Nj句

January 0212012

 読初は久方ぶりのトルストイ

                           向井ゆたか

いころに読んだ本を再読したいと思うときがある。私の例で言えば、トルストイの『戦争と平和』だとかマンの『魔の山』などがそれだ。しかしただ思うだけで、いつか読もうと先延ばしにしているうちに、初読の時からずるずると半世紀もの時間が流れてしまった。反省してみると、なかなか再読できない本は、たいていがもはやクラシック本となった書物だ。読み返したいとは思っても、それらは現在ただいまの時代的呼吸をしていないために、すぐに作品世界に入っていくことが難しいのである。だから、ついつい先延ばしにしてしまいがちになる。そこへいくと句の作者は、うまいタイミングを見つけたものだと思う。なるほど、正月の時間の流れは普段に比べれば、ずっと非日常的だろう。そしてそんな流れのなかに、ねらいすましたような、トルストイを読む時間を挿し込んだのだった。正月ならではの句であり、「読初」の季語もよく効いている。『円虹例句集』(2008)所載。(清水哲男)


January 0912012

 猿が岩を叩いてやまず「春よ来い」

                           鎌倉佐弓

の「春よ来い」には、狂気に通ずる不気味な願いを感じる。童謡の「あるきはじめた みいちゃん」などのように、ほのぼのとした感じはない。猿が岩を叩いている。いっこうに叩くのをやめる様子はない。見ていると、なにかただならぬ猿の仕草に、作者はだんだん釣り込まれていく。いったい、この猿は何を思って、そんなにも執拗に叩きつづけているのだろう。単純に空腹だからなのか、どこか身体が不調なのか、それとも……。むろん猿は何も言わないから、作者は推測するしかない。わからないまま、作者はあてずっぽうに「春よ来い」とつぶやいてみた。と、この言葉が眼前の猿の行為と結びついたとき、そこに立ち現れたリアリティ感にびっくりしている。なるほど、猿は春の早い到来を祈って、懸命に岩を叩きつづけているのかと納得のいく気がしたのだった。むろんこれらは作者の憶測であり想像でしかないけれど、こういうことは日常的な意識処理としてはよく起きることだ。そして、この猿の願いに導かれるようにやってくる春は、決して牧歌的なそれではなく、禍々しい季節なのではあるまいか。一読者の私は、そんな想像までしてしまった。『海はラララ』(2011)所収。(清水哲男)


January 1612012

 ひとつふたつ持ち寄る憂ひ毛糸編む

                           坂石佳音

所の親しい人たちが、何人かで毛糸を編んでいる。昔はよく見かけた光景だ。みんなの手が動いているのは当然だが、口も動いている。あたりさわりのない四方山話などに興じているうちに、そのうちの誰かが個人的な愚痴を語りはじめたりする。それが引きがねとなって、「そう言えば……」などと別の誰かもあまり愉快ではない話を切り出したりする。傍から見れば長閑にしか見えない編み物の光景だが、そんな座にいる人たちにも、当たり前のことながら悩みもあれば「憂ひ」もあるのだ。その「憂ひ」をそれぞれが持参してきた毛糸玉に掛けて、「持ち寄る」と表現したところが秀逸である。毛糸玉の色彩にはいろいろあるように、むろん各人の「憂ひ」もさまざまである。表現技巧は洒落ているけれど、中身は決して軽くない。アタマだけでは作れない句だ。『続続 へちまのま』(糸瓜俳句会15周年記念誌・2011)所載。(清水哲男)


