_句

July 1372011

 夕焼の樹々まっくろく蝉鳴けり

                           高垣憲正

あかと西空をみごとに染めあげている夕焼を遠景にして、今日を限り(?)と蝉が激しく鳴いている。燃えるように広がる夕焼の赤に対して、「まっくろ」を対置した大胆さには舌を巻かざるを得ない。実際に蝉の鳴く声が黒いわけではない。蝉が樹に蝟集しているのであろう。そのびっしり寄り集まっている様子から、鳴き声までも黒々と感受されていて穏やかではない。「黒々」ではなく「まっくろ」という衝撃。私は十数年前に広島の真昼の公園で、樹の幹に蝉がまっくろに蝟集して鳴いている場面に出くわしたことがある。あの時の無気味な光景は今も忘れることができない。いちばん早く鳴きはじめる松蝉(春蝉)にはじまって、にいにい蝉、あぶら蝉、くま蝉……とつづく。雌の蝉は鳴かないから唖蝉。高橋睦郎が直近で「雌(め)の黙(もだ)のひたと雄蝉の歌立たす」他蝉十句を発表している。(「澤」7月号)詩人である憲正は句集のあとがきで「若い日の俳句の勉強が、ぼくの現在の詩の手法に、決定的な影響を及ぼしていることにも、あらためて驚かされる」と記している。過半の句が高校生のころのものだが、いずれもシャープである。他に「蟹あまたおのが穴もち夏天もつ」など。『靴の紐』(1976)所収。(八木忠栄)


June 2262016

 蟹あまたおのが穴もち夏天もつ

                           高垣憲正

般に俳句では、水蟹は「春」、海蟹は「冬」とされるという。『新歳時記・夏』では「夏の蟹は、つゆどきの渓流、磯などの小蟹をさしている」と説明されている。掲出句では「夏天」ゆえ、ここでは夏の蟹である。あまたの蟹はおのれの棲家=穴をもっている。なかには「おのが穴」をもたない、ホームレスの蟹もいるだろうか。だとしたら、せつないやら愉快なやらではないか。まさか人間世界じゃあるまいし、きちんとおのがじし穴をもっていて、ホームレスなどいないのかもしれない。水中を主たる生息地とする蟹に「穴」ばかりでなく、「夏天もつ」と詠んだところからおもしろさが増したし、俳句も大きくなった。蟹は穴掘りの名人だと言われるが、慌てると自分の穴に戻ることができなくなることもあるそうだ。小学生の頃、家の裏を流れている小川の石垣の間に手を突っこむと、たいてい藻屑蟹がひそんでいて、蟹取りに興じたことがある。「蟹はおのれの甲羅に似せて穴を掘る」と言われる。人間は良くも悪くも、そうはいかないケースが多いから始末が悪い。憲正には他に「木陰出てトロッコ浜へ突き放つ」がある。『靴の紐』(1976)所収。(八木忠栄)




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