲句が所収される『千葉・東京俳句散歩』(2011)は、北海道、鹿児島に続いて作者の3冊目となる俳句とエッセイのシリーズである。東京23区、千葉54市町村のそれぞれの横顔が俳句とともにつづられている。(土肥あき子)


August 0282011

 心太足遊ばせて食べにけり

                           佐藤ゆき子

透明のトコロテンがガラスの器におさまっている様子は、かたわらに添えられているものが酢醤油と練り辛子であっても、黒蜜ときな粉であっても絵になる涼しさである。天突きで頭を揃えて出てくるかたちにも似て、するするっと胃の腑に落ちれば、酷暑にへこたれている身体もしゃんとするのではないか。ではないか、と憶測するのは、個人的には苦手なのだ。しかし、他人が食べているのを見ていると、なんとも美味しそうに思えるのだから不思議だ。あまりにも美味しそうに見えて、何年かに一度は、一本くらいもらったりするのだが、やはり口にすれば苦手を再認識するばかりである。あるとき、心太を前にした母が「つわりの時でさえ、これだけは食べることができて三食ずっと食べてた」とつぶやいた。わたしの誕生日は10月である。その前の数カ月、母はひたすらこればかりを摂取していたのだ。医学的に立証されなくても、きっとここに原因があるのだと思う。来る日も来る日も心太ばかりで、わたしはもうじゅうぶん食べ過ぎたのだ。とはいえ、透明感と涼感に溢れる食べ物であることには間違いない。掲句の「足を遊ばせる」とは、縁側や、やや高い椅子などに腰掛けて、足を揺らす動作だが、心太が収まっていく身体が喜んでいるようにも思える。〈尺蠖に白紙のページ這はれをり〉〈卓上が海へと続き夏料理〉『遠き声』(2011)所収。(土肥あき子)


August 0982011

 八月の赤子はいまも宙を蹴る

                           宇多喜代子

1945年の本日午前11時2分、長崎市に原爆が投下された。その瞬間赤子は永遠に赤子のまま、時間は凍りついた。掲句の赤子が象徴しているものは、日常が寸断された世界である。笑おうとした顔、なにげなく見あげた時計、蝉の背に慎重にかざす捕虫網。普段通りの仕草の途中で、唐突に命がなくなってしまったとき、その先に続くはずだった動作は一体どこへ行ってしまうのだろう。彼らは、永遠に笑い、時計を見やり、蝉を捕り続けているのではないのか。その途方に暮れた魂を思うとき、わたしたちは今も頭を垂れ、醜い過ちを思い、静かに祈るしかないのだろう。『記憶』(2011)所収。(土肥あき子)


August 1682011

 つれあひに鼻あり左大文字

                           嵯峨根鈴子

夜は京都五山送り火。掲句の大文字は、金閣寺大北山の大文字山である。北山も東山も大文字山と呼ばれているため、御所から見て向かって左にある北山を左大文字、右にある東山を大文字または右大文字と区別しているといわれる。北大文字は、東山の「大」の字を反転させているため左の流れが長いとか、少し小さいので女文字だとか、要は左右対と見なされている。掲句の「つれあひ」なる夫婦の関係に、この対をなす大文字が響き合うことで少々の屈託が生まれた。夫に鼻があるのは当然ながら、炎に照らされた横顔をあらためて見ることの新鮮さが、鼻という輪郭に集約されている。そしてこんなときこそ、この世界でたったひとりの男性と夫婦というかたちを十数年(もっとかもしれないが)続けていることの、不安とも安堵ともつかぬ不思議な感触が芽生えている。ところで、今年は東日本大震災で津波に倒された陸前高田の松原の松を大文字で燃やす計画が、二転三転したあげく、中止になった。放射性物質という得体の知れない恐怖が人の心をかき乱す。『ファウルボール』(2011)所収。(土肥あき子)