January 2312012

 巻いてもらふ長マフラーの軸となり

                           藤田直子

マフラーで思い出すのは、イギリス映画『マダムと泥棒』(1955)に出てくるアレック・ギネスだ。彼は自称音楽家のふれこみで人の良い老未亡人宅に仲間と下宿するのだが、実は強盗団の首魁である。いつもきちんとスーツを着込み、しかし何故か首に一巻きしただけのマフラーは膝下くらいまでの長さがあり、それをいつもだらりと下げたまま行動している。男だから、まあこんな巻き方でもよいのかもしれないが、女性となるとそうもいくまい。巻くときに鏡があればまだしも、ないときに巻くのはかなり難しいだろう。胸の辺りで上手にまとめようとしても、両端を均一の長さに結ぶのには苦労しそうだ。句では、そんな長マフラーを誰かに結んでもらっている。そうしてもらっているうちに、なんだか自分がマフラーの軸になったようだと言っている。これはおそらく男がネクタイを結んでもらうときの感覚と似ているのだと思う。つまり、主体は巻く側にあるので、巻かれる側はあくまでも巻きやすい姿勢を保持しなければならない。要するに、軸という物体として佇立していないといけないのである。実感から生まれた句。お洒落も大変なのです。『未来図歳時記』(2009)所載。(清水哲男)


January 3012012

 袋綴ぢのヌード踏まるる春霙

                           柴田千晶

末(2月4日)は立春だ。しかし歌の文句じゃないけれど、今年は「春は名のみの」寒さがつづきそうだ。霙(みぞれ)だって降るだろう。句はまことに荒涼たる光景を詠んでいる。作者によれば、場所は横浜の物流倉庫で日雇い仕事をするための人々を運ぶマイクロバスの駐車場だそうである。働き手には女性が多いらしい。そんな場所に、週刊誌の袋綴じページが散乱しており、疲れた女たちが容赦なく霙に濡れた靴で踏んでゆく。男のちっぽけな暗い欲望を満たすためのページを、避けるのも面倒と言わんばかりに踏みつけて行き過ぎる。私はかつて週刊誌の仕事をしていたので、似たような光景は何度も目撃して覚えているが、そのたびにやはり心が痛んだものだった。袋綴じであれなんであれ、そこには作る側のなにがしかの思いが籠められている。けれども、そんなことは当事者だけの感傷にすぎなく、バスを待つ人々は何の痛みも感じることはないのだ。それが人生だ。人さまざま、人それぞれ。霙と泥に汚れた週刊誌の破れたページから、立ち上がってくるうそ寒い虚無感がやりきれない。「俳句界」(2012年2月号)所載。(清水哲男)


February 0622012

 断りの返事すぐ来て二月かな

                           片山由美子

わず、膝を打った。ただし返事を受け取る側としてではなく、出す側として。この返事は、何か込み入った個人的な事情を含む手紙に対するそれではないだろう。たぶん、何かの会合やパーティなどへの出欠を問うといった程度のものに対する返信なのだ。それがいつもの月と比べて、ずいぶんと返りが早い。そして、その多くが欠席としてあるだけで、付記もない。要するに、にべもない。私も毎月のようにその種の案内状をいただくが、他の季節なら単なる義理筋のそれであっても、どうしようかと考え、考えているうちに返信期日ぎりぎりになってしまうことが多い。が、たしかに二月のいまごろは別だ。あまり考えずに、えいっと投函してしまう。それはたぶん、二月という月の短さや寒さと関連しているようである。今年は閏年だが、やはり二月は短いのでなにかとせわしく感じられ、寒さも寒しということもあって、返事にも気が乗らない。あまりあれこれ斟酌せずに返事を書いてしまうわけだが、このことは返信のみに限ったことではなく、生活のいろいろな場所で顔を出してくる。『日本の歳時記』(2012・小学館)所載。(清水哲男)


February 1322012

 佐保姫のときどき白き平手打

                           嵯峨根鈴子

保姫(さほひめ)は、秋の竜田姫と対になる春のシンボル。春の野山の造化をつかさどる女神である。いつもおだやかで上品に振る舞っている佐保姫が、何にそんなに怒ったのか、ときに突然平手打ちをくわせるというのだから、びっくりしてしまう。これはつまり、おだやかなはずの春という季節が、ときどき思いがけない悪天候に見舞われるということだ。「白き平手打」というのだから雪、それも激しい雪を暗示しているのだろう。今年の佐保姫はまだ登場したばかりだが、ご乱心にもほどがあると言いたいくらいに、最初から平手打ちの連続である。このぶんでは満開の桜にも雪をもたらしかねない勢いだ。十年か二十年に一度くらいは桜に雪の現象は起きるけれど、佐保姫さま、今年はこのあたりでお怒りを鎮めていただいて、どうかおだやかで温暖な春の日々をお恵みくださいますように。『ファウルボール』(2011)所収。(清水哲男)


