2012N1句

January 0112012

 元日の玄関にある笑ひ声

                           塩尻青笳

が明けました。昨年は特別な年でした。日本の歴史の中で、大きな意味をもった年でありました。それでも年は明けました。2012年、もう特別でなくてもいい。当たり前の時間が流れて、当たり前に水道からきれいな水が出て、当たり前に家族と夕飯を食べられる年であってほしいと、願わずにはいられません。本日の句、読んでいるだけでホッとした気持ちになります。玄関にある笑い声。年始の挨拶に来た友人や親せきとの笑い声でしょうか。軽い冗談でも言いあっているのでしょうか。気の置けない間柄なのでしょう。お互いに幸せな一年でありますようにと、笑い声の間には、深い思いが包み込まれているのです。『日本大歳時記 新年』(講談社・1981)所載。(松下育男)


January 0212012

 読初は久方ぶりのトルストイ

                           向井ゆたか

いころに読んだ本を再読したいと思うときがある。私の例で言えば、トルストイの『戦争と平和』だとかマンの『魔の山』などがそれだ。しかしただ思うだけで、いつか読もうと先延ばしにしているうちに、初読の時からずるずると半世紀もの時間が流れてしまった。反省してみると、なかなか再読できない本は、たいていがもはやクラシック本となった書物だ。読み返したいとは思っても、それらは現在ただいまの時代的呼吸をしていないために、すぐに作品世界に入っていくことが難しいのである。だから、ついつい先延ばしにしてしまいがちになる。そこへいくと句の作者は、うまいタイミングを見つけたものだと思う。なるほど、正月の時間の流れは普段に比べれば、ずっと非日常的だろう。そしてそんな流れのなかに、ねらいすましたような、トルストイを読む時間を挿し込んだのだった。正月ならではの句であり、「読初」の季語もよく効いている。『円虹例句集』(2008)所載。(清水哲男)


January 0312012

 どの星も棘あるごとし寒波来る

                           岡崎 伸

さが厳しければ厳しいほど、夜空は引き締まり、月や星は輝きを増す。とはいえ、同じ天体でも絵に描く場合には、太陽には本体の円形を囲む線によって温みや光彩を表し、月は本体のみが描かれる。そして、星だけに輝きの尖りが付く。パソコンで「星」と打って変換される「☆」にも5方向に輝きが放射される。星は輝くものの代名詞として使われ、その輝きはまたたいて見えることからより強調されるのだろう。科学的に説明すれば、星のまたたきは大気の揺らぎによるものだというが、大小の星が点滅しながら灯る夜空はいかにも美しい。掲句は寒波を背負っている夜空であり、より透徹な空気を感じさせる。輝きを棘と表現することによって、星に美しさだけではなく過酷な冬季であることも言外に含む鋭利な表情も刻まれた。〈遠眼鏡百ほどそらふ初鴨に〉〈猫すこし横へずらして日向ぼこ〉『遠眼鏡』(2011)所収。(土肥あき子)


January 0412012

 らちもなき御用始めの訓辞かな

                           内藤さち子

公庁や民間企業の多くは、きょう4日が御用始めである。つい先日、あわただしく御用納めをしてゆっくり新年を迎えたと思ったら、アッという間の御用始め。「良いお年を」という挨拶が、掌を返したように「本年もよろしく」に転換する。否も応もない一年の仕事のスタートである。身を引き締めて社長や上司の訓辞を聞く。いつの時代、どこでも、およそ訓辞というものには「厳しい」という言葉がつらなる。さしずめ今年の訓辞(あるいは年頭の挨拶)は、東日本大震災のことを避けることはできまい。大震災をここで、「らちもなき」と決めつけるわけではないけれど、およそ「御用始めの訓辞」といったものは、形式ばった「らちもなき」内容だったりする。いや、むしろ「らちもなき」訓辞がならべられている時のほうが、むしろ泰平の世のなかなのだ、と言えるかも知れない。そのへんに思わぬ落し穴があったりする。実際の仕事は明日からで、この日は訓辞を受けたり、挨拶回りをしたりで、中途半端な一杯機嫌のうちに一日が終わる、というのが元サラリーマンだった小生の正直な思い出。年々歳々、仕事が始まったら松の内もお正月気分もへったくれもない。ちょうど一年前の4日に、小生は親しかった知人の葬儀に参列して、2011年が始まったのだった。平井照敏編『新歳時記』新年(1996)所収。(八木忠栄)