August 2382011

 いくたびも手紙は読まれ天の川

                           中西夕紀

の川と並び銀漢、銀砂子が秋季に置かれているのは、秋の空気がもっとも星を美しく見せるという理由からである。とはいえ、連歌の時代から天の川は七夕との関係で詠まれてきた。掲句も何度も開かれる手紙に、天の川を斡旋したことで七夕を匂わせ、恋文を予感させ、また上五の「いくたび」が、単に何回もというよりずっと、女性らしい丁寧な所作を感じさせる。今年の旧暦の七夕は8月6日だった。新暦の7月では梅雨さなかで、旧暦になると台風のおそれがあるという、七夕はまことに雨に降られやすい時期にあたる。一年にたった一度の逢瀬もままならないふたりの間に大きく広がる天の川が、縷々と書き綴られた巻紙にも見え、会えない日々を埋めているように思えてくる。今夜の月齢は23.3。欠けゆく月に星の美しさは一層際立ち、夜空にきらめくことだろう。〈貝殻の別れつぱなし春の暮〉〈白魚の雪の匂ひを掬ひけり〉『朝涼』(2011)所収。(土肥あき子)


August 3082011

 蟻地獄蟻を落して見届けず

                           延寿寺富美

地獄は薄羽蜉蝣(ウスバカゲロウ)の幼虫地面に作る漏斗状の巣穴である。ここに足を取られ落ちてきた蟻やだんご虫などの小さな昆虫を補食する。縁側の下などにきれいに並んで作られていたことはあっても、その仕掛けの一部始終を見届けたことはない。虫たちは流砂のようにすり鉢の奥へ吸い込まれてしまうのか、それとも落ちかかる虫に飛びかかって巣穴へと引き込むのだろうか。作者は蟻地獄の形状を見て、面白半分に手近の蟻を落してみたものの、すり鉢の斜面を四苦八苦する姿だけ見てその場を去ってしまった。蟻地獄という昆虫に餌を与えた、という行為が、一匹の蟻を地獄に落したと言い換えられるのである。そして、なおかつ見届けもせず立ち去るという仕打ちが一層残虐に響いてくる。しかし、取り立てて書いてみれば残酷めいて映るが、このような行為は過去を振り返れば誰でも経験があることではないのか。だからこそ、あえてその通りに詠んだことで、掲句に一種の爽快感すら覚えるのである。すり鉢の奥には一体どのような世界が広がっているか。かくして、地獄という名を負う虫は、薄羽蜉蝣へと羽化する。地獄から一転、はかなさ極まる名に変わったのちの命は、数時間から数日だという。〈ふるさとは南にありし天の川〉〈大旦神は海より来たりけり〉『大旦』(2011)所収。(土肥あき子)


September 0692011

 早稲の香や雲また月を孕みたる

                           三森鉄治

方によっても異なるが、早稲の収穫は8月下旬。今年はほんの少しだが田植えの手伝いをさせていただいたこともあり、日本中のどこの田の様子もなにかと気になる。早苗が青田になり、稲になるまでの間に台風の通過や大雨のニュースがこんなにあるとは思わなかったので、早稲刈り取りの記事に胸をほっと撫で下ろす思いがした。月を隠しては明らかにする流れる雲を「月を孕む」と表現した掲句に、稲が幾多の障害をくぐりぬけ、色づき豊かに実る姿を重ねる。みごとに実った稲は甘い香りがするという。実は今まで稲が香るなど、感じたことも思ったこともなかった。今年はどこかで、実った田の香りを身体いっぱいに詰めてこようかと思う。田んぼも畑もずいぶんある場所で育ったはずなのだ。「あー、これなら知ってる」と身体が頷いてくれるかもしれない。〈まつさきに老いし鹿来て水飲めり〉〈それぞれの丈に山ある九月かな〉『栖雲』(2011)所収。(土肥あき子)


September 1392011

 青空やぽかんぽかんとカリンの実

                           沼田真知栖

載句のカリンは漢字。カリンもパソコン表示できない悩ましいもの。か(榠)はあっても、りん(木偏に虎頭に且)がない。りんごや梨のように枝から垂れるように実るというより、唐突な感じで屹立する。この意表をついた実りかたをなんと表現したらよいか、まさに掲句の「ぽかん」がぴったりなのだ。カリンの果実はとても固くて渋いので、生食することはできない。部屋に置いても長い期間痛むことなく、なんともいえない豊潤な香りを漂わせてくれるので、どこに落ちていても必ず持ち帰ることにしている。姿かたちもごく近しいマルメロはバラ科マルメロ属、カリンはバラ科ボケ属とわずかに異なる。サキの小説に『マルメロの木』というユーモア短編がある。愛すべき老婦人の庭の隅にある一本の「とても見事なマルメロの木」のために起きる小さな町の大騒動を描いたものだ。これもぽかんぽかんと実るマルメロがじつによい味を出している。〈小鳥くるチェロの形のチェロケース〉〈さはやかや橋全長を見渡して〉『光の渦』(2011)所収。(土肥あき子)