February 2022012

 ちぐはぐな挨拶かはし浅き春

                           藤田久美子

年はいつまでも寒い。私の住む東京三鷹の早朝の気温も、まだ氷点下の日が多い。しかし、日が昇ってきて窓を開けると、光りの具合は日に日に春めいてきている。光りを見る限りでは、もうすっかり春だと言ってもよいだろう。だから今年は、掲句のようなことが起こりがちだ。ゴミを出しに行くとたいてい誰かに会うから挨拶を交わすわけだが、私が光りの様子から「もう春ですねえ」と言うと、先方は寒さに背を丸めながら「今日も寒くなりそうで……」などと返してくる。まさに「ちぐはぐな挨拶」になってしまい、でも、どちらも嘘をついているわけではないので、ときには顔を見合わせて微笑しあったりもする。春浅き日の暮しの一コマを的確にとらえてみせた佳句である。『未来図歳時記』(2009)所載。(清水哲男)


February 2722012

 泣くにまだ早き河原や二月尽

                           田島風亜

の少女小説には、河原で泣く薄幸の美少女のシーンがよく出てきた。彼女たちが意地悪な継母の迫害に耐えかねたり、行方不明の母恋しさに泣いたりするのは、たいていが河原だった。当時は家の中ではひとりになれる場所がないので、たいていは河原か裏山で泣くというのが、フィクションの世界でなくても普通のことだったのである。ただ掲句の「泣く」は、春愁に触発されたもう少しロマンチックなもので、たとえば啄木の歌「やはらかに柳あおめる北上の岸辺目に見ゆ 泣けとごとくに」に通じているが、その根はやはりひとりでいられる場所としての「河原」につながっている。春とは名ばかりの寒い二月の、ましてや河原だから、泣くのには似合わない。早すぎる。そんな二月がようやく終わろうとしているいま、これからはひとり泣く場所としての河原が復活してくるぞと、作者はひそかに期待(?)しているのだ。季節の移り変わりを、こんなふうにも詠むことができる。その発想の妙に感心してしまった。『秋風が…』(2011・私家版)所収。(清水哲男)


March 0532012

 暗室に酸ゆき朧のありて父

                           正木ゆう子

ジカメの普及で、フィルム現像液の「酸ゆき」匂いを知る人も少なくなってきた。昔のカメラ・マニアは、撮影したフィルムを自宅で現像し、自宅でプリントしたものだった。私の父もそんな一人だったので、句意はよくわかる。「暗室」といっても、プロでないかぎりは、どこかの部屋の片隅の空間を利用した。私の父の場合は風呂場を使っていたので、入浴するたびに独特の酸っぱい匂いがしたものだ。戦争中にもかかわらず、私の国民学校入学時の写真が残っているのは、父が風呂場にこもって現像してくれたおかげである。句の「朧」は詠んだ素材の季節を指しているのと同時に、そんな父親の姿を「おぼろげ」に思い出すという意味が重ねられている。それを一言で「酸ゆき朧」と言ったところに、若き正木ゆう子の感受性がきらめいている。昔の写真は、カメラ本体を除いてはみなこうした手仕事の産物だ。おろそかにしては罰が当たる。……というような思いも、だんだんそれこそ「朧」のなかに溶けていってしまうのだろうが。『水晶体』(1986)所収。(清水哲男)


March 1232012

 春宵や夫に二人の女客

                           石田幸子

は、五ツ戌の刻(午後八時)から五ツ半(午後九時)までを「宵」といったそうだが、いまでは夕暮れあたりから午後九時くらいまでをそう呼んでいる。寒い冬もようやく去って、気温が高くなってきた分、なんとなくはなやいだ気分が漂う時間だ。そんなある春の宵に、珍しく夫に女客が訪れてきた。ただ、客は二人というのだから、一人とは違って、深刻な用向きとは無縁のようだ。作者は二人をもてなすために、台所に立っているのだろう。夫のいる部屋からは、時おりにぎやかな笑い声なども漏れ聞こえてくる。そんなはなやぎの場から少し離れている作者の胸の内には、はなやぎをそのまま受け入れる心と、その輪に入れないでいるためのジェラシーっぽい心とが交錯しているのだ。いかにも春の宵らしい、ちょっと不安定な心理の動きが背後に感じられて、ひとりでに微笑が浮かんできた。『現代俳句歳時記・春』(学習研究社・2004)所載。(清水哲男)


