三の酉。全国的にはあまり知られていない祭礼だと思うが…。(哲




2011ソスN11ソスソス26ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 26112011

 光る虫あつめて光り花八つ手

                           小島 健

所の緑道にある八つ手の木の前を昨日も通った。それは民家の裏庭の端に植えられていて、宇宙ステーションのような不思議な花の形が緑道にはみ出しており、本当にたくさんの虫が寄ってきている。この時期花が少ないからだと歳時記にあるが、それにしても虫がこんなに好くのだから、よほど蜜がおいしいのだろうかと調べると、小さいながら五弁の白い花の中心の蜜が光って虫を集めるのだという。そして、虻や蜂など黒光りするものが寒い中でも体温が下がらず元気なのでよく飛んでくる、とある。掲出句、花八つ手の白さと、そこに来ている虫が纏う日差し、という二つの光が淡い冬日をじんわりと感じさせ、ほのぬくい余韻が心地よい一句と思う。『小島健句集』(2011)所収。(今井肖子)


November 25112011

 板橋の日向に落葉籠を置く

                           島田刀根夫

橋の日向。板橋は東京都板橋区の板橋か。だとすると作者はこの地名にどういう思いを凝らしたのか。板橋が板の橋である可能性もある。波多野爽波門という視角的な描写を重視する作り方を考えればこちらの方が作者の意図かもしれない。板の橋は板橋というふうに言えるのか。竹の橋は竹橋。土の橋は土橋。石の橋は石橋か。しばらく二つのヨミを巡らせた上で後者に軍配が傾く。この行司サバキ自体が僕の嗜好を反映している。その地の風土的実体が希薄なのに言葉の効果だけを狙って地名を用いた句を僕は好まないのだ。小さな幅の流れに板の橋が渡してある。そんな短い橋にも日向と日陰があり、その日向の部分に落葉籠が置かれている。細部に目を凝らしたしずかな風景だ。アメリカの画家アンドリュー・ワイエスの絵のように。『青春』(2007)所収。(今井 聖)


November 24112011

 寝釈迦には星の毛布が似合ひけり

                           津山 類

釈迦といえば『ビルマの竪琴』を思い出す。僧になった水島上等兵の奏でる「埴生の宿」を耳にした日本兵が、巨大な寝釈迦のまわりを探しまわるシーンだ。千葉県館山で同じような寝釈迦を見た。座っている仏様を見なれた目には寝釈迦はゆったりくつろいでいるように見える。冒頭の映画のシーンでは水島上等兵は釈迦の腹の中に隠れていたが、その寝釈迦にも背中あたりに小さな戸があり、出入りできる様だった。うっそうとした森に囲まれ横になる仏様にとって夏は涼しくていいが、冬だとさぞ寒かろう。掲句のように満天の冬星が寝釈迦の毛布だと思えば冬枯れた景色も暖かく思える。「葛城の山懐に寝釈迦かな」の 阿波野青畝の句の寝釈迦は山懐に包まれている安らぎがあるが、この句の寝釈迦は冬空に合わせてサイズが大きく伸びてゆくようである。『秘すれば花』(2009)所収。(三宅やよい)




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