日の出がどんどん遅くなってくる。東京地方、今日は5時23分。(哲




2011ソスN9ソスソス15ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

September 1592011

 胃は此処に月は東京タワーの横

                           池田澄子

んだ空に煌々と月が光っている。ライトアップされた東京タワーの横にくっきりと見える満月は美しかろう。ただ、この句は景色がメインではない。胃が存在感を持って意識されるのは、胸やけを感じたり、食べ過ぎで胃が重かったりと、胃が不調の時。もやもやの気分で、ふっと見上げた視線の先に東京タワーと月が並んでいる、あらっ面白いわね。その瞬間の心のはずみが句に感じられる。どんより重い胃とすっきり輝く月の対比を効かせつつ、今、ここに在る自分の立ち位置からさらりと俳句に仕立てるのはこの作者ならではの技。ただその時の気持ちを対象にからませて述懐すれば句になるわけではない。この句では「胃は此処に」に対して「月は東京タワーの横(に)」の対句の構成に「横」の体言止めですぱっと切れを入れて俳句に仕立てている。短い俳句で自分の文体を作り出すのは至難の業ではあるが、どの句にも「イケダスミコ」と署名の入った独特の味わいが感じられる。「今年また生きて残暑を嘆き合う」「よし分かった君はつくつく法師である」『拝復』(2011)所収。(三宅やよい)


September 1492011

 ずっしりと水の重さの梨をむく

                           永 六輔

のくだものは豊富で、どれをとってもおいしい。なかでも梨は秋のくだものの代表だと言っていい。近年は洋梨も多く店頭に並ぶようになったが、日本梨の種類も多い。長十郎、幸水、豊水、二十世紀、新高、南水、愛宕、他……それぞれの味わいに違いがある。品種改良によって、いずれも個性的なおいしさを誇っている。私が子どもの頃によく食べたのは、水をたっぷり含んだ二十世紀だった。梨を手にとると、まず「ずっしり」とした「重さ」を感じることになる。それはまさに「水の重さ」である。梨は西瓜や桃に負けず水のくだものである。梨の新鮮なおいしさを「重さ」でとらえたところが見事。作者が詠んでいる「水の重さ」をもった梨の種類は何だろうか? それはともかく、秋の夜の静けさが、梨の重さをより確かなものにしているように思われる。古書に梨のおいしさは「甘美なること口中に消ゆるがごとし」とか「やはらかなること雪のごとし」などと形容されている。梨の句に「梨をむくおとのさびしく霜降れり」(日野草城)「赤梨の舌にざわつく土着性」(佐藤鬼房)などがある。『楽し句も、苦し句もあり、五・七・五』(2011)所載。(八木忠栄)


September 1392011

 青空やぽかんぽかんとカリンの実

                           沼田真知栖

載句のカリンは漢字。カリンもパソコン表示できない悩ましいもの。か(榠)はあっても、りん(木偏に虎頭に且)がない。りんごや梨のように枝から垂れるように実るというより、唐突な感じで屹立する。この意表をついた実りかたをなんと表現したらよいか、まさに掲句の「ぽかん」がぴったりなのだ。カリンの果実はとても固くて渋いので、生食することはできない。部屋に置いても長い期間痛むことなく、なんともいえない豊潤な香りを漂わせてくれるので、どこに落ちていても必ず持ち帰ることにしている。姿かたちもごく近しいマルメロはバラ科マルメロ属、カリンはバラ科ボケ属とわずかに異なる。サキの小説に『マルメロの木』というユーモア短編がある。愛すべき老婦人の庭の隅にある一本の「とても見事なマルメロの木」のために起きる小さな町の大騒動を描いたものだ。これもぽかんぽかんと実るマルメロがじつによい味を出している。〈小鳥くるチェロの形のチェロケース〉〈さはやかや橋全長を見渡して〉『光の渦』(2011)所収。(土肥あき子)




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