March 1932012

 悲しみの牛車のごとく来たる春

                           大木あまり

学時代からの友人が急逝した。絵の好きな男で、スケッチのために入った山で転倒し、それが致命傷になったらしい。いつだって訃報は悲しいが、春のそれは芽吹き生成の季節だけに、虚を突かれたような思いになる。悲しみが重くのしかかってくるようだ。句の「牛車(ぎっしゃ・ぎゅうしゃ)」は、平安時代に貴族を乗せた乗り物のことだろう。きらびやかな外観は春に似つかわしいが、逆に悲しみの重さを増幅するように、ゆっくりとぎしぎしと人の心に食い入ってくるようだ。最近出た『シリーズ自句自解I ベスト100・大木あまり』に、悲しみから立ち上がれないときには「俳人の木村定生さんが『だらーんとしてればいいんですよ』と言ってくれた」とあった。「水餅のように悲しみに沈んでいれば良いのだ。そのうちそれに疲れて浮かんでくるにちがいない」。なるほどと思い、ひたすら水餅のようでありたいと願う今年の春の私である。『火球』(2001)所収。(清水哲男)


March 2632012

 あの世めく満開の絵の種袋

                           加藤かな文

春のように花の種を買うけれど、ほとんど蒔いたことがない。ついつい蒔き時を逸してしまうのだ。だから我が家のあちこちには種袋が放ったらかしになっており、思いがけないときに出てきて、いささかうろたえることになる。それでも懲りずに買ってしまうのは、花の咲く様子を想像すると愉しいからだ。しかし、たしかにこの句にあるように、種袋に印刷された満開の絵(写真)は、自然の色合いから遠く離れたものが多い。はっきり言って、毒々しい。農家の子だったから、そんな種袋の誇張した絵には慣れているけれど、そう言われれば、あの世めいて感じられなくもない。種袋の絵のような花ばかりが咲き乱れているさまを思い描くと、美しさを通り越して、あざとすぎる色彩に胸が詰まりそうになる。もしもあの世の花がそんな具合なら、なんとか行かずにすむ手だてはないものかと考えたくなってしまった。「俳句」(2012年4月号)所載。(清水哲男)


April 0242012

 蒲公英のかたさや海の日も一輪

                           中村草田男

分の日を過ぎても、今年は寒い日がつづいた。この句は、そんな春は名のみの海岸での感懐だろう。暖かい陽射しのなかで咲く蒲公英(たんぽぽ)ならば、気分を高揚させてくれる感じがあるが、句のそれは曇天に「かたく」咲いているので、逆に気持ちも寒々しくなってしまう。そして沖に目をやれば、これまた雲を透かせてぼおっと太陽がにじんでいるのである。眼前の蒲公英が一輪しか咲いていないことを、「海の日も一輪」と暗示したことにより、句はスケールの大きいものとなり、しかも日常的なこまやかな感情もこぼすことなく同時にとらえていて見事だ。昔この句を読んだときに、イギリスの画家ターナーの霧にかすむ陰鬱な日の光りを連想したことがある。草田男には向日的な句が多いけれど、こうしたいわばターナー的な抒情句にも、天性としか言いようのない閃きを示したのだった。『火の島』(1941)所収。(清水哲男)


