September 192011
湯ざましのやうに過ぎけり敬老日
野崎宮子
取ってつけたような国民の祝日は年に何日かあるが、敬老の日もその一つだ。「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」という定義からして空々しい。シルバーシートなどと同じで、そこにそれがあるからそこではじめて老人を意識するなんてことは、心の付け焼き刃に過ぎない。そんな心根で「敬愛」されたって、誰がうれしいと思うだろうか。まさに味気ない「湯ざまし」を飲まされている感じなのだ。湯ざましとは、水の衛生事情が未だしだった時代の殺菌消毒するための手段であった。ただ水を沸かすということは、水の中に含まれている溶存酸素を無くしてしまうために、人体に必要なミネラルも消えてしまう。そればかりか、これを飲むと、逆に水は人体にあるミネラルなどを吸収排出してしまうので、身体には有害だという説もある。作者はそこまで意識してはいないと思うが、今日の私も湯ざましのように索漠たる思いで過ごすのだろうか。『現代俳句歳時記・秋』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)
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