January 0512012

 声のして達磨の中の達磨売

                           原 雅子

起物の達磨を売るのが達磨市だが、西日本に住んでいたときにはあまりお目にかからなかったように思う。縁起ものの達磨を身近に置いたこともなく、達磨に目を入れるのは選挙や受験合格の特別イベントだと思っていた。川越の喜多院、群馬の高崎を尋ねたときに白目をむいた大小様々の達磨が山と積まれて売られているのに圧倒された。赤い達磨の中から威勢のよい達磨売りの声が響く。高崎では眉が鶴、髭が亀にデザインされたものが人気のようだ。今日が仕事始めの方も多いだろう。今年一年平穏無事に働けて、一つでも多くの達磨に黒々と大きな瞳が入れられることを願わずにはいられない。『束の間』(2011)所収。(三宅やよい)


January 0612012

 先生も校舎も好きだ定時制

                           中西秀斗

校生の俳句といっても実質は大人の俳人と同じレベルだ。野球で甲子園に出るような高校が仮に社会人野球のチームとやっても互角以上の試合が予想されるように、俳句だって知情意のバランスのとれたいわゆる進学校の高校生は技術にも感覚にも秀で、大人の俳人をくすぐる術だって全部こころえている。じゃあそういうこましゃくれたハイティーンに死角はないかというとこれがあるんだな。これに対抗するには自分の現実を泥臭く詠うに尽きる。憤懣やる方ない現実や欠落している自分の部分をさらけだすこと。深刻ぶらないであっけらかんと。彼らに一番欠けているところだ。この句の作者は定時制。昼間は多くが働いている人たちだ。先生が好きだは常套。演出じゃなくてたとえほんとうにそうであったとしても「詩」にはならない。凄いのは「校舎」だな。学校が好きは定番陳腐だが、「校舎」は真実そういう気持がなければ出てこない言葉。昼間商店や工場で働いている人にしか言えない。進学校の生徒には絶対詠えない。作者は学校という概念じゃなくて現実に触れえる校舎という物象が好きなんだと気づいたとき胸が熱くなる。ついこの間まで高校で俳句部を指導していたのでつい戦法のような言い方になってしまった。すみません。『17音の青春2008』所載。(今井 聖)


January 0712012

 生きている人がたくさん初詣

                           鳴戸奈菜

の句には昨年、年が明けてほどなく出会った。とても印象深かったのだが一月も半ばになっていて、初詣の句を鑑賞するには遅すぎるだろうから来年の一句目はこの句で、と決めたことを記憶している。父が亡くなって一年と少し、たくさんの生きている人、を実感している作者に共感したのかもしれない。初詣の人混みを、生きている人がたくさん、と言う作者に、何人ものかつて生きていた大切な人の影を色濃く感じたのだった。そしてさらに一年が経ち、あらためてこの句を読むと、生きている人がたくさん、の言葉は、素直に人間の生命力なのだとも思える。読み手は常に生きている人、生き続ける俳句とはいったい、などと考えもする年頭である。『露景色』(2010)所収。(今井肖子)


January 0812012

 新年会すし屋の細き階のぼる

                           筒井昭寿

年、外資系の会社に勤めていた私にとっては、通勤した初日から年度末決算に追われて残業となり、新年気分などはすぐに吹き飛んでしまいます。それでも、「新年会」という理由が付けば、みんなで帰りに一杯やろうかという気分も出てきます。ちょっとした区切り目にはなるし、ささやかに生きて行く勇気も、酔いとともに多少はみなぎってきます。今日の句、読んでいるだけで、情景が目にまざまざと浮かんできます。小さなすし屋の、隅に様々な物が積んである狭い階段を、よろけながらのぼってゆきます。階下で用をたした後のことなのでしょうか。ふすまの向こうには、聴きなれた同僚たちの愉快な声が聞こえてきます。あたたかなざわめきの中へ、今年も再び入ってゆけることの喜びを感じながら。『角川俳句大歳時記 新年』(2006・角川書店)所載。(松下育男)