April 0942012

 のどけしや母を乗せゆくぽんぽん船

                           松下比奈子

日前に、母が急逝した。翌日に葬儀社の霊安室で対面したが、母は何か物言いたげなようにも見えて、一瞬思わずも目をそらしてしまった。後で弟に聞いたら、亡くなる何日か前には、しきりに私と話したがっていたそうだ。大正五年生まれの母は、いや母ばかりではなくこの世代は、関東大震災と戦争を通過するという災厄にあい、まるで苦労するために生まれてきたような人々である。母に話を限れば、いわゆるレジャーなどとも生涯無縁であり、ひたすらに夫や子供のために働きつづけただけであった。物見遊山の旅行などには、一度も出かけたことはなかった。そんな母だったから、句の「母」と重ね合わすことなどとてもできない。「のどけさ」という季語にも似合わない。しかし、だからこそ、私は母をこの「ぽんぽん船」に乗せてやりたいと思ったのだ。ちょっと困ったような表情の母を乗せて出てゆく「ぽんぽん船」を見送りつつ、そこではじめて私は大声で、「お母さん、ありがとう。ゆっくり休んでください」と言えそうな気がしているのである。『現代俳句歳時記・春』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)


April 1642012

 うぐひすや名もなく川のはじまれる

                           しなだしん

奥に住んでいた子供の頃、春になるとしばしば、もっと山の奥に入ったものだった。主としてワラビやゼンマイを摘むためだったが、それに飽きると、さらに山深く分け入る冒険心がわいてきた。道があるようでないような人っ子一人いない深い山のなかを歩いていると、明るい木漏れ日をいろどるように、あちこちから鴬の鳴き声が聞こえてきて、子供ながらに陶然というか「うっとり」とした気分になってくるのだった。句の作者もまた、そんな気分の中にいるのだろう。耳を澄ませば水の流れる音がしてきて、よく見ると、まだ川とも言えないような小さな流れが見えたのである。作者にはその流れが、近隣の名のある川の源流であることがすぐにわかって、この句が浮かんだのだと思う。末はどんな大河になろうとも、はじまりの流れに名前などはなく、そして永遠に名づけられることもないのである。そんな可憐な流れへのいとおしい思いが、まことに心優しく詠まれている。『隼の胸』(2011)所収。(清水哲男)


April 2342012

 大阪に絹の雨降る花しづめ

                           ふけとしこ

花の散るころから初夏にかけては気候の移り変わりが激しく、疫病の流行する時期に当たり、疫病の霊を鎮め心身の健全を祈願する祭りが「鎮花祭(はなしづめのまつり)」「花しづめ」である。奈良・桜井市の大神(おおみわ)神社などのものが有名だが、大阪では、大阪天満宮でこの二十五日に行われる。そんな祭の日の雨を詠んだ句と解するのが真っ当な読みなのだろうが、私にはむしろ祭には無関係の句のように思われた。春爛漫を謳歌していた桜の花が散りはじめた大阪の街に、絹糸のような細くて清冽な雨が降ってきて、その雨が花々のたかぶりをなだめ鎮めているようだと読んだ。祭とは直接的には関係なく、降る雨がおのずから「花しづめ」の役回りとなり、花に象徴される大阪の活気や猥雑さを清らかに洗い拭っている。もっと言えば、一般的な大阪のイメージを払拭して、静かで落ち着いた大阪を差し出してみせているのだ。すなわち、大阪という都市の奥深さを抒情的に表現した句と思うのだが、どんなものだろうか。『鎌の刃』(1995)所収。(清水哲男)


April 3042012

 浮き世とや逃げ水に乗る霊柩車

                           原子公平

者、八十歳ころの句。作者自身が最後の句集と記した『夢明り』(2001)に所収。あとがきに、こうある。「『美しく、正しく、面白く』が私の作句のモットーなのである。それもかなり『面白く』に重心が傾いてきているのではないか。現代的な俳諧の創造を目指しているわけだが、極く簡単に言えば、文学的な面白さがなくて何の俳句ぞ、ということになろう」。なるほど、この句はなかなかに「面白い」。いやその前に「美しく、正しい」と言うべきか。霊柩車を見送る作者の胸中には、故人に対する哀悼の意を越えて、これが誰も逃れられない「浮き世」の定めだという一種の諦観がある。それを「逃げ水に乗る」とユーモラスな描写で包んだところに、作者の言う面白さがにじみ出ている。この世から少し浮かびながら逃げていく霊柩車。人は死んではじめて、この世が「浮き世」であることを証明でもするかのように。(清水哲男)


