2011N11句

November 01112011

 萩刈りて風の行方の定まらず

                           柚口 満

や芒などなびきやすいものの姿を見つめていると、風の通り道がはっきりと分りますねという句は多く見かけるが、掲句は刈ってしまった萩のおかげで風が迷っているとでもいう様子なのだ。たまたま風があるから穂がなびくのではなく、なびかせるのが面白くて風は通っていたのだと思わせる。たしかに渦を巻いたり、突風を吹かせたり、風には単なる気象現象というにはあまりに意図的でいたずらな横顔を持っている。ちなみに「風のいたずら」でGoogle検索してみると、なんとまぁ愉快で迷惑ないたずらの数々。個人的な思い出だと、成人式の日が強風で、長い振袖が風をはらみどうにも収拾がつかず、まるで蜻蛉のお化けのようになり果てたことを覚えている。そんないたずら者の風が、今日もまた萩野でひと暴れしてやろうと駆けつけたところ、あったはずの萩がすっかり刈られてなくなっていたのだ。がらんとした野原で、途方に暮れている風はしばらく右往左往したのち、また次の手を考えてどこかへと駆け抜けていくのだろう。〈サーカスの檻の列行く鰯雲〉〈寒林といふ鳥籠のなかにゐる〉『淡海』(2011)所収。(土肥あき子)


November 02112011

 かまきりや霜石仏遠木立

                           長谷川伸

一月は霜月。霜は本格的な冬の前兆だが、言葉の響きはどこやらきれいな印象を与える。「露結びて霜とはなるなり。別物にあらず」(『八雲御抄』)と書かれたように、古くは、霜は露の凍ったものと考えられ、「霜が降る」と表現された。現在は通常、霜は「おりる」「置く」と表現される。掲句は霜のおりた野の石仏に、もう弱り切ったかまきりがしがみつくように、動かずにじっととまっている姿が見えてくる。あるいはもうそのまま死んでしまっているのかもしれない。背景遠くに、木立が寒々しく眺められる。十七文字のなかに並べられたかまきり、霜、石仏、木立、いずれも寒々とした冬景色の道具立てである。これからやってくる本格的な冬、それをむかえる厳しい光景が見えてくるようだ。一見ぶっきらぼうなようでいて、遠近の構成は計算されている。季語「霜」の傍題の数は「雪」に及ばないけれど、霜晴、深霜、朝霜、夕霜、強霜、霜の声、……その他たくさんある。「夕霜や湖畔の焚火金色に」(泉鏡花)「霜の墓抱き起されしとき見たり」(石田波郷)などの霜の句がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


November 03112011

 助手席の犬が舌出す文化の日

                           大木あまり

号待ちをしている車の窓から顔を出している犬と眼が合う。小さな室内犬は飼い主の膝に抱かれてきょろきょろしているが、大型犬などはわがもの顔で助手席にすわり、真面目な顔で外を眺めている。流れゆく景色を眺めながら犬は何を思っているのだろう。車の中が暑いのか、楽しいものを見つけたのか、犬が舌を出してハ―ハ―している。しかし下五に「文化の日」と続くと、批評性が加わり「文化だって、へー、ちゃんちゃらおかしいや」と犬がべろり舌を出して笑っているように思える。しかし助手席に座る犬を「お犬さま」に仕立てているのは人間達の一方的な可愛がりの結果。犬が欲求したわけでもない。ホントのところ犬は人間並みの扱いに閉口しているかもしれない。と、ソファに眠る我が犬を眺める文化の日である『星涼』(2010)所収。(三宅やよい)