January 0912012

 猿が岩を叩いてやまず「春よ来い」

                           鎌倉佐弓

の「春よ来い」には、狂気に通ずる不気味な願いを感じる。童謡の「あるきはじめた みいちゃん」などのように、ほのぼのとした感じはない。猿が岩を叩いている。いっこうに叩くのをやめる様子はない。見ていると、なにかただならぬ猿の仕草に、作者はだんだん釣り込まれていく。いったい、この猿は何を思って、そんなにも執拗に叩きつづけているのだろう。単純に空腹だからなのか、どこか身体が不調なのか、それとも……。むろん猿は何も言わないから、作者は推測するしかない。わからないまま、作者はあてずっぽうに「春よ来い」とつぶやいてみた。と、この言葉が眼前の猿の行為と結びついたとき、そこに立ち現れたリアリティ感にびっくりしている。なるほど、猿は春の早い到来を祈って、懸命に岩を叩きつづけているのかと納得のいく気がしたのだった。むろんこれらは作者の憶測であり想像でしかないけれど、こういうことは日常的な意識処理としてはよく起きることだ。そして、この猿の願いに導かれるようにやってくる春は、決して牧歌的なそれではなく、禍々しい季節なのではあるまいか。一読者の私は、そんな想像までしてしまった。『海はラララ』(2011)所収。(清水哲男)


January 1012012

 落涙に頁のちぢむ寒昴

                           田代夏緒

は一旦濡れると一見しなやかに見えながら、乾いてからおどろくほど醜くでこぼこする。水を含んだ紙の繊維が好きな形に戻ってしまう理屈だが、それが涙となると単なる水滴とは違った表情を見せる。掲句では、ぽとりと本の上に落ちた涙を振り払うように目を転じると、窓の外には星が輝いている。それが鋭く輝く寒昴であることで、しめっぽい情から切り離すことができた。ところで、ずっと以前に読んだ本の、思いがけない場所で自分の涙の跡に再会することがある。その時とはまったく違う人物に感情移入していることに、時の流れを感じながら、当時の季節や部屋のカーテンの色など、まるで涙で縮んだ紙がほどけていくように、思い出がたぐり寄せられてゆく。「月の匣」(2011年3月号)所載。(土肥あき子)


January 1112012

 年はじめなほしかすがに耄(ぼ)けもせで

                           坪内逍遥

しかすがに」は、「然(しか)す」+「がに」(助詞)で、「そうは言うものの」といった意味をもつ。若いときはともかく、わが身に何が起こっても不思議はない六十、七十代になれば、おのれの「耄け」のことも頭をかすめるのは当然である。だから耄けている人を見ると、他人事だと言って見過ごすことはできなくなってくる。「明日はわが身」である。掲句は逍遥が何歳のときの句なのかはわからない。逍遥は六十歳を過ぎた頃から短歌や俳句を始めたという。昔は年が改まることで歳をとった。だから大晦日を「歳とり」とも呼んだ。年が改まったけれど耄けていないという安堵と妙な戸惑い。もっとも耄けた本人に耄けた自覚はないだろうけれど。逍遥は「元日におもふ事多し七十二」という句も残しているが、七十五歳で亡くなっている。人間誰しも死ぬことは避けられないし、致し方ないけれど、どんな死に方をするかが問題である。晩年の立川談志もそう言っていた。誰しも耄けたくはないだろうが、予測はつかない。高齢になって心身が意のままにならないのに、いつまでも耄けないというのも、傍から見ていてつらいことだと思われる。いかがだろうか? 逍遥にはそれほどすぐれた俳句はないが、もう一句「そそり立つ裸の柿や冬の月」を挙げておこう。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


January 1212012

 灯らぬ家は寒月に浮くそこへ帰る

                           関 悦史

灯や窓明かりがついた家に囲まれて一軒だけが暗い。ずっと一人で住んでいる人には「灯らぬ家」は常態であり、こうまで寂しくは感じないのではないか。待ってくれる家族がいなくなって、よけいに「灯らぬ家」の寂しさが身にこたえるのだろう。深夜になって回りの家の灯りが消えれば冷たい闇に沈んだ家へ寒月の光が射し、浮きあがるように屋根が光る。冷たい月の光がそこに帰る人の孤独を際立たせてゆく。いずれ賑やかに家族の時間も過ぎ去り、誰もが灯らぬ家に帰る寂しさを味わうことになるだろう。帰ったあと、ひとりで過ごす長い夜の時間を思うと掲句の冷たさが胸に刺さって感じられる。『六十億本の回転する曲がつた棒』(2011)所収。(三宅やよい)