May 0752012

 ひといきに麦酒のみほす適齢期

                           岸ゆうこ

校生のころだったか、伊藤整の新聞小説に「初夏、ビールの美味い季節になった」とあった。「ふうん、そんなものなのか」と思った記憶があるが、いまになってみると、なるほど初夏のビールは真夏のそれよりも美味い気がする。この時期のビヤホールが、いちばん楽しい。とはいえ、ビールを飲む人の気持ちはいろいろで、みんなが楽しくしているわけではない。作者のような鬱気分で飲んでいる人もいるのだ。「適齢期」とは「結婚適齢期」のことで、最近ではほとんど聞かなくなった。この句はおそらく若き日の回想句だろうが、往時の女性は二十歳ころを過ぎると、そろそろ結婚を考えろと周囲から攻め立てられた。小津安二郎映画の若い女性などは、みなそのくちである。で、すったもんだのあげくに結婚すると、残された父親に「女の子はつまらんよ。せっかく育てたと思ったら、嫁に行っちまうんだから」などとぼやかれたりするのだから立つ瀬がない。句はそんな適齢期にあった作者が、結婚を言い立てられて、半ば自棄的に飲み慣れないビールを飲み干しちゃった図である。こんな時代も、そんなに遠い昔ではなかった。『炎環・新季語選』(2003)所載。(清水哲男)


May 1452012

 丁寧に暮らす日もあり新茶汲む

                           奥田友子

にとめて、すぐにどきりとした。私には「丁寧に暮らす」という意識がほとんどない。大げさではなく、生まれてこのかた、大半の日々を行き当たりばったりに暮らしてきた。貧乏性に近いと思うのだが、常に何かに追いまくられている感じで暮らしており、生活や人生に落ち着きというものがない。友人などには反対に、少なくとも見かけは、何事にも丁寧につきあい、悠然としている奴がいて、どうすればあんなふうに暮らせるのかと、いつも羨しく思ってきた。そんなわけで、句の「暮らす日も」の「も」に若干救われはするけれど、しかしこれは謙遜でもありそうだ。新茶の馥郁たる香りや味を本当に賞味するには、精神的にも身体的にもよほどの強靭さとゆとりがなければ適わない。そういうことなんだろうなあ。きっと、そうなんだ。『彩・円虹例句集』(2008)所載。(清水哲男)


May 2152012

 田を植ゑしはげしき足の跡のこる

                           飴山 實

植えの終わった情景を詠んだ句は無数にあるけれど、大半は植え渡された早苗の美しさなどに目が行っている。無理もない。田植えの句を詠む人のほとんどが、他人の労働の結果としての田圃を見ているからだ。よく見れば、誰にでもこの句のような足跡は見えるのだが、見えてはいても、それを詠む心境にはなれないのである。ところが作者のような田植えの実践者になると、どちらかといえば、田圃の美しさよりも、辛い労働が終わったという安堵感のほうに意識の比重がかかるから、田植えをいわば観光的には詠めないということになる。手で植えていたころの田植えは実に「はげしい」労働だった。植え終えた田圃にも、まずその辛さの跡を見てしまう目のやりきれなさを、作者はどうしても伝えておきたかったのである。『辛酉小雪』(1981)所収。(清水哲男)


May 2852012

 ビールないビールがない信じられない

                           関根誠子

えっ、そりゃ大変だ。どうしよう。ビール好きだから、ビールの句にはすぐに目が行く。たしかに買っておいたはずのビールが、「さあ、飲みましょう」と冷蔵庫を開けてみたら、見当たらない。そんなはずはないと、もう一度奥のほうまで確かめてみるが、影も形もない。そんな馬鹿な……。どうしたんだろう、信じられない。作者の狼狽ぶりがよくわかる。同情する。ビールという飲み物は、飲みたいと思ったときに、冷たいのをすぐに飲めなければ意味がない。精神的な即効性が要求される。そんなビールの本性を、この句はまことに的確に捉えている。「酒ない酒がない…」では、単なるアル中の愚痴にしかならないが、ビールだからこその微苦笑的ポエジーがにじみ出てくる佳句だ。念のためにいま我が家の冷蔵庫をのぞいたら、ちゃんとビールが鎮座していた。あれが今宵、まさか消えてしまうなんてことはないだろうね。『季語きらり100 四季を楽しむ』(2012)所載。(清水哲男)


