どんな年になるのでしょうか。手の内のカードは黒っぽいですが。(哲




2012ソスN1ソスソス1ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 0112012

 元日の玄関にある笑ひ声

                           塩尻青笳

が明けました。昨年は特別な年でした。日本の歴史の中で、大きな意味をもった年でありました。それでも年は明けました。2012年、もう特別でなくてもいい。当たり前の時間が流れて、当たり前に水道からきれいな水が出て、当たり前に家族と夕飯を食べられる年であってほしいと、願わずにはいられません。本日の句、読んでいるだけでホッとした気持ちになります。玄関にある笑い声。年始の挨拶に来た友人や親せきとの笑い声でしょうか。軽い冗談でも言いあっているのでしょうか。気の置けない間柄なのでしょう。お互いに幸せな一年でありますようにと、笑い声の間には、深い思いが包み込まれているのです。『日本大歳時記 新年』(講談社・1981)所載。(松下育男)


December 31122011

 極月や父を送るに見積書

                           太田うさぎ

週に続いて『俳コレ』(2011)よりの一句。同じ作者で〈父既に海水パンツ穿く朝餉〉〈ぐんぐんと母のクリームソーダ減る〉とあり、いいなあこのご両親というか親子関係、などと思いながら拝読していたので、この一句は寂しい。近親者を送ったことがある人ならおそらく皆経験したであろう感情が、きっちり俳句になっている。事務的なことをこなしていると、気が紛れたりだんだん実感がわいたりするけれど、波のように間欠的に押し寄せてくる感情は、悲しいのか寂しいのかどこか腹立たしいのか、なんだかうまく言えない。そこをまさに言い得ているのだろう。極月も最後の一日、怒濤の一年がとりあえず終わろうとしている。よい年というのがどんな年なのかわからないけれどやはり、来年はよい年になりますように、と願わずにはいられない。(今井肖子)


December 30122011

 お積りの酌をしづかに年忘

                           本井 英

積りという言葉を初めて知った。酒席でその酌限りでおしまいにすることとある。忘年会で酒を飲んでいる。これでおしまいにしようと最後の盃を口に運ぶ。日本酒、日本男子、和装の風景だ。こういうのを品格とかマナーというのだろう。なんでも口に入れればいいという少年期、青年期を過ごした身には眩しい風景だ。僕の父は息子にほんとうの品格というのはバーバリズムを一度通ったところにある。英国では血みどろのバイキングを経てジェントルマンが生れたように。と薀蓄を述べたが、息子はついに野蛮な豚児のまま還暦を迎えた。酒の飲み方も箸の持ち方もコース料理のテーブルに置かれたナイフとフォークをどちらから手に取るかさえいまだにわからない。「俳句年鑑」(2012)所載。(今井 聖)




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