September 212011
秋の日の瀬多の橋ゆく日傘かな
鈴木三重吉
瀬多は「瀬田」とも書く。いずれにせよこの橋は「唐橋」であり、琵琶湖へそそぐ瀬田川に架かっている橋としてよく知られている。「秋の日」といっても、日ざしがまだ夏を残していて強く感じられる。日焼けも気になるから、日傘をさしているのだろう。橋の上ではことさらに日ざしが強そうで気になるのかもしれない。瀬多の唐橋と言えば「近江八景」のうちであり、歌川広重が描いた「瀬多夕照」が思い出される。あの絵に描かれたスケールの大きな橋を、日傘をさして渡る姿は想像しただけでも晴れ晴れとする。掲句は想像ではなくて実景で詠まれたのかもしれない。「日傘」は夏の季語だが、この場合「季重なり」などと野暮は言わず、夏から秋への移り変わりの時季という設定であろう。ところで「瀬多の橋」で想起するのは、大岡信の傑作「地名論」という詩である。それは「瀬田の唐橋/雪駄のからかさ/東京は/いつも/曇り」とリズミカルに結ばれている。言うまでもなく「せたのからはし/せったのからかさ」の響きが意識されている。天候が変われば、「日傘」は「唐傘」にも変わる。木下夕爾の句に「秋の日や凭るべきものにわが孤独」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)
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