台風圏からは遠い東京地方にも、ときどき猛烈な風雨が。(哲




2011ソスN9ソスソス3ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

September 0392011

 あきかぜのなかの周回おくれかな

                           しなだしん

という漢字は、稲の実り、太陽などを表しているという。いわゆる実りの秋ということだが、一方で、もの思う秋というイメージもある。虚子編歳時記には、春愁、はあるが、秋思、はなく、その理由は「秋にもの思うというのはあたりまえなので、取り立てて季題にすることはないと思われたのでは」とのことだ。昨年改訂された『ホトトギス新歳時記 稲畑汀子編』には、秋思、が新季題として加えられたのだが、歳時記委員会でやはり最後まで議論の対象となった。掲出句、秋風、と書くと、秋という漢字からうけるもの寂しさのようなものが、風と周回遅れの足取りを重くする。あきかぜ、と書くと、風は一気に透明になり、日差しの中に明るいグラウンドの光景が浮かんでくる。季感の固定概念に囚われやすい私のような読者の視界を広げてくれる句だな、と思う。『夜明』(2008)所収。(今井肖子)


September 0292011

 籾殻のけぶり冷たき人のそば

                           森賀まり

ぶりは名詞煙。または動詞煙るの連用形。僕は前者のように思う。けぶりが冷たいのではない。けぶりではっきりと切る。冷たきはこころの問題ではなく体の冷えだろう。そうでないと嫌な人に添っていることになる。籾殻も冷えも季感をあらわすがそんなことは問題ではない。体が冷えてしまった人のそばにいてその人の冷えを感じている。籾殻を焼く煙が二人を包んでいる。淋しい句だがこころが熱くなる句だ。『ねむる手』(1996)所収。(今井 聖)


September 0192011

 遺児めきぬ二百十日の靴の紐

                           木村和也

日は九月一日。1923年午前11時58分、関東大震災の起こった日でもある。立春から数えて二百十日目のこのあたりは稲の開花時期でもあるが、台風がよく襲来することもあって昔から厄日とされていたという。この日が防災の日と定められたのは1960年から、今日は小学校、中学校の始業式に合わせて各地で防災訓練が行われることだろう。ところで掲句の靴の紐は、しっかりと靴に装着された靴紐ではなくて、予備として靴箱に置かれたものだろう。もしかすると本体の靴はとっくに処分されているかもしれない。残った靴紐を「遺児めく」と大げさに捉えた見方が意表を突く。大きな余震が続く東京では、次は関東大震災にまさる大地震が来るのではと不安に思っている人も多い。私が勤務している職場でも防災訓練が行われるが、今年は力の入ったものになりそうだ。まずは靴紐をしっかり結ばなければ。『新鬼』(2009)所収。(三宅やよい)




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