i句

December 29122011

 悲しみはつながっているカーブする

                           徳永政二

011年も終わりに近づいている。自分が生きてきた中で今年は今までと違う一年だったと思う。3月11日の東日本大震災の津波と原発事故。私は現地へ行ったわけでもなく、被災した人たちから直接話を聞いたわけでもないが、深く心に突き刺さった出来事だった。いや「だった」と過去形ではなくそれは今も続いている。一度起こったことは片付くなんてことはない、それは形を変えていつまでも続くのだ、と言ったのは夏目漱石の『道草』の主人公だったと思うが、そうした現実から滲みだしてくる悲しみが人の心を伝わって双曲線を描きながら自分に帰ってくる。それが言葉になって表現できるようになるのはいつだろうか。川柳は俳句にはない直接性があり、時折ダイレクトな言葉の手ごたえを感じたいときには川柳を読む。いかようにも読める句かもしれないが、わたしには今年を終るにあたって一番心に響く句であった。この句が収録されている句集は沢山の写真と組み合わされて構成されているが、この句に添えられた写真もいい。灰色の空に突き出た太い帆先に一人たたずむ男が遥か遠方を見ている、その孤独な姿がこの句と実によく響き合っている。『カーブ』(2011)所収。(三宅やよい)


February 0722013

 ふりそそぐひかり私の逆上がり

                           徳永政二

かった冬を抜け、ようやく立春を迎えた。これからは一日一日日が長くなり、日差しは明るさを増してゆくだろう。本格的な春がどんどん近づいてくる。「光の春」はロシアで使われていた言葉らしいが、緯度の高い国々に住む人たちにとって春は希望そのもの。降り注ぐ光に春を待つ気持ちが強く反応し、この言葉が生まれたのだろう。鉄棒を握って「えいっ」とばかりに足を振り上げて回る逆上がり。まぶしい青空がうわっと顔に降りかかりくるっと回転する。逆上がりが苦手な私はなかなか回転出来なかったので、あおむけの顔に日の光を存分に浴びた覚えがある。眩しい日差しと手のひらの鉄の匂い。もうすぐ春がやってくる。掲句は川柳フォト句集のうちの一句。『カーブ』に引き続き、写真と川柳のセンスあるコラボレーションがふんだんに楽しめる。「春がくる河馬のとなりに河馬がいる」「あの人もりっぱな垢になりはった」『大阪の泡』(2012)所収。(三宅やよい)




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