September 2092011

 いつもあなたに褒められたかつた初涼

                           阿部知代

山本紫黄の前書がある。「面」を主宰していた山本紫黄は〈新涼の水の重たき紙コップ〉〈日の丸は余白の旗や春の雪〉など、諧謔と抒情の匙加減の絶妙な作家であった。俳縁とは不思議な縁である。ともすれば、その人の年齢も生業も知らないまま、何十年と付き合いが続く。亡くなって初めて、ご家族の顔を知ることも少なくない。俳人の葬儀では、故人が句会で発していた名乗りを真似た声が、どこからともなく上がるという。おそらく家族や親戚も知らない、座を共有した者たちだけが知る故人の声である。それはまるで鳴き交わしあった群れが、去っていく仲間に送る最後の挨拶のようだと、今も深く印象に残っている。俳句は、おおかたが大人になってから出会うこともあり、褒められるという機会がなくなった頃、句会で「この句が好きだ」と臆面もなく他人から言われることの喜びを得られる場である。そして、誰にも振り向かれなくても心から慕う人だけに取られたときの充足はこのうえないものだ。師を失った弟子の慟哭は限りない。生前は言えなかったが、もう会えない聞いてもらえないからこそ吐露できる言葉がある。そして、これほど切ない恋句はないと気づかされる。「かいぶつ句集」(2011年9月・第60号特別記念号)所載。(土肥あき子)


September 2792011

 小鳥来る三億年の地層かな

                           山口優夢

6回俳句甲子園大会最優秀句となった作品である。三億年前とはペルム紀という年代にあたる。ペルム紀は地球史上最大の大量絶滅で時代を終えた。それは連続した火山噴火の大量の粉塵によって太陽光が遮られたことによると考えられているが、これが9割の海洋種と7割の地上動物が死に絶えさせた。その後一億年の時間をかけ、生命は辛抱強く進化をとげ、ふたたび命あふれるジュラ紀、白亜紀を経て、現在の地表まで続いている。小鳥たちが翼を持ち、子育てのために移動をする手段を覚えたことも、悠久の歴史のなかで繰り返し淘汰され選択された結果である。掲句は渡ってきた小鳥たちを見上げ、踏みしめている土の深部に思いを馳せる作者が、地表から小鳥たちまでの空間を結びつける。地層を重ねる地球の上に立っている事実は、どこか地球のなりたちに加わっているような、むずむずとくすぐったい、雄大な心地となるのである。〈あぢさゐはすべて残像ではないか〉〈鳥あふぐごとナイターの観衆は〉『残像』(2011)所収。(土肥あき子)


October 04102011

 四つ折りの身の濡れてゐる秋の蛇

                           山崎祐子

紙などで四つ折りといえば、十文字に四分割することだが、こと蛇の場合にはその名の通り蛇腹折りになっている姿だろう。山折りと谷折りを繰り返すかたちを「蛇腹」と名付けた感覚の生々しさにあらためて脱帽するが、掲句はあえて「四つ折り」と形容したことで、濡れた蛇の身体に大きな折り目が生まれ、光沢が加わった。そして「身」といわれれば、四肢もなく首や腰などのくびれもない蛇にとって、どこもくまなく身以外のなにものでもなく、頭といってどこまで頭か、尾といってどこからが尾か、など異様な容姿へと思いは至る。とはいえ、空に架かる虹が天と地を結ぶ蛇の姿と見なされていたり、稲光りが美しい白蛇に変わったり、古来よりたびたび神の使いとされる生きものであることも、現実の姿に一層の妖しい力を与えている。蛇はまるで儀式のように、夜露で浄められた身を丁寧に四つにたたみ、冬眠のその時を迎えるための準備を整える。「りいの」(2011年2月号)所載。(土肥あき子)


