涼しくなって食欲が恢復してきました。栗ご飯が食べたいな。(哲




2011ソスN9ソスソス25ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

September 2592011

 ねばりなき空に走るや秋の雲

                           内藤丈草

を読んでいると、たまに、ああこれは作り過ぎているなと感じることがあります。こんなに短い表現形式なのに、盛りだくさんに技巧を凝らすと、そういうことになるようです。所詮は作り物なのだから、作品の中から作意を完全に消し去ることはできません。だから凝った表現は、せめて一句に一か所にしてもらいたいものです。今日の句、凝っているのはもちろん「ねばりなき」のところです。それ以外には特段解説できるようなところはありません。さっぱりしています。このさっぱりが、なかなかすごいのです。雲が秋の空に抵抗を感じないように、句を作る所作にも、余分な抵抗はなさそうです。言葉は自然に生まれ、生まれたままの姿で句に置かれ、秋空を滑る雲のように、読者の目の中に滑り込んできます。『日本大歳時記 秋』(1971・講談社) 所載。(松下育男)


September 2492011

 ぽんとトースト台風は海へ抜け

                           原 雅子

さに台風が駆け抜けた今週だった。台風一過にしては暑さが残ったが、空は秋、翌日早朝の鰯雲に小さな月が漂っていた。文字通り海に抜け、やがて消えてしまう台風だが、あっけらかんと晴れるその感じが、ポップアップトースターの、ぽん、にぴたっと来る。今はオーブントースターが主流だけれど、昔は我が家でもトーストはぽんと飛び出ていた。楽しいし、食パンをトーストすることに特化している分、断然おいしいというポップアップ式。こんがり焼けて飛びだしてきたトーストでなくては、こんな句も生まれない。『束の間』(2011)所収。(今井肖子)


September 2392011

 デズニーに遊び小春の一と日かな

                           高浜年尾

のデズニーランドは本家本元。アメリカ、カリフォルニア州アナハイムにあり1955年に開園。年尾は1970年70歳のときにアメリカ旅行でここを訪れている。花鳥諷詠の俳人も遊園地を詠むんだな、70歳になっても遊園地に行くんだな、アメリカに行っても「小春」という季語を使うんだな、ディズニーと言わずデズニーと言ったんだな、そんなこんなも含めてこの俗調が持つ俳句の臭みにどこかやすらぎのようなものも感じる。日本の演歌やアメリカのカントリーウエスタンがどれも似たような歌詞やメロディーであることに安堵を感じるのと似ているような気がする。「一と日」も「かな」も諷詠的趣で対象とミスマッチな感があるがそこがまたなんともカワイイではないか。朝日文庫『高浜年尾・大野林火集』(1985)所収。(今井 聖)




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