台風一過、見事な晴天。とは、どうやらいかないようでして…。(哲




2011ソスN7ソスソス21ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 2172011

 蟻蟻蟻蟻の連鎖を恐れ蟻

                           米岡隆文

ンクリートに囲まれたマンション暮らしをしているとめったに蟻を見かけない。子供の頃は庭の片隅に座り込んで大きな黒蟻を指でつまんだり、薄く撒いた砂糖に群がる蟻たちの様子をじっと見つめていた。あの頃地面を這いまわっていた蟻はとても大きく感じたけど、今はしゃがみ込んで見つめることもなく蟻の存在すら忘れてしまう日常だ。蟻の句と言えば「ひとの目の中の  蟻蟻蟻蟻蟻」(富沢赤黄男)が思い浮かぶが、この込み入った字面の連続する表記が群がる蟻のごちゃごちゃした様子を表しているようだ。掲句の蟻は巣穴まで一列に行進する蟻から少し離れてぽつねんといるのだろう。その空白に集団に連なる自分の不安感を投影しているように思える。『隆』(2011)所収。(三宅やよい)


July 2072011

 あたご火のかはらけなげや伊丹坂

                           井原西鶴

の攝津地方には、各地に愛宕神社(火伏せの神)があったという。そのなかの一つの愛宕神社まで、人々は万灯を点して参詣する、その灯の光を伊丹坂から詠んだものだろうとここは解釈したい。「あたご(愛宕)火」は七月二十四日夜に行われる投げ松明の行事である。そして「かはらけなげ」は、京都にある愛宕山での「かはらけ(土器)投げ」の遊びを踏まえている。落語の名作「愛宕山」は、ある大家の旦那が芸者・幇間を引き連れて愛宕山へ遊興するという、まさに春風駘蕩といった噺で、最後には旦那が土器のかわりに本物の小判を何枚も谷底へ投げて、幇間の一八をからかうというもの。上方落語では京都の愛宕山、東京落語では東京の愛宕山が舞台になることが多い。ところで、掲句の「かはらけ」と「伊丹坂」の間にも関連があって、伊丹の名酒「諸白(もろはく)」を、かはらけ(土器)で飲むという連想がここで働いているようだ。広大なパースペクティブをつくり出している句である。西鶴は十五歳のころから俳諧をたしなみ、のち談林風の雄となった。一昼夜独吟二万三千五百句を興行したこともよく知られている。晩年の句に「大晦日定めなき世のさだめ哉」がある。『西鶴全句集』(2008)所収。(八木忠栄)


July 1972011

 蝉しぐれ丹念に選る子安石

                           苑 実耶

州の宇美八幡宮は「宇美=産み」ということで安産の神社で、境内には囲いのなかに氏名を記した手のひらほどの子安石が積まれている。立て札には「安産をお祈りの方はこの石を預かりて帰り、目出度くご出産の後、別の石にお子様の住所、氏名、生年月日をお書きのうえ、前の石と共にお納めくださって成長をお祈りされる習慣となっております」と書かれ、参拝者が自由に持ち帰ることができる。個人情報重視の昨今の時勢からすれば、まったく言語道断ともいえるものかもしれないが、無事生まれてきた赤ちゃんが、これから生まれてくるお腹の赤ちゃんを見守り、引率してくれるという赤ちゃん同士のネットワークのような考え方に感嘆する。また全国の安産祈願のなかには、短くなったロウソクを分けるという習慣もあることを聞いた。火が灯る短い間にお産が済むようにという願いからだという。このような全国に分布するさまざまな安産をめぐる習わしには、出産が生死を分かつ大仕事という背景がある。何十何百の怒鳴りつけるような蝉の鳴き声がこの世の象徴のようでもあり、灼熱の太陽に灼かれた石のより良さそうなものを選る人間らしい健気な仕草を笑う天の声のようにも思える。〈ひとなでの赤子の髪を洗ひけり〉〈泣けば済むさうはいかない葱坊主〉『大河』(2011)所収。(土肥あき子)




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