週末は十五周年記念の集い。間違っても台風など来ませんように。(哲




2011ソスN7ソスソス25ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 2572011

 老犬の目覚めて犬に戻りゆく

                           菊池麻美

んだ途端に、人間にも通じるなと思った。仔犬や若い犬は、寝ているときも犬そのものだ。犬としか見えない。だが老いた犬の場合には、まさか他のものと見間違うほどではないにしても、精気が感じられないので、ボロ屑のようにも思えてしまう。それが目覚めてのそりと起き上がり、動きはじめると、だんだん本来の犬としての姿に戻っていくと言うのである。この姿の移り行きは、人間の老いた姿にも共通しているようで、もはや私も他人のことは言えないけれど、多くの老人の昼寝のあとのそれと似ている気がする。実際、たとえば九十歳を過ぎたころからの父の昼寝姿を見ていたころには、あまり生きている人とは映らなかった。ボロ屑のようだとは言わないにしても、精気のない人の寝姿はいたましい。半分くらいは「物」のようにしか見えないのだ。それが起き上がってくると、徐々に人間らしくなってきて安心できた。この句、作者は犬に託して人間のさまを言いたかったのかもしれない。俳誌「鬼」(26号・2011)所載。(清水哲男)


July 2472011

 地下深き駅構内の氷旗

                           福田甲子雄

の句をはじめて読んだ時には、東京駅近くの地下街を思い出しました。でも句は、「駅構内の」と明確に言っています。勝手に読み違えていたのに、なんだか抱いていた印象が失われてしまったようで、さびしくなります。でも、読み違えを正してから読みなおしてみても、やはり印象の深い句に違いはありません。この句の魅力は、物が、当然あるべき場所ではないところにある、その意外性にあります。氷旗といえば、炎天下の道に、入道雲の盛り上がった空に向かって立っているのが普通です。しかしこの句では、空もない、風もない、強い日差しもない場所に、ただ立てられているというのです。視覚的な逆説、とでも言えるでしょうか。もちろん通りすがりに構内の氷旗を見た人の頭の中には、そこから大きな夏の空が広がってきてはいるのです。この句を読んだ人たちの想像の中にも、きちんと夏雲が盛り上がってきているように。『新日本大歳時記』(2000・講談社) 所載。(松下育男)


July 2372011

 パスポート軽く大暑の地を離る

                           高勢祥子

日のカレンダーに、大暑、とあり暑さが増す。そんな中、なんともうらやましい一句である。パスポート軽く、に惹かれたが、くどくど説明するとせっかくの旅心が台無しになりそうだ。他に〈河童忌やセーヌに足を投げ出して〉〈とり鳴くをふらんす語とも水涼し〉とあるので行き先が想像されるが、セーヌのほとりで芥川を思っている作者は、たくさんの旅の思い出を俳句と共に大切にしまっていることだろう。写真より鮮明に一瞬がよみがえる、そんなこともある俳句である。合同作品集『水の星』(2011)所載。(今井肖子)




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