November 04112011

 二科展へゴムの木運びこまれをり

                           西原天気

覧会への絵の搬入搬出は多く詠まれるところ。この句は違う。どこにでもあるような、なんとなく展覧会の空間にも合うようなゴムの木が運び込まれているところが好きだ。二科展という語が秋の季語でなんとなく仕方なく季語を用いているようなところに共感する。だいたい「芸術の秋」というなんだかよくわからない理由で二科展が秋季に催されることになったか、或いは展覧会が結果的に多いから芸術の秋と呼ばれだしたか、どちらかよくわからないが、どちらにしても二科展が秋季にあらねばならない必然性は薄いことだろうにと思うのだ。作者はそんな「季語」を据えた。季節の本意を目的的に書くつもりはまったく無くても一句から季語を排除できないそんな「気弱」なところが好きだ。たとえば楸邨も草田男も誓子もその作風の方法的魅力の中に季語が重要な位置を占めているわけではないのに無季の作品はほとんどない。季語を捨てられない理由は三者三様だろうが、現実空間を描写することを是としているという点では共通しているからその点で季語が有効だという認識を持っていたことは間違いないだろう。ものを凝視するという素朴な「写生」から離れて、機智だのユーモアだの見立てだののインテリジェンスをふんだんに盛り込んでもやっぱり歳時記掲載の季節の言葉を用いるという折衷に、過渡期としての現代があるような気がする。『けむり』(2011)所収。(今井 聖)


November 05112011

 夜學子がのぼり階段のこりをり

                           國弘賢治

しぶりに読みたくなって開いた『賢治句集』(1991)にあったこの句は昭和三十二年、亡くなる二年前、四十五歳の作。夜長というより、夜寒の感じがする句である。深夜の静けさの中、帰宅した夜学生が階段をのぼる足音が聞こえ、やがて扉の閉まる音がしてまた静かになる。足音が消えて元の静けさに戻ったのだが、さっきまで意識していなかった階段の存在が、作者の意識の闇の中に浮かび上がり闇は一層深くなる。眠れない夜の中にいて、作者はやがて消えていく自分を含めた人間の存在に思いをめぐらしていたのだろうか。一生病と共にありながら、俳句によって解放されたと自ら書き残している作者にとって、句作によって昇華されるものが確かにあったのだとあらためて思う。(今井肖子)


November 06112011

 芝居見る後侘びしや秋の雨

                           炭 太祇

者は江戸時代の人ですから、ここでいう芝居は歌舞伎のことなのでしょう。芝居小屋の中では、夢見るように過ぎて行った華やかな時間が、外に出た瞬間に消えてしまったわけです。気分は急に現実にもどって、冷たい風が吹いているなと思って空を見上げれば、細い雨がそれなりの密度で降っています。この句が素敵なのは、芝居と現実の境目の線がくっきりと描かれているところです。日々の生活は地味なものだし、悩み事はいつだってあります。たまには芝居にうっとりして、あれやこれやのいやなことを忘れる時間がなければ、人生、やってられないよと、自分を慰めながら雨の道を歩き出すわけです。『日本大歳時記 秋』(1971・講談社) 所載。(松下育男)


November 07112011

 サイドカーに犬マフラーをひるがへし

                           保科次ね子

日は立冬。マフラーの季節になってきた。句は実景だろう。いや、実景でないと面白くない。服を着せられた犬が散歩している姿はさして珍しくないけれど、マフラーを巻いた犬までがいるとは驚きだ。子供の歌に、雪が降ってくると「犬はよろこび庭かけまわる」とあるから、元来犬は寒さに強いと思っていたのだが、寒がりの犬もいるのだろうか。北風の中をオートバイで走ればたしかに寒いから、サイドカーに乗せた犬の飼い主としては、人間と同じように寒かろうとマフラーを巻いてやったのだろうが、作者はそういうところを見ているのではなくて、そのマフラーを翻している姿に着目している。格好いいなあと、去ってゆくサイドカーを見送っている。私はすぐに、マフラー姿のスヌーピーがバイクを飛ばして得意になっている図を連想した。ただスヌーピーとは違って、現実のこの犬は、どんな顔をしていたのだろうか。まさか得意顔ではないだろうし、むしろ迷惑そうな顔つきだったかもしれない。だとすれば、哀れでもあり可笑しくもある。あれこれ想像できて、愉快な一句だ。『しなやかに』(2011)所収。(清水哲男)


