玄海原発運転再開、かたや福島第1原発で核分裂の可能性。怒、哀。(哲




2011N113句(前日までの二句を含む)

November 03112011

 助手席の犬が舌出す文化の日

                           大木あまり

号待ちをしている車の窓から顔を出している犬と眼が合う。小さな室内犬は飼い主の膝に抱かれてきょろきょろしているが、大型犬などはわがもの顔で助手席にすわり、真面目な顔で外を眺めている。流れゆく景色を眺めながら犬は何を思っているのだろう。車の中が暑いのか、楽しいものを見つけたのか、犬が舌を出してハ―ハ―している。しかし下五に「文化の日」と続くと、批評性が加わり「文化だって、へー、ちゃんちゃらおかしいや」と犬がべろり舌を出して笑っているように思える。しかし助手席に座る犬を「お犬さま」に仕立てているのは人間達の一方的な可愛がりの結果。犬が欲求したわけでもない。ホントのところ犬は人間並みの扱いに閉口しているかもしれない。と、ソファに眠る我が犬を眺める文化の日である『星涼』(2010)所収。(三宅やよい)


November 02112011

 かまきりや霜石仏遠木立

                           長谷川伸

一月は霜月。霜は本格的な冬の前兆だが、言葉の響きはどこやらきれいな印象を与える。「露結びて霜とはなるなり。別物にあらず」(『八雲御抄』)と書かれたように、古くは、霜は露の凍ったものと考えられ、「霜が降る」と表現された。現在は通常、霜は「おりる」「置く」と表現される。掲句は霜のおりた野の石仏に、もう弱り切ったかまきりがしがみつくように、動かずにじっととまっている姿が見えてくる。あるいはもうそのまま死んでしまっているのかもしれない。背景遠くに、木立が寒々しく眺められる。十七文字のなかに並べられたかまきり、霜、石仏、木立、いずれも寒々とした冬景色の道具立てである。これからやってくる本格的な冬、それをむかえる厳しい光景が見えてくるようだ。一見ぶっきらぼうなようでいて、遠近の構成は計算されている。季語「霜」の傍題の数は「雪」に及ばないけれど、霜晴、深霜、朝霜、夕霜、強霜、霜の声、……その他たくさんある。「夕霜や湖畔の焚火金色に」(泉鏡花)「霜の墓抱き起されしとき見たり」(石田波郷)などの霜の句がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


November 01112011

 萩刈りて風の行方の定まらず

                           柚口 満

や芒などなびきやすいものの姿を見つめていると、風の通り道がはっきりと分りますねという句は多く見かけるが、掲句は刈ってしまった萩のおかげで風が迷っているとでもいう様子なのだ。たまたま風があるから穂がなびくのではなく、なびかせるのが面白くて風は通っていたのだと思わせる。たしかに渦を巻いたり、突風を吹かせたり、風には単なる気象現象というにはあまりに意図的でいたずらな横顔を持っている。ちなみに「風のいたずら」でGoogle検索してみると、なんとまぁ愉快で迷惑ないたずらの数々。個人的な思い出だと、成人式の日が強風で、長い振袖が風をはらみどうにも収拾がつかず、まるで蜻蛉のお化けのようになり果てたことを覚えている。そんないたずら者の風が、今日もまた萩野でひと暴れしてやろうと駆けつけたところ、あったはずの萩がすっかり刈られてなくなっていたのだ。がらんとした野原で、途方に暮れている風はしばらく右往左往したのち、また次の手を考えてどこかへと駆け抜けていくのだろう。〈サーカスの檻の列行く鰯雲〉〈寒林といふ鳥籠のなかにゐる〉『淡海』(2011)所収。(土肥あき子)




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