January 1312012

 父よりも好きな叔父来て落葉焚き

                           芝崎康弘

ヤジがふつうの会社員で、フーテンの寅さんみたいな叔父さんがやって来る。またはその逆で職人のてやんでいオヤジに対して叔父さんはビジネス最前線の商社マンだったりする。まあ、前者の方が通俗性があって落葉焚きにも寅さん叔父の方が似合いそうだが、後者だと子どもの屈折がみえて、ちょっとシリアスな話になりそうな気がする。実際はそんな対照的な兄弟はあまりいなくて職人兄弟とか医者兄弟とかが圧倒的に多いのだ。階級格差の根は深い。落葉焚きは落葉を処理するために焚くというイメージは僕にない。なんとなくぼおっとしたいときに落葉を焚く。春愁や秋思にひってきする精神的な季語だ。もっとも焼芋を目的とする落葉焚きというのもあるかもしれない。『17音の青春II』(2000)所載。(今井 聖)


January 1412012

 智慧の糸もつるゝ勿かれ大試験

                           京極昭子

試験は、進級試験、卒業試験のことを言い、本来春季なのだが、今は一月第二の土日が大学入試センター試験、本格的な入学試験シーズンの始まりである。そんな時、「花鳥諷詠」(2012年1月号)に、京極杞陽夫人、昭子についての寄稿(田丸千種氏)があり、その中に、母ならではの句、としてこの句が掲載されていた。頑張れ頑張れと、お尻を叩くのでもなく、やみくもに心配するのでもない母。智恵の糸がもつれないように、というこの言葉に惹かれ、春を待たずに書くこととした。時間をかけて頭の中に紡いだ智恵の糸を一本一本たぐり寄せ、それをゆっくりと織ってゆく、考える、とはまさにそういうことだろう。もつれかけても必ずほぐれるから、焦ってはいけない、諦めてはいけない、見切ってはいけない、言葉にすると押しつけがましくもなるあれこれが、こう詠まれるとすっと入る。妻昭子を杞陽は〈妻いつもわれに幼し吹雪く夜も〉と詠んでいるというが、記事の筆者は俳人としての昭子を「豊かな感受性と教養と好奇心をもって特殊な環境をいきいきと自立した心で生きた女性」と評して記事を締めくくっている。ほかに〈暖炉より生れしグリム童話かな 〉〈杞陽忌の熱燗なればなみなみと〉(今井肖子)


January 1512012

 冬雲は静に移り街の音

                           高浜年尾

があって、昨年の暮れに2週間ほどパリに滞在していました。緯度が高く、さぞ寒いだろうと思って、完璧な防寒をして向かいました。しかし、行ってみればさほど寒くはなく、あたたかいと言ってもいいような日もありました。その2週間、ほとんどの日が朝から厚い雲に覆われ、青空を仰ぐことが出来たのはたったの数日でした。日本に帰ってまず感じたのは、「なんと明るく日の降り注いでいる冬だろう」ということでした。ですから、本日の句を読んだ時に頭に浮かんだのは、パリで過ごした日々でした。何百年も建ち続けている、胸苦しくなるほどに彫りもので飾られた街の上を、うっとりと見下ろすように雲が動いてゆく。空の「静」と、地上の「音」の対比が、冬の中に鮮やかに並んでいます。視野の大きな、読んでいると自然に、伸びやかな心持になります。『日本大歳時記 冬』(講談社・1981)所載。(松下育男)


January 1612012

 ひとつふたつ持ち寄る憂ひ毛糸編む

                           坂石佳音

所の親しい人たちが、何人かで毛糸を編んでいる。昔はよく見かけた光景だ。みんなの手が動いているのは当然だが、口も動いている。あたりさわりのない四方山話などに興じているうちに、そのうちの誰かが個人的な愚痴を語りはじめたりする。それが引きがねとなって、「そう言えば……」などと別の誰かもあまり愉快ではない話を切り出したりする。傍から見れば長閑にしか見えない編み物の光景だが、そんな座にいる人たちにも、当たり前のことながら悩みもあれば「憂ひ」もあるのだ。その「憂ひ」をそれぞれが持参してきた毛糸玉に掛けて、「持ち寄る」と表現したところが秀逸である。毛糸玉の色彩にはいろいろあるように、むろん各人の「憂ひ」もさまざまである。表現技巧は洒落ているけれど、中身は決して軽くない。アタマだけでは作れない句だ。『続続 へちまのま』(糸瓜俳句会15周年記念誌・2011)所載。(清水哲男)