November 08112011

 冬うらら足し算だけの練習帳

                           長谷川槙子

人になれば目を閉じても書ける数字も、小さい頃は4も8も難しかった。反対向きやら横になってしまうものやら、今となってはふざけているとしか思えない不思議な間違いを繰り返す。私は左効きの矯正のせいか、鏡文字を書いてずいぶん親を悩ませたようだ。「また反対」と言われ続けると、混乱してなにがどう反対なのかがわからなくなってくる。それでもいつのまにか数字もひらがなも間違わなくなったのは、単に正しく書くことに慣れただけのような気がする。掲句ではきっと習いたての大きな数字が不格好に並んでいるのだろう。足し算は小学校一年生の算数の始まりである。例題を見てみると「お母さんからみかんを2つもらいました。お兄さんからも3つもらいました」。そうそう、足し算はいつでももらってばかり。引かれたり、掛けたり、よもや割ることまで控えていようとは思いもよらない時代が存在していたことを、日だまりのあたたかさで思い出している。『槙』(2011)所収。(土肥あき子)


November 09112011

 そこより闇冬のはえふと止まる

                           寺山修司

節はずれ、冬のハエのあゆみはかったるそうでのろい。ハエがそこからはじまる闇を感じたから、あゆみを止めたわけではあるまい。明るい場所ならばうるさく飛びまわるハエも、暗闇を前にして本能的に身構えてあゆみをはたと止めたのかもしれない。修司の眼にはそんなふうに映ったのだろう。止まったのはハエだが、修司の心も闇とハエを見てなぜか一瞬ためらい、足を止めたような状態になっているのだろう。闇には、冬の何ものか厳しいものがぎっしり忍びこんで蠢きながら、侵入してくるものを待ち構えているのかもしれない。「そこより闇」という冬の闇の入口が、何やら不吉なものとして目の前にある。六・五・五の破調がアンバランスな効果を生み出している。飯田龍太は修司の俳句について「未完の俳人として生を了えたが、生得恵まれた詩情詩魂は稀有のものがあったと思う」と書いている。短歌とちがって、俳句のほうはやはり「未完」であったと私も思う。よく知られた冬の句に「かくれんぼ三つかぞえて冬となる」がある。青森の俳誌「暖鳥」(1951〜1955)に発表され、未刊句集『続・わが高校時代の犯罪』として、『寺山修司コレクション1』(1992)に収められた。(八木忠栄)


November 10112011

 立冬のきのこ会議の白熱す

                           中谷仁美

冬をさかいに朝晩冷え込むようになってきた。この季節、椎茸、舞茸、シメジなど鍋に入れるきのこがとりわけおいしく感じられる。きのこ会議とは、林の中のきのこの正体をめぐって繰り広げられる議論なのか。ひょっとすると居酒屋のメニューを前にきのこをめぐってたわいもない話しが盛り上がっているだけかもしれぬ。人間主体でなくとも、ひとの踏み込まぬ林の奥で、栗茸や楢茸や舞茸が、ああ、もう本格的な冬が近い。この世から消えてしまう前に来年の場所取りに決着をつけなければと、熱心に会議している童話的世界を想像しても楽しい。実り多き秋、紅葉の秋が過ぎると山もめっきり寂しくなる。今のうちに多種多様なきのこを楽しむことにしよう。『どすこい』(2008)所収。(三宅やよい)


November 11112011

 旅客機閉す秋風のアラブ服が最後

                           飯島晴子

の句すでに十年前に清水哲男さんがこの欄で鑑賞してらして、僕はその文章を読みながら当時からこの句の風景に別のことを感じたのだった。そしてそのことをどうしても言いたくなった。アラブ服が最後に出てきてタラップを降りてゆくという清水さんの鑑賞は、登場してから視界の中にずっと見えているアラブ人の動きやら服装やらが印象としてこちら側に残って存在感があり説得力がある。それとは別にもうひとつ僕が感じた風景はアラブ服が最後に旅客機の中に消える図だ。僕はハイジャックを思ったのだった。「閉す」という語感から強い意図を感じる。この句所収の句集の刊行年1972という年もそのことを思わせた。どこからどこへのハイジャックか。日本からでないかぎり「秋風」はおかしいというご意見もあろう。しかし文化大革命然り、反イスラエル、反アメリカの闘争は国際的に見て全て劣勢に立たされてきた。「秋風」がその象徴として用いられてもいいではないか。全共闘世代の末端にいた僕の世代はまたテロ多き時代に生きた世代でもあった。この句からすぐにハイジャックを思った自分に苦笑しつつ、思った自分を否定するわけにはいかない。この句には晴子さんの自解があるらしい。僕は読んでいないし読みたくもない。自解をするのは自由だが、自解にとらわれるほど馬鹿げたことはない。清水さんの鑑賞も僕の鑑賞もこの作品にとっての真実だ。『蕨手』(1972)所収。(今井 聖)


