午後余白句会。兼題は「鳳仙花」「橋(要季語)」と当季雑詠句。(哲




2011ソスN10ソスソス15ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 15102011

 詫状といふもの届きうそ寒し

                           山田弘子

や寒、うそ寒、そぞろ寒、肌寒、秋の寒さはあれこれ微妙だ。『新歳時記 虚子編』(1995・三省堂)には、うそ寒を、やや寒やそぞろ寒と寒さの程度は同じとしながら、「くすぐられるやうな寒さ」とある。背筋がなんだかぞわぞわするような寒さということか。作者は詫状を前にして、複雑な思いでいる。それは決して「わざわざ詫状をお送り下さるほどのことでもないのに、かえって恐縮です」というのでも「まあきちんと謝っていただけばこちらももうそれで」というのでもない。差出人の名前を見て、忘れかけていた不快な思いがよみがえり、読まなくてもどんな文面か想像がついている。私の知る限りでは、明るく親しみやすくさっぱりとしたお人柄だった作者をして、こんな句を詠ませた人は誰だろうと思いながら、むっとしつつうそ寒の一句に仕立てた作者に感心しながら、その笑顔を思い出している。『彩 円虹例句集』(2008)所載。(今井肖子)


October 14102011

 石に木に父の顔ある秋の暮

                           北 光星

に木に風に空に雲に死者の顔が映る。花鳥風月の中に死者を見る。ここまでは諷詠的情緒だ。ナイフやフォークや一枚の皿や一本のネジやボルトや切れそうな裸電球にも死んだ父は宿る。どこにでも死者の記憶のあるものや場所に死者は蘇る。死者と直接関係のない対象でもそれを見たとき言ったとき思い出せば死者は現れる。『天道』(1998)所収。(今井 聖)


October 13102011

 天高しほがらほがらの伊勢うどん

                           奥坂まや

らっとした秋晴れが何日か続いている。暑くもなく、寒くもなく公園に寝転んで透き通った空を見上げるのにいい頃合だ。そんな気持ちのいい秋の天気と取り合わされている「伊勢うどん」とはこれ如何に。ウィキペディアの説明によると、「黒く濃厚なつゆを柔らかく煮た極太の麺にからめて食べる。麺をゆでる時間が非常に長く、通常のうどんが15分程度であるのに対して1時間弱ほど茹でる」そうで、伊勢参りの人のために提供されたのが始まりとか。きっとおおらかで素朴なうどんなのだろう。参道の店で伊勢うどんを食べると長旅の疲れも癒えて「ほがらほがら」と機嫌がよくなるのだろう。広々と澄みわたった空にほがらかに唄ううどんが「伊勢へおいでよ」と呼んでいる気がする。『妣の国』(2011)所収。(三宅やよい)




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