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December 19122011

 猟人の提げて兎の身は長し

                           望月 周

にも、この句の実感がある。子供の頃の田舎では、冬の農閑期になると、大人たちが銃を持ち猟犬を連れて山に入っていった。ターゲットは主として野兎で、夕暮れ近くになると獲物を提げた男らの姿が目撃され、だらりと垂れ下がった兎は、句にあるようにずいぶんと長く感じられたものだった。兎といえば、生きているときの丸っこいイメージが強いので、短躯と思いがちだけれど、実際は違うのである。肉はすぐに食べてしまうが、皮は干してから実用にする。納屋の壁などに長々と干されてある兎の姿は、懐かしい風物詩のように、いまでもときどき甦ってくる。そんな昔であれば、この句はちょっとした日常のなかの発見を詠んだことになるが、四十代の作者はいつごろ、どこでこんな兎を見かけたのだろうか。『俳コレ』(2011)所載。(清水哲男)


August 1582014

 鳥が鳥追い払ひたる茂りかな

                           望月 周

語は「茂り」で夏。小鳥来る秋の前である。小鳥達にとって子育ての最中だろうか縄張りの茂りを必死で防衛中である。縄張りといえば鳥に限らず魚の鮎なども知られている。植物も群生という事があるからひょっとすると生きるものは多かれ少なかれ縄張りを持つのかも知れない。縄張りはそれを守る戦いによって実現している。生物である人間もまた国家という縄張りを持つ。平和を祈りつつも地球上に縄張りを守る紛争が絶えた試しはない。何か哀しい気もするが人はこうした哀しい性からは免れられないのだろう。それでもこの水の惑星に愛しい命を輝かせている。今日は終戦記念日。俳誌「百鳥」(2013年10月号)所載。(藤嶋 務)


October 27102014

 矢の飛んできさうな林檎買ひにけり

                           望月 周

しぶりに、子供のころに読んだ物語を思い出した。「矢」と「林檎」とくれば、ウィリアム・テルのエピソード以外にないだろう。14世紀の初頭、スイスはオーストリアに支配されており、やってきた悪代官は横暴の限りをつくしていた。弓の名手だったテルも難癖をつけられて捕えられたが、意地悪な悪代官は彼に、幼い息子の頭に乗せた林檎を遠くから矢で射ぬけたら、命を助けてやろうと言われる。そこでテルは見事に林檎を射ぬくことに成功し、携えていたもう一本の矢で代官を射てしまう。子供向けの話はここで終わるのだけれど、このテルの働きが導火線となって、スイスはオーストリアの支配下から脱出したのであった。ただし、定説では、ウィリアム・テルはどうやら架空の人物であるらしい、そんな物語を想起させる「林檎」を、作者は買い求めた。平和な時代のこの林檎は、大きくてつやつやと真っ赤に輝いてたに違いない。ずしりと手に重い林檎の姿が、大昔の異国のヒーロー像とともに、読者の胸に飛び込んでくる。『白月』(2014)所収。(清水哲男)


April 2442015

 九官鳥同士は無口うららけし

                           望月 周

官鳥は人や動物の声真似、鳴き真似が上手で音程や音色だけでなく抑揚までも真似する。この習性を利用し人は言葉を教えて飼い慣らす。日頃から色々と話しかけて根気よく付き合ってゆく。鳥と人間の相棒関係が頻繁な言葉の話し掛けによって構築されてゆく。真偽は定かでないが、飼主であった九官さんの名を発生するので九官鳥と名付けられたという。そんな九官鳥もお相手が同類の九官鳥となると無口なってしまうとか。真似事ばかりして本来の鳥語を忘れてしまったか。明るい春の陽を浴びて、のんびりと長閑であるのもいいものだ。<流灯の白蛾を連れてゆきにけり><流れ星贈らんと連れ出しにけり><一本の冬木をめがけ夜の明くる>など。『白月』(2014)所収。(藤嶋 務)




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