November 12112011

 太き尻ざぶんと鴨の降りにけり

                           阿波野青畝

ばたきが聞こえ水しぶきが明るく飛び広がる様が見える。鴨にしてみれば、着いた〜、というところだろうか。ふっくらこじんまりして見える鴨だが、羽根を支える胸筋もさることながら、地上を歩く時左右に振れてユーモラスな尻は確かに立派だ。太き尻、ざぶん、降りにけり、単純だけれど勢いのある言葉が、渡り鳥のたくましさとそれを迎える作者の喜びを表していて気持ちの良い句である。先月、渡ってきたばかりと思われる鴨の一群に遭遇した。そのうちの何羽かは、等間隔に並ぶ細い杭の上に一羽ずつ器用に乗って眠っていたが、その眠りは、冬日向で見かける浮寝鳥のそれとは明らかに違ってびくともしない深さに見えた。初鴨だ、というこちらの思い入れだったかもしれないけれど。『鳥獣虫魚歳時記 秋冬』(2000・朝日新聞社)所載。(今井肖子)


November 13112011

 咳をしても一人

                           尾崎放哉

時記を読んでいて、どうしても立ち止まってしまうのが自由律の句です。冬の歳時記の「咳」の項を読んでいたら、有名なこの句に出くわしました。「咳をする」も「一人」も、寂しくつらいことを表す語彙の内に入ります。つまり両方とも同じ感情の向きです。でも、幾度読んでみても、この句には統一した流れを感じることができません。その原因はもちろん「も」が中ほどで句を深く折り曲げているからです。普通に読むなら、「咳をしてもだれも看病してくれない。わたしは一人きりでただ苦しみながら止まらぬ咳に苦しんでいる」ということなのでしょうが、どうもこの「も」は、もっと癖のある使い方のように感じられます。「一人」へ落ち込んで行く危険な曲がり角のような…、そんな感じがするのです。『日本大歳時記 冬』(1971・講談社) 所載。(松下育男)


November 14112011

 天気地気こぼれそめたる実むらさき

                           池田澄子

ややかで可憐な「実むらさき」がこぼれて落ちる季節になった。「実むらさき」は紫式部の実。この情景を感傷に流すのはたやすいし、そういう句も多いけれど、この句は別の感動に私たちを連れて行く。作者は瞬間的に「実むらさき」がいまの姿になるまでの過程に思いを致して、この姿になるまでに「天気地気」、すなわち「天と地の気」が働きかけたもろもろの力の結果であることを感じている。ちっちゃな「実むらさき」にだって、ちゃんと宇宙的な力が働いていることに、あらためて魅惑されているのだ。などと解釈すると、理屈のかった句と誤解されそうだが、それを救っているのが「こぼれそめたる」という意識的な歌謡調の言葉遣いだろう。このことによって、句の情景はあくまでも自然の姿をそのまま素朴にとどめており、なおかつ宇宙的物理的な力の存在への思いを理屈抜きに開いてくれている。新しい抒情世界への出発が告げられている句と読んだ。俳誌「豈」(52号・2011)所載。(清水哲男)


November 15112011

 ほどけゆく手紙の中の焚火かな

                           西原天気

火には炎の色と心地よい火の爆ぜる音が重なり、どこか湧き立つ思いになるものだ。なにもかも燃やしておしまい、という豪快な気持ちも焚火の本意だろう。しかし、掲句は焚火のなかの手紙に注目している。手紙だけをまとめて焼いているのか、その他のものと同時に焼いているなかで手紙をクローズアップしているのか。どちらにしても木片と違い、紙が燃えるときに音は出ない。しずしずと縮まりながら炭化していく。掲句は「ほどけゆく」としたことで、封筒から手紙へと火が移り、ひもといていくような時間があらわれている。炎は束になった紙をほどき、文章はばらばらの文字の集まりとなり、そしてひと文字ひと文字をしずかに浸食していく。ついさっきまで文字だった煙が、冬の空へと吸い込まれていく。『けむり』(2011)所収。(土肥あき子)


