開戦日。街にはイルミネーションもツリーもなかった。寒かった。(哲




2011ソスN12ソスソス8ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 08122011

 銀河系柚子にはもはやもどれまい

                           糸 大八

数の星をまたたかせる冬の夜空に柚子の実がランプのように点っている。この句、銀河系(が)柚子にはもはや戻れないと、読んだ。銀河系は常に生成と消滅を繰り返し、一日とて同じ姿はない、もともとは柚子であったのに銀河系になってしまった。ということだろうか。または銀河系柚子の存在そのものが銀河系から切り離されて別物になってしまったとも読める。その場合は銀河系柚子から変質してしまった物に自己投影していると考えられる。銀河系のうち一番近いと思われる火星ですら行くだけで一年近くかかるらしい。日本の隅っこに生息する私には計り知れない時間と空間が広がる宇宙の大きさであるが、厖大な銀河系と掌にのる柚子との関係づけが面白い。柚子湯、ゆずみそ、冬の生活に欠かせない柚子。その明るい黄色とすっぱさ、凝縮された香気が銀河系に広がる。さもありなんと思える。『白桃』(2011)所収。(三宅やよい)


December 07122011

 鍋もっておでん屋までの月明り

                           渥美 清

をもって近所へ豆腐を買いに行ったり、おでんを買いに走ったり――そんな光景は今でも見られるのだろうか? 「おでん屋」といっても、ここでは店をかまえているおでん屋ではなくて、屋台のおでん屋ではないだろうか。夕食のおかずを作る時間がなくて、熱いおでんを買いに行くのだろう。酒の肴にするおでんを買ってくる、ということなのかもしれない。下町あたりだろう。月だけが皓々と照っていて、外は一段と寒い。映画「男はつらいよ」にこんなシーンはありそうだが、記憶にない。おでん屋の屋台と手にもつ鍋が月明りのなかで、そこだけポッと暖かく照らし出されているような気がする。落語の「替り目」は、深夜つまみがないから、酔っぱらって帰ってきた亭主のために、女房がおでん屋へ走るという噺だ。掲句について、森英介さんは「渥美清さんの生活の反映のような気がしますね」とコメントしている。そう、渥美清の生活実感だったかもしれない。「名月に雨戸とざして凶作の村」なんて句もある。森英介『風天 渥美清のうた』(2008)所載。(八木忠栄)


December 06122011

 骨色の石をあらはに水涸るる

                           檜山哲彦

々と流れる水に住む魚や、両岸の青々とした草木、そこに集う動物たち。生命の息吹に満ちた季節の川は、生きものを育む清らかな器であり、自然のなかの景観のひとつであった。それが冬となって、水量が少なくなり、水面から乾いた頭を覗かせている石を作者が骨色であることを発見したとき、川そのものにひと筋の命が宿る。先日「渓相(けいそう)」という言葉を知った。人に人相があるように川や沢にも渓相があるのだという。冬の渓相はさながら痩身の険しさだろう。ところどころに、身のうちの骨をちらつかせながら、川の旅は海へと続く。春になり、雪解けの水があふれたとき、骨色の石をふところ深く沈め、川は喜び勇んで身をくねらせる。そしてふたたび、清らかな器となって生きものを育むのだ。「りいの」(2011年2月号)所載。(土肥あき子)




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