January 1712012

 裸木よなきがらよりはあたたかし

                           島谷征良

間以外で裸を使う言葉には、飾りないことやむきだしの心細さ、包み隠すことのない透明性が込められる。ことに「裸木」とはなんと痛々しい呼び名であることかと思っていた。「冬木」にも「枯木」にも感じることのない、身のすくむような寒さが同居する。しかし掲句はその裸木でさえ、それでもなきがらよりはあたたかいという。これによって震えの象徴である裸木が、それでも生きている木であることを認識させる。今は寒風にさらされている裸木も春になれば必ず芽吹く。上五の切れにふたたび訪れる春を思い、また大切な人を失ったことへの慟哭が宿る。枯れては芽吹くことを数千回も繰り返すことのできる樹木にひきかえ、人間の生とはなんとはかないものだろう。昨年末、舅が亡くなった。若い頃、立山連峰で歩荷をしていた頑健な身体でも病魔には勝てなかった。静かに盛りあがる真っ白いシーツが、まるで雪山の稜線のように見えた。『舊雨今雨』(2011)所収。(土肥あき子)


January 1812012

 冬の海吐き出す顎のごときもの

                           高橋睦郎

つも思うことだけれど、タイもヒラメもシャケも魚はいずれも正面から見ると可愛らしさはなく、むしろ獰猛なつらがまえをしている。目もそうだが、口というか顎にも意外な厳しさが感じられる。アンコウなどはその最たるものだ。掲句の「顎」は魚の顎である。ここでは魚の種類は何でもかまわないだろうが、「冬の海」と「顎」から、私はアンコウを具体的に思い浮かべた。陸揚げされてドタリと置かれた、あの大きい顎から冬の海をドッと吐き出している。獰猛さと愛嬌も感じられる。深海から陸揚げされた魚は、気圧の関係でよく舌を口からはみ出させているが、臓物までも吐き出しそうに思えてくる。もちろんここは春や夏ではなく、「冬の海」でなければならない。「顎のごときもの」がこの句に、ユーモアと怪しさのニュアンスを加えている。睦郎本人は「大魚の顎に違いないが、はっきりそう言いたくない気持があっての曖昧表現」と自解している。原句は「冬の海顎のごときを吐き出しぬ」だったという。下五を「ごときもの」としたことで、「曖昧表現」の効果が強調されて句意が大きくなり、深遠さを増している。それにしても「ごときもの」の使い方は容易ではない、と改めて思い知らされた。睦郎には、他に「髑髏みな舌うしなへり秋の風」という傑作がある。『シリーズ自句自解Iベスト100・高橋睦郎』(2011)所収。(八木忠栄)


January 1912012

 鳩であることもたいへん雪催

                           須原和男

和の象徴の鳩もこのごろは嫌われものだ。マンションのベランダや家の軒先に住みつかれたら、糞で真っ白になるし、鳩が媒介して持ってくる病気もあるという。駅のプラットホームをそぞろ歩きする鳩はのんきそうだが、見上げれば鳩が飛びあがって羽を休めそうなところに刺々しい針金がここかしこに張り巡らされている。むかし伝書鳩を飼うブームがあったが、今のドバトはそのなれの果てかもしれない。底冷えのするどんよりとした雪催の空の下、鳩も苦労している。人であることも大変だけど、鳩で在り続けるのも大変だよなぁ、だけど、餌をやったが最後居つかれても困るしなぁ。と、寒そうに肩をすぼめながら鳩を眺める作者の気持ちを推し量ってしまった。『須原和男集』(2011)所収。(三宅やよい)


January 2012012

 空井戸に夜をしづめて冬深し

                           中山政彦

校三年生の作品。いわゆる進学有名校の生徒さんだ。載っているのは高校生の俳句コンクールの作品で一人三句出し。この人の他の二句は「月氷るカルテに赤き筆記体」「冬の夜の海のごとくに振子時計」。月氷るの句はなんとなく怖ろしいカルテの雰囲気が出ているし、冬の夜の句はダリの絵のような感じがある。技術も感覚も伝統咀嚼度も三句とも完成度が高いのだ。俳句は老人の文芸であるという言葉があってそれは何も揶揄ばかりの意味ではなくて、加齢とともに見えてくる、或いは齢を加えなければ見えないものがあるという肯定的な言い方でもあるのだが、十八歳のこういう三句をみると我ら「大人」は果たして加齢の効能を俳句にどう積んできたのか恥ずかしくならないか。俳句がなめられてはいけない。我ら六十代、七十代、八十代の高みを見せてやろうではないか、ご同輩。『17音の青春』(2008)所載。(今井 聖)