November 16112011

 満月を浴びて少年探偵団

                           嵐山光三郎

ぼ、ぼ、ぼくらは少年探偵団/勇気りんりん瑠璃の色……この主題歌は今でも耳にしっかり残っていて、歌えば年甲斐もなく心がワクワクドキドキしてくる。映画化され、テレビでも連続放映された、言わずと知れた江戸川乱歩作「怪人二十面相」。名探偵明智小五郎を補佐する小林少年を団長とする「少年探偵団」の登場である。同世代の光三郎も、きっとワクワクしながらこの句を作ったにちがいない。「ぼ、ぼ、ぼくら……」の"bo"音の吃るように連続する響きに他愛もなく、それこそ「ぼ、ぼ、ぼくら」はかつてたやすく電波に攫われてしまっていた。それに「りんりん瑠璃の色」と"r"音が連続する。しかも外は満月。「ぼ、ぼ、ぼくら」の連続音に誘われるように、夜空に高く満月は昇ってくる。そして満月に怪しい姿を暗躍させる怪人二十面相が、見えてきそうではないか。今夜もこれから事件が起きて、少年探偵団が活躍することになりそうな予感がする。こちらの気持ちも若返って胸が高鳴ってくる。掲句は光三郎が中学三年生のとき、ガリ版刷りの文芸誌に発表したものだという。いかにも少年らしい明るさがある。ほかに光三郎句「あまぎ嶺に谺し冬の鳥射たる」がある。「俳句界」(2011年11月号)収載。(八木忠栄)


November 17112011

 三代の女系家族が菊燃やす

                           蔵前幸子

系は女の系統、母方の血統と辞書にある。卷族の男性の影が薄く女中心に物事が決定される家なども女系家族と呼ばれることもあるようだ。掲句のシーンは祖母、母、娘がぐるりと火を囲んで枯菊を燃やしているのだろう。ただ、枯れた菊ではなく単に菊を燃やすと書かれているので、乱れ咲いている菊をそのままくべているようで生々しい。菊は延命長寿、邪気払いの薬効のある花でその菊を燃やす様子がまじないをしているようで怖い。これが祖父、父、息子の組み合わせだとまた様子が変わってくるだろう。三代は三人にも通じ、マクベスの魔女も思わせて、枯れ菊を焚く光景が怪しい雰囲気を醸し出している。『さっちゃん』(2009)所収。(三宅やよい)


November 18112011

 焼藷の破片や体を伝ひ落つ

                           波多野爽波

〜んと唸ってこりゃすごいやと思う句は才能を感じたときだな。巧いとかよくこんな機智を考えついたなというのは大した感動じゃない。こりゃあ、ついていけん、負けたという句に出会いたいのだ。そういう意味ではこの句には僕は脱帽だ。まず破片という言葉の発想が出ない。伝ひ落つも出ないな。これが滑稽を狙った句に見える人はだめだな。焼藷→女性が好き→おならというような俗の連想でしか事象を見られないとこの句が滑稽の句になる。焼藷を食う。ぼろぼろと皮が落ちる。男でも女でも老人でも子どもでもいい。即物客観。連続する時間の中の瞬間が言い止められている。これが「写生」の真骨頂だ。「はじめより水澄んでゐし葬りかな」「大根の花や青空色足らぬ 」「大根の花まで飛んでありし下駄」爽波さんにはこんな句もあるがみんなイメージの跳び方に独自性を図ってそれを従来の型に嵌めこんだ句だ。ここには熟達した技量は感じられてもそれをもって到達できる範囲だという感じがある。この句は技術や努力では出来ません。『湯呑』(1981)所収。(今井 聖)


