学生時代、京都から東京まで立ちっぱなしで帰省したことも。(哲




2011ソスN8ソスソス12ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 1282011

 吾家の燈誰か月下に見て過ぎし

                           山口誓子

者の位置はどこに在るのだろう。自分が家の中に居るとすれば、外の闇の中を過ぎる人影が視認できたとしてもその人が自分の家の中の燈を見たとまでは断定できぬであろう。自分が外に居て第三者が「吾家」の燈を見ているところを目撃したとするなら燈と通りかかった人と自分の位置関係ははっきりするが、自分が自分の家の燈を外から客観的に見ているのも変な状況である。そんなことを考えているうちにこの句は過ぎしのあとに「か」を補ってする鑑賞がいいのではないかと思い到る。吾家の燈誰か月下に見て過ぎしかというふうに。夜の道を行き交う人が、「私」の居る家の燈を見て過ぎたであろうと思っている。留まるものつまり今ここに存在する「吾」の前を過ぎていく諸人がいる。優れた句は日常を描いて寓意に到る。『激浪』(1944)所収。(今井 聖)


August 1182011

 口開けて金魚のやうな浴衣の子

                           三吉みどり

んて可愛いい句だろう。盆踊り、夜店、夏祭り、子供たちにとって夏は特別な季節。ただでさえウキウキするのに糊の効いた浴衣を着せてもらってますます楽しみごとに期待が膨らむ。親に連れられた小さな子供が櫓の太鼓に見とれているのか、夜店の賑わいに心を奪われているのか。半開きの口元に何かに夢中になっている気持ちが表れている。水面に浮きあがってくる金魚のよう。浴衣にしめる赤やピンクのふわふわの兵児帯がゆらゆら揺れる金魚の尾鰭に思える。「やうな」という直喩は異質な物と物とに通路を開く働きをする。これから金魚を見れば口を開けて見上げる浴衣の子を思い、浴衣の子を見れば水槽に浮かびあがってくる金魚を想像するかもしれない。『花の雨』(2011)所収。(三宅やよい)


August 1082011

 ワイシャツは白くサイダー溢るゝ卓

                           三島由紀夫

イシャツ、サイダー、卓がならべられた、別段むずかしい俳句ではない。意外や、この作家もかつて俳句を作っていたという事実。詩も作った。ワイシャツの白さと、溢れるサイダーの泡の白さが重ねられて、三島らしい清潔感に着目した句である。学習院の初等科に入った六歳のときから俳句を作りはじめ、中等科になって一段と熱が入ったという。同級生の波多野爽波と一緒に句会に顔を出したり、吟行に出かけたりしたらしい。掲句はその当時のものと思われる。他に「古き家の柱の色や秋の風」という句もある。しかし、間もなく爽波の俳句の才能に圧倒されて、自分は小説のほうへ移った。現在残されているいちばん古い句に「アキノカゼ木ノハガチルヨ山ノウエ」という可愛い句がある。俳句について、三島は後年次のように書いていた。「ただの手なぐさみの俳句では、いつまでたっても素人の遊びにすぎず……」。若くしてのどかな句会に対して疑問も感じていたようである。一九七〇年に自決したときの辞世の歌の一首に「散るをいとふ世にも人にもさきがけて散るこそ花と吹く小夜嵐」がある。この歌の評価は低かったという記憶がある。『みんな俳句が好きだった』(2009)所載。(八木忠栄)




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