October 11102011

 罪なくも流されたしや佐渡の月

                           ドナルド・キーン

本文学研究の第一人者として知られるキーンさんが架け橋となり、ロンドン大英博物館で1962年に発見された説経浄瑠璃「越後國柏崎弘知法印御伝記」が300年ぶりに復活した。掲句は、繰り返し新潟へ足を運んだおりに出来たものだと、酒席でさらさらと書かれた一句である。普段俳句は作らないが、佐渡を見たときに胸に湧いた言葉は紛れもなく俳句であったという。このほど日本国籍を取得し、日本を人生最後の旅先と決めた。数年前、東京で地下鉄の駅の行き方を尋ねられたことがとても嬉しかったという。日本のなかで、外人ではなくただの人間になれた、と。年齢を重ねると顔立ちは国柄より人柄を放つようになる。東京の地下鉄で途方に暮れた女性にとって、キーンさんはひとりの優しそうな男性だったのだろう。今宵の月齢は13.7、天心に輝くのは23時。きっと日本のどこかで、ただの人間として美しい10月の月を眺めていることだろう。(土肥あき子)


October 18102011

 補陀落も奈落もあらむ虫の闇

                           根岸善雄

陀落(ふだらく)とは、観音が住むといわれるインドの南海岸にある八角形の山。この山の華樹は光明を放つとも、芳香を放つともいい、観音の浄土として崇拝されてきた。一方、奈落とは地獄である。掲句で使用されている「虫の闇」は、虫の音とともに、鳴き声を発している空間に注目している季語である。風の音や虫の音に秋のあわれを感じる寂寥の気持ちに加え、暗闇から響くものが命の限りの絶唱であることへの戦慄も含まれる。虫の声は高くなり低くなり、あるときはぴたりと止み、また堰を切ったように湧き返る。この息づく闇に、地獄と極楽を見てしまった作者も、感傷的になるより、ふと怖れを感じたのだと思う。先日、夜の上野公園を横切ったとき、耳を覆うほどの虫の声に包囲された。人間の気配にひるむことなく、近寄ればかえって力強く鳴き始めるものさえいたようだ。しかし、来週あたりには、同じ場所はただの暗闇となり、ひっそりと静まりかえっていることだろう。あれほどの声の主たちの骸はどこにも見当たらぬまま。〈星合の夜や海盤車(ひとで)らは眠れるか〉〈雪吊を解きし荒縄焚きにけり〉『光響』(2011)所収。(土肥あき子)


October 25102011

 しばらくは手をうづみおく今年米

                           小島 健

い頃から食事の都度「ご飯を残してはいけない」「お米という字は八十八の手間がかかるという意味だ」と聞かされ、食事ができたから呼んできて、と言われれば「ごはんだよー」と声を掛けてきた。朝ご飯、昼ご飯、晩ご飯、どれもほっこりとやさしい響きがする。今や米食は、必ずしも毎回の食事に顔を出すものではなくなったが、かつて日本人にとってお米とは食事そのものだったのだ。子どもの頃は炊きあがったご飯のつやつやとした美しさとおいしさしか知らなかったが、大人になってからは精米されたばかりの米にも輝く白さと、甘い香りがあることを知った。掲句の「うづみおく」とは、うずめておくの意。きらきらとした新米が届き、ふと手を差し込んでみれば、小さな一粒一粒が、指の間をふさぎ、ひやりとした感触が手を包み込む。一般的に「米粒ほど」とは、小さいものの例えだが、この丹念に手をかけられた小さき一粒はことのほか美しく尊いものである。新米に埋めた手をぎゅっと握り、命のひしめきをじかに感じてみたくなった。〈夕星や鯨ぶつかる音がする〉〈冬眠やさぞ美しき蛇の舌〉『小島健集』(2011)所収。(土肥あき子)


November 01112011

 萩刈りて風の行方の定まらず

                           柚口 満

や芒などなびきやすいものの姿を見つめていると、風の通り道がはっきりと分りますねという句は多く見かけるが、掲句は刈ってしまった萩のおかげで風が迷っているとでもいう様子なのだ。たまたま風があるから穂がなびくのではなく、なびかせるのが面白くて風は通っていたのだと思わせる。たしかに渦を巻いたり、突風を吹かせたり、風には単なる気象現象というにはあまりに意図的でいたずらな横顔を持っている。ちなみに「風のいたずら」でGoogle検索してみると、なんとまぁ愉快で迷惑ないたずらの数々。個人的な思い出だと、成人式の日が強風で、長い振袖が風をはらみどうにも収拾がつかず、まるで蜻蛉のお化けのようになり果てたことを覚えている。そんないたずら者の風が、今日もまた萩野でひと暴れしてやろうと駆けつけたところ、あったはずの萩がすっかり刈られてなくなっていたのだ。がらんとした野原で、途方に暮れている風はしばらく右往左往したのち、また次の手を考えてどこかへと駆け抜けていくのだろう。〈サーカスの檻の列行く鰯雲〉〈寒林といふ鳥籠のなかにゐる〉『淡海』(2011)所収。(土肥あき子)