November 19112011

 とほき日の葱の一句の底びかり

                           黒田杏子

五の、底びかり、に惹かれ、まずその葱の一句はどんな句なのだろう、と思った。それから、以前葱農家の方からいただいた箱詰めのそれはそれはりっぱな葱を思い出した。真っ直ぐに真っ白に整然と並んだ太い葱たちは、まな板にのせても切るのがためらわれるほど美しかったのだ。その葱の、大げさでなく神々しいほどの輝きを思い浮かべながら検索してみると〈白葱のひかりの棒をいま刻む〉(黒田杏子)とある。ひかりの棒とはまさにあの時の葱であり、いま刻む、という言葉にはかすかな逡巡が感じられ共感する。遠き日の一句はこの句なのだろうか、いずれにしても、句のことを句に仕立てる、という難しさを越えて光る二つの葱句である。『日光月光』(2010)所収。(今井肖子)


November 20112011

 弱き身の冬服の肩とがりたる

                           星野立子

んとなく読み過ごしてしまいそうになりますが、本日の句に学ぶことは多いと思います。まず、人を見る目のあたたかさと柔らかさに驚いてしまいます。読めば読むほど、恐ろしいほどに眼差しの深さを感じるのです。「弱き身」とは、ことさら身体の弱い人のことを指しているのではないのでしょう。だれでもがその根っこのところでは、びくびくと生きているのです。その弱い精神を包み込むようにして着た服は、鎧のように肩がとがっているのかもしれません。すぐれた句を詠む、というよりも、すぐれた眼差しを持つことが、まずは目指されなければならないことなのだと、教えてくれているようです。『日本大歳時記 冬』(1971・講談社) 所載。(松下育男)


November 21112011

 冬青空毎日遠くへ行く仕事

                           興梠 隆

く晴れた冬の朝、出勤時を詠んだ句だ。いつもと同じ遠い職場に出かけてゆく。そのまんま、である。それがどうしたの、である。しかし、そこまでしか読めない読者は不幸だ。この句の力は、そのまんまの中に、一種の隠し味を秘めているところにある。「遠くへ」は単なる距離感を示しているだけではなくて、同時に時間性を持ち合わせており、それが無理なく読者に伝えられている。寒いけれども、空は晴朗だ。いつものようにその空の下に出て行くときに、作者はふっと来し方行方のことを思っている。毎日さしたる意識もせずに遠い仕事に出かけてきたこれまでの生活というもの、そしてこれからもつづいていくであろう人生の道筋。そういう時間性、歴史性が一瞬明滅して、冬空に消えてゆく感慨を、「遠くへ」の語に語らせているというわけだ。そしてここには、格別な希望もなければ悲観もない。ただそのように自分が生きていることへの確認があるだけである。こういう気持ちは、ときに誰にでも湧いてくるだろう。ただ、誰も書きとめてこなかっただけである。作者名の読みは「こうろき・たかし」。『背番号』(2011)所収。(清水哲男)


November 22112011

 やすませてもらふ切株冬あたたか

                           宮澤ゆう子

ることができる大きさの切株とは、どれほどの樹齢なのかと調べてみると、松の場合、直径10センチで樹齢50年、40センチで100年〜200年が目安という。大きな切株であればさらに樹齢を重ねており、掲句の「やすませてもらふ」に込められた擬人観もたやすく理解できる。大木であった頃に広げていた枝に羽を休める小鳥や、茂る葉陰を走り回っていたリスは消えてしまったが、今では旅人が憩う切株として姿を変えた。本格的な冬を間近に控えた明るい空気のなかで、数百年を過ごした歳月に、今腰掛けているのだという作者の背筋の伸びるような思いが伝わる。長い時間をかけ大木となった幹はあっけなく切り倒され、年輪をあらわにした切株となり果てた。とはいえ、無惨な残骸とはならず、あたたかな日を吸い込みながらまた長い時間を過ごすのだ。『碧玉』(2009)所収。(土肥あき子)


