東京も風雨強しとの予報。台風一過の秋晴れを期待しましょう。(哲




2011ソスN9ソスソス2ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

September 0292011

 籾殻のけぶり冷たき人のそば

                           森賀まり

ぶりは名詞煙。または動詞煙るの連用形。僕は前者のように思う。けぶりが冷たいのではない。けぶりではっきりと切る。冷たきはこころの問題ではなく体の冷えだろう。そうでないと嫌な人に添っていることになる。籾殻も冷えも季感をあらわすがそんなことは問題ではない。体が冷えてしまった人のそばにいてその人の冷えを感じている。籾殻を焼く煙が二人を包んでいる。淋しい句だがこころが熱くなる句だ。『ねむる手』(1996)所収。(今井 聖)


September 0192011

 遺児めきぬ二百十日の靴の紐

                           木村和也

日は九月一日。1923年午前11時58分、関東大震災の起こった日でもある。立春から数えて二百十日目のこのあたりは稲の開花時期でもあるが、台風がよく襲来することもあって昔から厄日とされていたという。この日が防災の日と定められたのは1960年から、今日は小学校、中学校の始業式に合わせて各地で防災訓練が行われることだろう。ところで掲句の靴の紐は、しっかりと靴に装着された靴紐ではなくて、予備として靴箱に置かれたものだろう。もしかすると本体の靴はとっくに処分されているかもしれない。残った靴紐を「遺児めく」と大げさに捉えた見方が意表を突く。大きな余震が続く東京では、次は関東大震災にまさる大地震が来るのではと不安に思っている人も多い。私が勤務している職場でも防災訓練が行われるが、今年は力の入ったものになりそうだ。まずは靴紐をしっかり結ばなければ。『新鬼』(2009)所収。(三宅やよい)


August 3182011

 鯉の口ゆつくり動く残暑かな

                           中上哲夫

かろうが寒かろうが、鯉はゆっくり口をあけてエサを食べ、水を飲む。もちろん残暑の頃になっても、変わることなくパクパクやっている。まだ暑さがつづいてうんざりしているときに、所在なく池の鯉を見ていると、いつしか鯉の口に目を奪われてしまうということだろう。水中の鯉にとって残暑など関係ないだろうけれど、残暑という、季節が移り変わるときであるだけに、作者にはわけもなく鯉のパクパクが気になっている。短いヒゲを揺らしながら、ゆっくり動く鯉の口はいとしい。刀の鞘口のことを「鯉口」とは言い得て妙である。哲夫はむかし、飲んだ後みんなと別れる際に「帰って詩を書こう」と言って笑わせるのがクセだったけれど、居合わせたみんなはひそかに疑っていたはず。帰って、果たして詩を書いたかイビキをかいたか……。今は彼が主宰している句会のあと、「帰って俳句を書こう」などと言っているのかどうか。俳号はズボン堂。彼は近年、余白句会のほうには投句だけしているが、月並み句があったり、思いがけない佳句があったり、振幅が大きいのも彼らしい。他に「猫のひげだらりと垂れて秋暑し」がある。「OLD STATION」14号(2008)所載。(八木忠栄)




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