「俳壇」11月号に増俳十五週年記念会の模様(八木忠栄記)掲載。(哲




2011ソスN10ソスソス25ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 25102011

 しばらくは手をうづみおく今年米

                           小島 健

い頃から食事の都度「ご飯を残してはいけない」「お米という字は八十八の手間がかかるという意味だ」と聞かされ、食事ができたから呼んできて、と言われれば「ごはんだよー」と声を掛けてきた。朝ご飯、昼ご飯、晩ご飯、どれもほっこりとやさしい響きがする。今や米食は、必ずしも毎回の食事に顔を出すものではなくなったが、かつて日本人にとってお米とは食事そのものだったのだ。子どもの頃は炊きあがったご飯のつやつやとした美しさとおいしさしか知らなかったが、大人になってからは精米されたばかりの米にも輝く白さと、甘い香りがあることを知った。掲句の「うづみおく」とは、うずめておくの意。きらきらとした新米が届き、ふと手を差し込んでみれば、小さな一粒一粒が、指の間をふさぎ、ひやりとした感触が手を包み込む。一般的に「米粒ほど」とは、小さいものの例えだが、この丹念に手をかけられた小さき一粒はことのほか美しく尊いものである。新米に埋めた手をぎゅっと握り、命のひしめきをじかに感じてみたくなった。〈夕星や鯨ぶつかる音がする〉〈冬眠やさぞ美しき蛇の舌〉『小島健集』(2011)所収。(土肥あき子)


October 24102011

 刃は波に波は翼に月は東に

                           中村安伸

語の『千早降る』は、町内一の物知りと言われる隠居が、百人一首の「ちはやふる神代もきかず竜田川からくれなゐに水くくるとは」を珍解釈するという噺だ。「千早という遊女にふられた相撲取りの竜田川が……」と解釈されていくのだが、以下の今日の句の解釈も、負けず劣らずのものかもしれない。というのもどういうわけか、この句を読んだ途端に、私は国定忠次(忠治とも)が赤城の山を捨てる決意をした芝居のシーンを思い浮かべてしまったのだった。場面は忠次が「赤城の山も今宵限り……可愛い子分の手めえたちとも、別れ別れになる首途だ」と名科白を決めたあとで愛用の脇差を抜き、雁の飛ぶ空に浮かんだ月の光で、じいっと刀身に見入るという泣かせ所である。刀には焼き刃の際につく刃文という模様がある。波形が多い。したがって「刃は波に」である。そこで刀への視線を上げていくと、刀の尖の空には波形が翼に転化したような姿の雁が鳴きながら飛んでいく様子が見て取れる。つまり「波は翼に」なのであり、下句の「月は東に」は説明するまでもないだろう。「加賀の国の住人小松五郎義兼が鍛えた業物、万年溜の雪水に浄めて、俺にゃあ、生涯手めえという強い味方があったのだ」。忠治万感の思いの情景を読んだ句といったん思い込んでしまうと、他の解釈は浮かんでこなかった。「俳壇」(2011年11月号)所載。(清水哲男)


October 23102011

 踏切の燈にあつまれる秋の雨

                           山口誓子

あ寒いなと、秋が終わってしまうことを感じたのは、雨の日の夜でした。ついこないだまで暑くてしかたがなかったのに、もう冬になってしまうのかと、なんだか寂しい気持ちになります。突然の雨に傘の用意もなく、濡れながら帰宅を急いでいます。明日やるべき仕事のことなどを考えながら、踏切が開くのを待っています。顔をあげてみれば、踏切の光の中を、雨がしきりに降りつのっています。今日の句、「あつまれる」というのは、なるほどうまい表現です。うまい表現だということが、はっきりと前面に出ているのに、特段嫌味な感じがしないのは、そのうまさが中途半端ではないからなのでしょう。踏切が開いて足早に渡ってゆきます。自分が集まるべき、燈の下へ向かって。『日本大歳時記 秋』(1971・講談社) 所載。(松下育男)




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