January 2112012

 頬杖の風邪かしら淋しいだけかしら

                           池田澄子

しいは、人恋しいということ。会いたいと思う人に会えない、それが淋しいのだ。悲しい、の積極性に比べて、ふと気づくと淋しいのであり、泣いたらすっきりした、とか、時間が経ったら薄まった、ということはなく、むしろ時が経つほど淋しさの度合いが深まることもあるだろう。頬杖には、ため息がついてくる。冬ならば、自分の指先の冷たさを頬に押しあてて、なんとなくぼんやり遠くを見ながら、小さくため息をつく。どこかしんみりしてしまうのは、体調がもひとつなのかな、風邪かしら。ちょっと不調な時、何気なく口にする言葉だが、だけ、はむしろ、風邪なだけ、と自分に言いきかせているようにも思える。句集『拝復』(2011)は、一句一句の文字が等間隔なので、句の長さはまちまちである。まさに手紙のように、一頁の余白から、作者の声が聞こえるような句集であった。(今井肖子)


January 2212012

 春待つや空美しき国に来て

                           佐藤紅緑

年の冬は実に寒く感じられます。出勤時には、コートのボタンを首までしっかりとめて、マフラーをし、手袋をし、さらに耳当てまでして、勢いをつけて家を出ています。昨年から単身赴任で住み始めた土地は、間違いなく横浜とは空気の硬さが違うように感じられます。本日の句。作者の名前を見れば、佐藤愛子の『血脈』という小説の中に描かれた紅緑の姿を思い出さずにはいられません。「 佐藤家の荒ぶる血」は、明らかにフツウの人よりも激しく、感受性の強さも尋常ではなかったのでしょう。しかし、句を読んでみれば思いのほか当たり前の感覚で出来ており、特段な工夫がなされているわけではありません。旅先で詠んだ句なのでしょうか。どこの国を指しているのか、明確にしていなことが、むしろ工夫と言えるのかもしれません。『日本大歳時記 冬』(講談社・1981)所載。(松下育男)


January 2312012

 巻いてもらふ長マフラーの軸となり

                           藤田直子

マフラーで思い出すのは、イギリス映画『マダムと泥棒』(1955)に出てくるアレック・ギネスだ。彼は自称音楽家のふれこみで人の良い老未亡人宅に仲間と下宿するのだが、実は強盗団の首魁である。いつもきちんとスーツを着込み、しかし何故か首に一巻きしただけのマフラーは膝下くらいまでの長さがあり、それをいつもだらりと下げたまま行動している。男だから、まあこんな巻き方でもよいのかもしれないが、女性となるとそうもいくまい。巻くときに鏡があればまだしも、ないときに巻くのはかなり難しいだろう。胸の辺りで上手にまとめようとしても、両端を均一の長さに結ぶのには苦労しそうだ。句では、そんな長マフラーを誰かに結んでもらっている。そうしてもらっているうちに、なんだか自分がマフラーの軸になったようだと言っている。これはおそらく男がネクタイを結んでもらうときの感覚と似ているのだと思う。つまり、主体は巻く側にあるので、巻かれる側はあくまでも巻きやすい姿勢を保持しなければならない。要するに、軸という物体として佇立していないといけないのである。実感から生まれた句。お洒落も大変なのです。『未来図歳時記』(2009)所載。(清水哲男)


