C句

September 2892011

 わが庭に何やらゆかし木の実採り

                           瀧口修造

外やあの瀧口修造も俳句を書いた。掲句の「木の実」とは、ドングリなどのたぐいの「木の実」ではなく、実際この場合は「オリーブの実」なのである。もちろん鑑賞する側は、「木の実」一般と解釈して差し支えないだろう。私も何回かお邪魔したことがあるけれど、瀟洒な瀧口邸の庭には枝をこんもりと広げた立派なオリーブの大樹があった。秋になると親しい舞踏家や美術家たちが集まって、稔ったたくさんの実を収穫し、それを手のかかる作業を通じて、塩漬けして瓶詰めにする。それを親しい人たちに配る、という作業が恒例になっていた。私もある年一瓶恵まれたことがある。ラベルには「Noah’s Olives」と手書きされていた。私はいただいた瓶が空になってからも大事に本棚に飾っていたのだが、いつかどこやらへ見えなくなってしまった。秋の一日、親しい人たちがわが庭で、楽しそうにオリーブ採取の作業をしている様子を、修造は静かに微笑を浮かべながら「ゆかし」と眺めていたに違いない。ワガ庭モ捨テタモノデハナイ。「何やらゆかし」は、芭蕉の「山路来て何やらゆかしすみれ草」を意識していることは言うまでもない。そこに修造独特の遊びと諧謔精神が感じられる。修造には、吉田一穂に対する弔句「うつくしき人ひとり去りぬ冬の鳥」がある。『余白に書くII』(1994)所収。(八木忠栄)


August 2782014

 鎌いたち稲妻だけを借着して

                           瀧口修造

読して難解な句である。だいいち「鎌いたち(鼬)」は今や馴染みがない言葉である。鼬の種類ではない。辞書では「物に触れても打ちつけてもいないのに、切傷のできる現象」「越後七不思議の一つ」などと簡単に説明されている。小学校時代に同級生が遊んでいて何かのはずみで、脚の肉がパックリ割れたことがあった。初めて「かまいたち」というものを知った。その後、私もじつは小学生時代に肘に鎌状の傷を負い、「鎌鼬」の跡が残っている。「鎌鼬」の医学的現象についての解説は今は略すけれど、「切傷」などという生易しい現象ではなく深傷だが、不思議とたいした出血もない。井上靖に「カマイタチ」という名詩がある。修造の「私記土方巽」(「新劇」連載)のなかに初出する句だという。細江英公の写真集『鎌鼬』は、土方巽をモデルにした傑作であった。それが修造の頭にあったはずである。修造が初めて舞踏家土方の訪問を受けたときのエピソードを、両人と親しかった馬場駿吉が掲出句を引用してこう書いている。「突然の激しい雷雨に見舞われた土方は玄関へ入るなりずぶ濡れの着物を脱ぎ、裸身にバスタオルを巻きつけなければならなくなったと言う。その咄嗟の出来事を鮮烈に記憶に刻んだのがこの一句なのだろう。」土方との出会いをいかにも修造らしくとらえた一句である。土方はじっさい裸身を稲妻で包みかねない舞踏家だった。「洪水」14号(2014)所載。(八木忠栄)


September 0292015

 旅人のいかに寂しき稲光り

                           瀧口修造

雷」や「いかづち」という言葉には激しい音がこめられていて、季語としては夏である。ところが、雷が発する「稲光り」は秋の季語であり、音よりも視覚に訴えている。遠くの雷だと音よりも光のほうが強く感じられる。掲出句には「拾遺ブリュッセル一九五八.九」の添書がある。修造は1958年にヨーロッパを巡る長旅をしている。この「旅人」は修造自身であろう。近くて激しい雷鳴ではなく、旅先の異国でふと視界にとびこんできた「稲光り」だから、旅人にはいっそう寂しく感じられるのだろう。この句を引用して、加納光於と修造の詩画集『〈稲妻捕り〉Element』について触れている馬場駿吉は、次のように説明している。「九月初旬のある日の夕刻、ブリュッセルを襲った雷鳴と稲光りに触発されて書きとめた一句」(「方寸のポテンシャル9ーー瀧口修造の俳句的表現」)。馬場氏は修造を訪ねると、応接間兼書斎で読みさしの『去来抄』が机上に置かれているのに、何度か気づいたという。世界の現代作家の貴重な作品や、手作りの珍品などが足の踏み場もなく置かれた、あれは凄い応接間兼書斎でした。稲光りの句では瀧井孝作に「稲光ねざめがちなる老の夢」がある。「洪水」16号(2015)所載。(八木忠栄)




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