November 23112011

 虫程の汽車行く広き枯野哉

                           森 鴎外

イドに目にくっきりと見える句である。広い枯野を前にして、走行する汽車が「虫程」とは言い得て妙。遠くから眺められる黒々とした汽車は、スピードが遅く感じられるから、のろのろと這う虫のように見えるのだろう。わかるなあ。何という虫か? 芋虫のように見えたのだろうか。まあ、ともかく「虫」でよろしい。驀進する新幹線とはちがうのだから、いずれにしろカッコいい虫ではあるまい。電車ではなく汽車の時代であるゆえに、枯野はいっそう荒涼とした広がりを見せている。荒涼とした風景であるはずなのに「虫程の汽車」の登場によって、どことなく愛すべき汽車の風景みたいに感じられてもくるし、枯野を前にした作者の気持ちもゆったりしているようだ。ほぼ同時代の漱石や露伴らは、句作が先行していて小説に移行したわけだけれど、鴎外は小説家として一本立ちしてのち俳句も作るようになった。掲句は「明治三十七年十月於大荒地」と詞書がある。同時に作った句に「ただ一つあき缶ひかる枯野哉」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


November 24112011

 寝釈迦には星の毛布が似合ひけり

                           津山 類

釈迦といえば『ビルマの竪琴』を思い出す。僧になった水島上等兵の奏でる「埴生の宿」を耳にした日本兵が、巨大な寝釈迦のまわりを探しまわるシーンだ。千葉県館山で同じような寝釈迦を見た。座っている仏様を見なれた目には寝釈迦はゆったりくつろいでいるように見える。冒頭の映画のシーンでは水島上等兵は釈迦の腹の中に隠れていたが、その寝釈迦にも背中あたりに小さな戸があり、出入りできる様だった。うっそうとした森に囲まれ横になる仏様にとって夏は涼しくていいが、冬だとさぞ寒かろう。掲句のように満天の冬星が寝釈迦の毛布だと思えば冬枯れた景色も暖かく思える。「葛城の山懐に寝釈迦かな」の 阿波野青畝の句の寝釈迦は山懐に包まれている安らぎがあるが、この句の寝釈迦は冬空に合わせてサイズが大きく伸びてゆくようである。『秘すれば花』(2009)所収。(三宅やよい)


November 25112011

 板橋の日向に落葉籠を置く

                           島田刀根夫

橋の日向。板橋は東京都板橋区の板橋か。だとすると作者はこの地名にどういう思いを凝らしたのか。板橋が板の橋である可能性もある。波多野爽波門という視角的な描写を重視する作り方を考えればこちらの方が作者の意図かもしれない。板の橋は板橋というふうに言えるのか。竹の橋は竹橋。土の橋は土橋。石の橋は石橋か。しばらく二つのヨミを巡らせた上で後者に軍配が傾く。この行司サバキ自体が僕の嗜好を反映している。その地の風土的実体が希薄なのに言葉の効果だけを狙って地名を用いた句を僕は好まないのだ。小さな幅の流れに板の橋が渡してある。そんな短い橋にも日向と日陰があり、その日向の部分に落葉籠が置かれている。細部に目を凝らしたしずかな風景だ。アメリカの画家アンドリュー・ワイエスの絵のように。『青春』(2007)所収。(今井 聖)


November 26112011

 光る虫あつめて光り花八つ手

                           小島 健

所の緑道にある八つ手の木の前を昨日も通った。それは民家の裏庭の端に植えられていて、宇宙ステーションのような不思議な花の形が緑道にはみ出しており、本当にたくさんの虫が寄ってきている。この時期花が少ないからだと歳時記にあるが、それにしても虫がこんなに好くのだから、よほど蜜がおいしいのだろうかと調べると、小さいながら五弁の白い花の中心の蜜が光って虫を集めるのだという。そして、虻や蜂など黒光りするものが寒い中でも体温が下がらず元気なのでよく飛んでくる、とある。掲出句、花八つ手の白さと、そこに来ている虫が纏う日差し、という二つの光が淡い冬日をじんわりと感じさせ、ほのぬくい余韻が心地よい一句と思う。『小島健句集』(2011)所収。(今井肖子)


