今年もご愛読ありがとうございました。良いお年を!!!!!(哲




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December 31122011

 極月や父を送るに見積書

                           太田うさぎ

週に続いて『俳コレ』(2011)よりの一句。同じ作者で〈父既に海水パンツ穿く朝餉〉〈ぐんぐんと母のクリームソーダ減る〉とあり、いいなあこのご両親というか親子関係、などと思いながら拝読していたので、この一句は寂しい。近親者を送ったことがある人ならおそらく皆経験したであろう感情が、きっちり俳句になっている。事務的なことをこなしていると、気が紛れたりだんだん実感がわいたりするけれど、波のように間欠的に押し寄せてくる感情は、悲しいのか寂しいのかどこか腹立たしいのか、なんだかうまく言えない。そこをまさに言い得ているのだろう。極月も最後の一日、怒濤の一年がとりあえず終わろうとしている。よい年というのがどんな年なのかわからないけれどやはり、来年はよい年になりますように、と願わずにはいられない。(今井肖子)


December 30122011

 お積りの酌をしづかに年忘

                           本井 英

積りという言葉を初めて知った。酒席でその酌限りでおしまいにすることとある。忘年会で酒を飲んでいる。これでおしまいにしようと最後の盃を口に運ぶ。日本酒、日本男子、和装の風景だ。こういうのを品格とかマナーというのだろう。なんでも口に入れればいいという少年期、青年期を過ごした身には眩しい風景だ。僕の父は息子にほんとうの品格というのはバーバリズムを一度通ったところにある。英国では血みどろのバイキングを経てジェントルマンが生れたように。と薀蓄を述べたが、息子はついに野蛮な豚児のまま還暦を迎えた。酒の飲み方も箸の持ち方もコース料理のテーブルに置かれたナイフとフォークをどちらから手に取るかさえいまだにわからない。「俳句年鑑」(2012)所載。(今井 聖)


December 29122011

 悲しみはつながっているカーブする

                           徳永政二

011年も終わりに近づいている。自分が生きてきた中で今年は今までと違う一年だったと思う。3月11日の東日本大震災の津波と原発事故。私は現地へ行ったわけでもなく、被災した人たちから直接話を聞いたわけでもないが、深く心に突き刺さった出来事だった。いや「だった」と過去形ではなくそれは今も続いている。一度起こったことは片付くなんてことはない、それは形を変えていつまでも続くのだ、と言ったのは夏目漱石の『道草』の主人公だったと思うが、そうした現実から滲みだしてくる悲しみが人の心を伝わって双曲線を描きながら自分に帰ってくる。それが言葉になって表現できるようになるのはいつだろうか。川柳は俳句にはない直接性があり、時折ダイレクトな言葉の手ごたえを感じたいときには川柳を読む。いかようにも読める句かもしれないが、わたしには今年を終るにあたって一番心に響く句であった。この句が収録されている句集は沢山の写真と組み合わされて構成されているが、この句に添えられた写真もいい。灰色の空に突き出た太い帆先に一人たたずむ男が遥か遠方を見ている、その孤独な姿がこの句と実によく響き合っている。『カーブ』(2011)所収。(三宅やよい)




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