長崎忌といえば、永井隆博士の『この子を残して』を思い出す。(哲




2011ソスN8ソスソス9ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 0982011

 八月の赤子はいまも宙を蹴る

                           宇多喜代子

1945年の本日午前11時2分、長崎市に原爆が投下された。その瞬間赤子は永遠に赤子のまま、時間は凍りついた。掲句の赤子が象徴しているものは、日常が寸断された世界である。笑おうとした顔、なにげなく見あげた時計、蝉の背に慎重にかざす捕虫網。普段通りの仕草の途中で、唐突に命がなくなってしまったとき、その先に続くはずだった動作は一体どこへ行ってしまうのだろう。彼らは、永遠に笑い、時計を見やり、蝉を捕り続けているのではないのか。その途方に暮れた魂を思うとき、わたしたちは今も頭を垂れ、醜い過ちを思い、静かに祈るしかないのだろう。『記憶』(2011)所収。(土肥あき子)


August 0882011

 西瓜喰ふ欠食児童のやうに喰ふ

                           佐山哲郎

んなふうに食べようが勝手とはいうものの、西瓜を上品にスプーンですくって食べている人を見ると、鼻白む。あれで美味しいのだろうか。句のようにかぶりついたほうが、よほど美味いと思うんだけど。ところでこの句は、現代だからこそ成立する句だと思った。そこらじゅうに「欠食児童」がいた時代だったら、洒落にもならないからだ。もはや思い出のなかにしか存在しない「欠食児童」。西瓜にかぶりつきながら、苛烈な空腹を微笑とともに追懐することができるから、句になっているのである。私も学校に弁当を持っていけない子だった。弁当の時間に何人かの「欠食児童」といっしょに校庭に出て、ただぼんやりしていた時間は忘れられない。大人になってからのクラス会で、そんなぼくらに自分の弁当をわけるべきかどうかと悩んでくれていた友人がいたことを知った。「でも、オレは分けないことにした。きみらのプライドが傷つくと思ったからね」。こう聞かされたとき、私は思わず落涙した。お前はなんて優しくて偉い奴なんだ…。傷ついていたのは、欠食児童の側だけではなかったのだと、深く得心したのだった。今日立秋。「西瓜」はなぜか秋の季語である。『娑婆娑婆』(2011)所収。(清水哲男)


August 0782011

 行く夏の倉と倉との間かな

                           永島靖子

節の中で、一番惜しまれて去ってゆくのが夏です。行く夏、とひとことつぶやけば、だれしも胸に込み上げてくるものを思い出すことができます。生命の、最も派手やかな瞬間の後の、虚脱感のようなもの。本日の句、倉と倉との間は、それほどに広くはないと思われます。地面には、小さな砂利が敷き詰められてでもいるでしょうか。同じ形に並んだ倉の、白壁と白壁に挟まれた長細い空間。その中ほどに立ち止まって、うつむいて物思いにふけっている人の姿が、はっきりと見えてくるようです。それからゆっくりと顔をあげ、空をじっと見上げてみれば、特段何が悲しいというわけではなくても、自然ときれいな涙があふれてくるものです。『角川俳句大歳時記』(2006・角川書店)所載。(松下育男)




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