January 2412012

 いつまでも猟犬のゐる柩かな

                           小原啄葉

と人間の交流は1万年から1万5千年前にもさかのぼる。それまで狼と同じように群れを作り、獲物を仲間で追っていた犬が人間の食べ残した動物の骨などをあさるうちに、移動する人間に伴って行動するようになっていったという。現在の溺愛されるペットの姿を見ていると、人間が犬の高度な知能と俊敏な特性を利用したというより、扱いやすい生きものとして犬が人間を選んだように思えてくる。とはいえ、犬と人間の原初の関係は狩の手伝いである。優れた嗅覚と聴覚を持つ犬は人間より早く獲物を発見して追い込み、仕留め、回収することを覚え、また居住空間でも外敵の接近を知らせるという警備の役目もこなした。その律儀なまでの主従関係はハチ公物語などでも周知だが、ことに猟犬となると飼い主を狩りのリーダーとみなし、チームの一員として褒めてもらうことに大きな喜びを得る。掲句は主人が収まる柩から離れようとしない犬の姿である。通夜葬儀とは家族には手配に継ぐ手配であり、その慌ただしさで悲しみもまぎれるというものだが、飼い犬にとっては長い長い指示待ちの時間である。じっと動かぬ主人からの、しかしいつ放たれるか分らない「行け」という言葉を犬はいつまでも待っている。『滾滾』所収。(土肥あき子)


January 2512012

 雪降れば佃はふるき江戸の島

                           北條秀司

京にはめったに雪は降らないけれど、それでも一冬に二、三回は降る。10センチも降れば交通が麻痺してしまう。東京は雪に対する備えが不十分だから、大変なことになる。雪国に住んでいた亡くなった母が、突然の雪に難渋してすべって転ぶ東京の人たちをテレビで観て、「バアカめ!」と笑っていたことがある。備えがないのだから仕方がない。それはともかく、雪が降ると都会の過剰な装飾や汚れが隠蔽されて、景色が一変する。高層ビルの街にも、冬らしい風情が加わってホッとさせられる。まして古い時代の風情を残していた頃の佃島に雪が降ったら、「ふるき江戸」に一変したにちがいない。そういう時代に作られた句である。今や佃島にも高層マンションが林立してしまい、とても「江戸」というわけにはいかない。住吉大社に詣でてみると、背景に屏風のようにめぐらされた高層ビル群が、どうしようもなく情緒をぶちこわしている。佃島はもともと名もない小島だった。徳川家康の時代、摂津の佃村から漁父30余名が移住してできた漁村。それでも銀座から近いわりには、まだ古い情緒がいくぶん残っていると言っていいだろう。秀司は「王将」など大劇場演劇の劇作家として第一人者だった。残された俳句は少ないけれど、他に「山門の煤おとしをり雪の上」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


January 2612012

 用水路に余り温泉(ゆ)流れ雪催

                           藤崎幸恵

前、冬の水上温泉へ行ったことがある。さらに奥にある秘湯、宝川温泉行きのバスを待つため、市内をぶらぶらしていたのだが、川沿いの道路にスプリンクラーがあって凍結防止なのか絶えず温泉の湯が放出されているのが印象的だった。雪景色に湯気がたつのが温そうだった。湯治場で雪を眺めながら露天風呂に入るのも気持ちがよかった。掲句は「雪催」だから、雪が降る前のどんより曇った空に足元からしんしんと冷えがあがってくる、そんな天気なのだろう。ああ、寒い、側溝の用水にたつ湯けむりが暖かそう。早く熱い温泉(ゆ)にゆっくりと浸かりたい。掲句の背後からそんな声が聞こえてきそうだ。私も温泉に行きたいなぁ。『異空間』(2011)所収。(三宅やよい)


January 2712012

 今生に子は無し覗く寒牡丹

                           鍵和田秞子

者五十歳の作。子が無いという思いについての男と女の気持には違いがあるだろう。跡継ぎがいないとか自分の血脈が途絶えるとか、男は観念的な思いを抱くのに比して女性は自分が産める性なのにというところに帰着していくような気がする。そんな気がするだけで異性の思いについては確信はないが。同じ作者に「身のどこか子を欲りつづけ青葉風」。こちらは二十代後半の作。「身のどこか」という表現に自分の本能を意識しているところが感じられる。「覗く」はどうしてだろう。この動詞の必然性を作者はどう意図したのだろう。見事な寒牡丹を、自分の喪失感の空白に据えてやや距離を置いて見ている。そんな「覗く」だろうか。『自註現代俳句シリーズV期11鍵和田釉子集』(1989)所収。(今井 聖)