November 27112011

 店の灯の明るさに買ふ風邪薬

                           日野草城

くなってきたなと思い始めるころには、間違いなく風邪をひく人が出てきます。「風邪をひかないように気をつけて」という挨拶が、自然と口に出てくるようになってきます。今日の句、風邪薬を買っているのは風邪をひき始めた当の本人なのでしょう。勤め人には、どうしても会社を休めない日があって(というか、たいていの日はそうなのですが)、風邪は仕事の大敵です。洟水を気にしながらなんて、とてもじゃないけど集中して仕事ができません。「灯の明るさ」は、風邪の症状のうっとうしさから確かに守ってくれる安心感を表しています。あたたかなオレンジ色に輝く店の灯に包まれて、まずは気分だけでも多少は持ち直したいものです。『日本大歳時記 冬』(1971・講談社) 所載。(松下育男)


November 28112011

 初雪や父に計算尺と灯と

                           山西雅子

まどき計算尺を使う人はいないだろうから、回想の句だろう。夕暮れころから、ちらちらと白いものが舞いはじめた。初雪である。まだ幼かった作者は、雪を見て少しく興奮している。さっそく部屋で仕事をしている父に雪を告げようとしたのだけれど、彼はそのような外界の動きとは隔絶されているかのように、一心に計算尺を操っている。手元近くにまで灯火を引き寄せ、カーソルを左右に動かしながら細かい目盛りを追っている。ちょっと近寄り難い感じだ。この情景から見えてくるのは、技術畑で叩き上げられた謹厳実直な父親像であり、また真っ白い計算尺は灯影に少し色づいていて、そんな父親の胸の内を投影しているかのようにも見えている。初雪の戸外の寒さと、家の中の父親のあるかなしかの暖かみ。私の父も計算尺をよく使っていたので、この句の微妙な味は、よくわかるような気がする。「俳句」(2011年12月号)所載。(清水哲男)


November 29112011

 冬麗や象の歩みは雲に似る

                           大橋俊彦

に象のかたちを見てとることはあっても、地上最重量の象を見て、雲と似ているなど誰が思いつくだろう。とはいえ、言われて動物園などで目の当たりにしても象の歩みは、どしんどしんと地を響かせるようなものではなく、対極のひっそりした趣きさえたたえている。これは側対歩という同じ側の足を踏み出し、前足のあったところにきれいに後ろ足が重なるという歩き方のためと、足底に柔らかいパッド状に脂肪が付いていることによるのだというが、象のもつ穏やかで優しげな雰囲気もひと役買っているように思う。以前、タイで象の背に乗ったという友人が「思いのほか揺れた」と言っていた。もしかしたら、雲もまた乗ってみれば思いのほか揺れるものなのかもしれない、などと冬の青空に浮かぶ雲を眺めている。〈梟の視界の中を出入りせり〉〈冬至湯の主役にゆず子柚太郎〉『深呼吸』(2011)所収。(土肥あき子)


November 30112011

 昼火事に人走りゆく冬田かな

                           佐藤紅緑

間の火事にくらべて昼火事は、赤々と炎があがるという派手さは少ないけれど、おそろしく噴きあがる煙が一種独特な緊張感を喚起する。風景も人の動きもはっきりと目に見えるからだろうか。そしてなぜか火事だというと、警報に誘われるように人はどこからか遠巻きに物見高く集まってくる。不謹慎な言い方になるけれど、火事は冬か春先が似合う。火には寒気? 真夏の暑い盛りの火事はだらしないようで、私にはピンとこない。冬の田んぼにはもう水はないし、刈ったあとの稲株も枯れて腐ってしまっている。「スワ、火事だ!」というので、干あがった田の面か畔をバラバラと駆け出してゆく野次馬どももいよう。私にも昼火事の野次馬になったことが一度ならずあるが、妙に気持ちが昂揚するものだ。高校に入学して最初の授業中に起きた、校舎のすぐ隣にある大きなマッチ工場の火事のショックは忘れがたい。上級生たちは消火の手伝いに走ったが、とんでもない学校に来てしまったと、そのとき真剣に考えたっけ。冬田の句には鴉とか雨の取り合わせが目立つけれど、昼火事と冬田の取り合わせは鮮やかなダイナミズムを生み出している。富安風生に「家康公逃げ廻りたる冬田打つ」という傑作がある。平井照敏編『新歳時記・冬』(1996)所収。(八木忠栄)




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