故郷の山口県でもかなり雪が降っているそうだ。見に行きたい。(哲




2011ソスN12ソスソス26ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 26122011

 行く年や一編集者懐かしむ

                           榊原風伯

家や評論家などの著者が、かつての担当編集者を懐かしんでいるともとれるが、この場合はそうではない。作者は私の河出書房「文芸」編集部時代の同僚だったし、河出退職後も編集者を勤めた人だから、「一編集者」とは作者自身のことだ。どんな仕事でもそうだろうが、月刊誌編集者の年末も多忙である。というよりも、普段の月とは仕事のリズムが激変するので、退職してからも年末のてんてこまいは特別に記憶に残るのである。忙しさは、しかしクリスマスを過ぎるあたりで、急ブレーキでもかかったかのように霧消してしまい、仕事納めまでの何日間かは今度はヒマを持て余すことになる。このいわば空白期に、大げさに言えば、編集者は「行く年」とともに一度死ぬのである。再び生き返るのは、年が改まってからの数日後であり、それまでのわずかな期間は編集者としてのアンテナや神経をたたんでしまう。つまり、職業人的人格を放棄するというわけだ。そんな年末の曲折のことを、作者は「過ぎ去ればすべてなつかしい日々」(永瀬清子)とでも言いたげに、ひとりぽつねんと回顧している。『炎環・新季語選』(2003)所載。(清水哲男)


December 25122011

 クリスマス昔煙突多かりし

                           島村 正

の句を読んで、「ああそうか、サンタクロースは煙突から入ってくるのだったな」と、思い出します。クリスマスそのものを描こうとしているわけでもなく、煙突について書こうとしているわけでもありません。ただ単に、二つの単語を置くことによって、サンタクロースの太った姿をまざまざと思い起こさせてくれます。書きたいことに焦点を当て過ぎない。表現とは決して、これ見よがしであってはいけないのだと思うわけです。ところで、12月25日とは、当たり前かもしれませんが、テレビやラジオからクリスマスソングが流れるその年最後の日なのだなと、思うのです。山下達郎もWHAM!も、また一年間大切に、しまわれてしまう日であるわけです。『角川俳句大歳時記 冬』(角川書店・2006)所載。(松下育男)


December 24122011

 初雪やリボン逃げ出すかたちして

                           野口る理

が来そうな空の色や空気の匂い、さっきまでとは違う底冷え感には、なんとなくわくわくさせられる。初雪が最初で最後の雪、ということも多い東京にいるからそんな悠長なことを言っていられるのかもしれないが、この句の初雪も、そんな都会の初雪だろう。あ、雪、と見上げているうちに、街のクリスマスプレゼントを包んでいるリボンがするするとほどけて空へ空へ。舞い落ちる淡く白い雪と舞い上がる色とりどりのリボン、たくさんの人がただそれを見ている映像が浮かぶ、渋谷のスクランブル交差点あたり。いつでも逃げだせるリボン、明日は丁寧にほどかれしまわれて、次のチャンスを待つことになるのだろうか。『俳コレ』(2011)所載。(今井肖子)




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