November 08112011

 冬うらら足し算だけの練習帳

                           長谷川槙子

人になれば目を閉じても書ける数字も、小さい頃は4も8も難しかった。反対向きやら横になってしまうものやら、今となってはふざけているとしか思えない不思議な間違いを繰り返す。私は左効きの矯正のせいか、鏡文字を書いてずいぶん親を悩ませたようだ。「また反対」と言われ続けると、混乱してなにがどう反対なのかがわからなくなってくる。それでもいつのまにか数字もひらがなも間違わなくなったのは、単に正しく書くことに慣れただけのような気がする。掲句ではきっと習いたての大きな数字が不格好に並んでいるのだろう。足し算は小学校一年生の算数の始まりである。例題を見てみると「お母さんからみかんを2つもらいました。お兄さんからも3つもらいました」。そうそう、足し算はいつでももらってばかり。引かれたり、掛けたり、よもや割ることまで控えていようとは思いもよらない時代が存在していたことを、日だまりのあたたかさで思い出している。『槙』(2011)所収。(土肥あき子)


November 15112011

 ほどけゆく手紙の中の焚火かな

                           西原天気

火には炎の色と心地よい火の爆ぜる音が重なり、どこか湧き立つ思いになるものだ。なにもかも燃やしておしまい、という豪快な気持ちも焚火の本意だろう。しかし、掲句は焚火のなかの手紙に注目している。手紙だけをまとめて焼いているのか、その他のものと同時に焼いているなかで手紙をクローズアップしているのか。どちらにしても木片と違い、紙が燃えるときに音は出ない。しずしずと縮まりながら炭化していく。掲句は「ほどけゆく」としたことで、封筒から手紙へと火が移り、ひもといていくような時間があらわれている。炎は束になった紙をほどき、文章はばらばらの文字の集まりとなり、そしてひと文字ひと文字をしずかに浸食していく。ついさっきまで文字だった煙が、冬の空へと吸い込まれていく。『けむり』(2011)所収。(土肥あき子)


November 22112011

 やすませてもらふ切株冬あたたか

                           宮澤ゆう子

ることができる大きさの切株とは、どれほどの樹齢なのかと調べてみると、松の場合、直径10センチで樹齢50年、40センチで100年〜200年が目安という。大きな切株であればさらに樹齢を重ねており、掲句の「やすませてもらふ」に込められた擬人観もたやすく理解できる。大木であった頃に広げていた枝に羽を休める小鳥や、茂る葉陰を走り回っていたリスは消えてしまったが、今では旅人が憩う切株として姿を変えた。本格的な冬を間近に控えた明るい空気のなかで、数百年を過ごした歳月に、今腰掛けているのだという作者の背筋の伸びるような思いが伝わる。長い時間をかけ大木となった幹はあっけなく切り倒され、年輪をあらわにした切株となり果てた。とはいえ、無惨な残骸とはならず、あたたかな日を吸い込みながらまた長い時間を過ごすのだ。『碧玉』(2009)所収。(土肥あき子)


November 29112011

 冬麗や象の歩みは雲に似る

                           大橋俊彦

に象のかたちを見てとることはあっても、地上最重量の象を見て、雲と似ているなど誰が思いつくだろう。とはいえ、言われて動物園などで目の当たりにしても象の歩みは、どしんどしんと地を響かせるようなものではなく、対極のひっそりした趣きさえたたえている。これは側対歩という同じ側の足を踏み出し、前足のあったところにきれいに後ろ足が重なるという歩き方のためと、足底に柔らかいパッド状に脂肪が付いていることによるのだというが、象のもつ穏やかで優しげな雰囲気もひと役買っているように思う。以前、タイで象の背に乗ったという友人が「思いのほか揺れた」と言っていた。もしかしたら、雲もまた乗ってみれば思いのほか揺れるものなのかもしれない、などと冬の青空に浮かぶ雲を眺めている。〈梟の視界の中を出入りせり〉〈冬至湯の主役にゆず子柚太郎〉『深呼吸』(2011)所収。(土肥あき子)


