December 062011
骨色の石をあらはに水涸るる
檜山哲彦
滔々と流れる水に住む魚や、両岸の青々とした草木、そこに集う動物たち。生命の息吹に満ちた季節の川は、生きものを育む清らかな器であり、自然のなかの景観のひとつであった。それが冬となって、水量が少なくなり、水面から乾いた頭を覗かせている石を作者が骨色であることを発見したとき、川そのものにひと筋の命が宿る。先日「渓相(けいそう)」という言葉を知った。人に人相があるように川や沢にも渓相があるのだという。冬の渓相はさながら痩身の険しさだろう。ところどころに、身のうちの骨をちらつかせながら、川の旅は海へと続く。春になり、雪解けの水があふれたとき、骨色の石をふところ深く沈め、川は喜び勇んで身をくねらせる。そしてふたたび、清らかな器となって生きものを育むのだ。「りいの」(2011年2月号)所載。(土肥あき子)
March 022013
猫の舌ふれて輪を描く春の水
檜山哲彦
雪解水を湛えた湖や川、春の水は豊かである。この句の場合は猫が飲んでいるのだから池なのか、飼い猫なら小さな器の中のわずかな水ということになる。猫はどんな風に水を飲むのだろう、と検索したら、一秒間に数回という速さで舌を上下させて、本能的に流体力学を利用して優雅に飲んでいるのだとある。動画を見たら、うすももいろの舌先が水面に繊細にふれるたび、水輪の同心円が次々に生まれていた。水が動けば光も動く。猫をやさしい眼差しで見守りながら、そんな小さな水にも春を感じている作者なのだろう。『天響』(2012)所収。(今井肖子)
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