お断り】作者名、正しくは「禾(のぎへん)」に「由」です。


January 2812012

 いつさいの音のはてなり雪ふるおと

                           奥坂まや

週月曜日の夜九時過ぎ位か、障子を開けると雪になっていた。雪の予報は出ていたのでやっぱりと思ったが、それにしても久しぶりに見る霏霏と降る雪だった。また大げさなと、忠栄様の母上に叱られそうだが、つぎつぎに落ちる雪に、つい口を開けて見とれてしまった。雨音が聞こえなくなると雪になっている、というのがふつうだけれど、降る雪を見ているといつも、雪を聞いている、という気分になる。その、おと、は確かに、耳に届く音ではなく、全身で感じる静かで賑やかな気配のようなものなのかもしれない。その夜の雪はすぐにまばらになり、それでも我が家のベランダには数センチ積もった。そして静かに眠ったまま、朝日に光りながら消えてしまった。『妣の国』(2011)所収。(今井肖子)


January 2912012

 分針は太き泪となる日暮

                           守谷茂泰

しかに分針というのは、秒針や短針よりも太くできています。つまりそれだけ人が見やすいようにしてあるということです。よほどのことがないかぎり、秒針を見る必要などありませんし、また今が何時かはたいてい把握していますから、短針を見る機会もあまりありません。つまり時計というのは、ほとんどの場合分針を見るということなのです。それだけ分針は、人によりそった「時」といえます。その分針が泪のようだというのですから、垂直に垂れ下がっているのでしょう。つまり「30分」を指しており、日暮れというのですから、時刻は「5時半」なのでしょうか。ちょうど一日の仕事を終えて、帰り支度をしている時刻です。一日に起きるべきことはひととおり起き、どんな日だったかの結論が出ている頃です。掲句にあるいちにちは、おそらく辛いものであったのか、あるいは切ないものであったのでしょう。帰り道に腕時計を見る目には泪がたまっています。さて時刻はというと、分針はその太さの中で、これも目にいっぱいに泪をためています。分針のゆっくりとした動きが、なぜか作者の不器用な生き方に重なって見えてくるのです。それでも時がたてば分針は、確実に上に向いて動いてゆきます。同様に作者の思いも、分針を追いかけるようにして、泪をぬぐえるところへ移ってゆければと、思います。『現代歳時記』(1997・成星出版)所載。(松下育男)


January 3012012

 袋綴ぢのヌード踏まるる春霙

                           柴田千晶

末(2月4日)は立春だ。しかし歌の文句じゃないけれど、今年は「春は名のみの」寒さがつづきそうだ。霙(みぞれ)だって降るだろう。句はまことに荒涼たる光景を詠んでいる。作者によれば、場所は横浜の物流倉庫で日雇い仕事をするための人々を運ぶマイクロバスの駐車場だそうである。働き手には女性が多いらしい。そんな場所に、週刊誌の袋綴じページが散乱しており、疲れた女たちが容赦なく霙に濡れた靴で踏んでゆく。男のちっぽけな暗い欲望を満たすためのページを、避けるのも面倒と言わんばかりに踏みつけて行き過ぎる。私はかつて週刊誌の仕事をしていたので、似たような光景は何度も目撃して覚えているが、そのたびにやはり心が痛んだものだった。袋綴じであれなんであれ、そこには作る側のなにがしかの思いが籠められている。けれども、そんなことは当事者だけの感傷にすぎなく、バスを待つ人々は何の痛みも感じることはないのだ。それが人生だ。人さまざま、人それぞれ。霙と泥に汚れた週刊誌の破れたページから、立ち上がってくるうそ寒い虚無感がやりきれない。「俳句界」(2012年2月号)所載。(清水哲男)


January 3112012

 胴に鰭寄せて寒鯉動かざる

                           山西雅子

は水温が八度以下になると冬眠する。巨木のような胴体に、ひたりと鰭を寄せている寒鯉は、今水底深くごろりと沈む。眠るといってもまぶたのない魚たちのこと、当然目は開けたままである。人間とはあまりにもかけ離れた姿であり、きわめて忠実な描写であるにも関わらず、どこか掲句の鯉に人間の懐手めいた動作を重ねてしまうのは、龍鯉や夢応の鯉魚などの伝承のはたらきも作用していると思われる。俳句を鑑賞するとき、そこに描かれた言葉以上の想像することを戒めて「持ち出し」と言うそうだが、抗いがたくそれをさせてしまうのもまた定型詩が持つ強力な磁力であろう。「星の木」(2010年秋・冬号)所載。(土肥あき子)




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