December 06122011

 骨色の石をあらはに水涸るる

                           檜山哲彦

々と流れる水に住む魚や、両岸の青々とした草木、そこに集う動物たち。生命の息吹に満ちた季節の川は、生きものを育む清らかな器であり、自然のなかの景観のひとつであった。それが冬となって、水量が少なくなり、水面から乾いた頭を覗かせている石を作者が骨色であることを発見したとき、川そのものにひと筋の命が宿る。先日「渓相(けいそう)」という言葉を知った。人に人相があるように川や沢にも渓相があるのだという。冬の渓相はさながら痩身の険しさだろう。ところどころに、身のうちの骨をちらつかせながら、川の旅は海へと続く。春になり、雪解けの水があふれたとき、骨色の石をふところ深く沈め、川は喜び勇んで身をくねらせる。そしてふたたび、清らかな器となって生きものを育むのだ。「りいの」(2011年2月号)所載。(土肥あき子)


December 13122011

 死ににゆく木偶の髪結ふ雪催

                           渡 たみ

偶とは、人形浄瑠璃で使用する木彫りの操り人形のことである。動く人形を見世物としたのは平安時代より見られ、時代とともに目や口、五指が動くからくりによって、より人間に近いなめらかな動きを可能にした。農村各地まであまねく小屋が隆盛し、江戸中期には歌舞伎を圧倒するほどの人気を得たという。以前見た木偶人形は20条以上の糸に操ることよって人間の動作を再現していた。それは人間の骨や筋肉を代行しているかのような緻密さである。掲句では、今は単なる人形の頭であるものが、舞台に出れば嘆き悲しむ人そのものとなって、死ぬ運命が待っている。あれほど繊細な動きをするものに魂が入らないわけがない。あまりに人間らしく作られた人形たちが、なぜか不憫に思えて仕方がないのだ。『安宅』(2008)所収。(土肥あき子)


December 20122011

 平らかな石に渡りの数記す

                           原 和子

在では見ることはないが、鉛筆や紙がじゅうぶんに普及されるまで、石板と石筆が筆記具だった時代があった。また高松塚古墳や古代エジプトの壁画を例に出すまでもなく、滑らかな石の面になにかを残そうとするのは人間の本能でもあるようだ。掲句の石とは、渡り鳥がたどり着く川辺の、水に洗われ、日に月にさらされた石であろう。そしてそこに記された数とは、おそらく単なる数字ではないように思う。例えば五ずつ数えるのに、日本では正の字を使うが、世界では星を描いたり、四本の棒に横線など、さまざまな数え方がある。これらには、最終的な数という総数ではなく、ものごとをひとつひとつ見つめている真摯な思いがある。渡り鳥という命をかけた生きもの数を記すのに、もっともふさわしいのは、紙の上に書かれた合計ではなく、石に刻まれた一のかたまりなのだろうと強く思うのである。『琴坂』(2011)所収。(土肥あき子)


December 27122011

 温め鳥由の字に宀(うかんむり)かぶす

                           中村堯子

談社日本大歳時記の森澄雄の解説によると「暖鳥(ぬくめどり)」とは「鷹は寒夜、鳥を捕えて、その体温でおのが足を暖め、夜が明けると放ってやるという。連歌作法書『温故日録』にはその鷹は鶻(こつ)となっているが、鶻は放った鳥の飛び去る方を見て、その日はその鳥を捕えないという。」と書かれている。最後の「その日はその鳥を捕えない」という部分に強者が弱者へほどこす慈悲を感じ、真偽のほどより報恩の話しとして事実を超えた季語のひとつである。掲句の由の字に宀をかぶせれば宙になる。ひと晩を生きた心地のしなかった小鳥が放り出された空中を思い、また宀の形が鷹のするどい爪根を思わせる。いつまでもあたたまらない指先をストーブにかざしながら、鳥の逸話と漢字が一致する不思議な一句が心を捕えて離さない。〈鳥渡る紙を鋏がわたりきり〉〈ハンカチを膝に肉派も魚派も〉『ショートノウズ・ガー』(2011)所収。(土肥あき子)




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