June 0462012

 木の匙に少し手強き氷菓かな

                           金子 敦

の食堂などに「氷」と書かれた小さな幟旗が立つ季節になった。かき氷だが、句の氷菓はコンビニなどで売られているカップ入りのアイスクリームやシャーベットである。買うと、木の匙をつけてくれる。最近ではプラスチック製の匙もあるけれど、あれは味気ない気がして好きじゃない。この木の匙はたいがい小さくて薄っぺらいから、ギンギンに冷えているアイスクリームを食べようと思っても、少し溶けてくるまでは崩そうにも崩せない。句はそのことを「手強い」と言っているのだ。でも、作者はその手強さに困っているわけではなく、むしろ崩そうとしてなかなか崩れない感触を楽しんでいる。夏の日のささやかな楽しみは、こういうところにも潜んでいるわけだ。蛇足だが、木の匙の材質には白樺がいちばん適当らしい。白樺には、ほとんど独自の匂いがないからだそうだ。『乗船券』(2012)所収。(清水哲男)


June 1162012

 ひとかなし氷菓に小さき舌出せば

                           嵩 文彦

レビを見ていると、年中誰かが物を食べていて、「うーむ、美味い」などと言っている。かつての飢えの時代を体験した私などは、たまらなくイヤな気持ちになる。「ひと」が物を食べる行為は、いかにテレビがソフィステケートしようとも、本能の根元をさらしているわけだから、決して暢気に楽しめるようなものではない。「ああ、人間は、ものを食べなければ生きて居られないとは、何という不体裁な事でしょう」と言ったのは太宰治だが、現代はそういうことにあまりに無神経過ぎる。棒状の固い氷菓は、まず舌で舐めなければならない。かぶりついても、氷菓は容易に崩れてはくれないからだ。まず舌で舐めるのは、つまり本能が我々にそうするように強いているからそうしているのである。本能の智慧なのだ。私たちは、ほとんど例外なくアイスキャンデーをそうやって食べている。このときに「ひとかなし」と作者がわざわざ言わざるを得ない気持ちを、もしかすると飢餓を知らないひとたちはわからないかもしれない。『ランドルト環に春』(2012)所収。(清水哲男)


June 1862012

 女にも七人の敵花ユッカ

                           近江満里子

花ユッカ
戸時代からの諺に曰く、「男は閾を跨げば七人の敵あり」。男が社会に出て大人として活動すれば、常に多くの敵ができるものであるという意だが、作者は「女」も同様ですよと言っている。昔の人が読んだらびっくりするだろうが、いまの私たちには「さもありなん」と違和感は覚えない。世の中は、すっかり変わってしまったのだ。では、何故「花ユッカ」との取り合わせなのだろうか。間違っているかもしれないが、私は作者の持つ女性観のひとつだと解釈した。美人をたとえて「立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花」と言うが、これと同じことだ。つまり女には「花ユッカ」みたいなところがあるというわけである。公園などに植えられるこの花は、まことにおだやかな感じの白くて大きい花房を高くかかげる。だが、写真でお分かりのように、下の葉は剣先のような鋭い形状をしており、おだやかな花の雰囲気とは似ても似つかない。英名では「スペインの小刀」と言うくらいで、不気味なたたずまいである。しかもこの花は初夏と秋の二度咲きで、なかには越年して咲きつづけるものもあるそうな。女の敵の女は、かくのごとくにしつこくて執念深いというわけだ。なんだか、男の七人の敵のほうが可愛らしくヤワに思えてくる。『微熱のにほひ』(2012)所収。(清水哲男)


June 2562012

 睡蓮や十年前の日が射して

                           坪内稔典

く出かける神代植物公園(東京都調布市)は、睡蓮の宝庫と言ってよいだろう。毎夏、公園の池には温帯性の睡蓮がたくさん咲くし、温室に入ると熱帯性の花を数多く観ることができる。名前のとおりに、睡蓮は「睡る花」である。日が射せば開花するのだから、句のように「十年前の日」にも反応するはずである。この発想は、とても面白い。面白いと同時に、作者が句の睡蓮に郷愁を覚えているさまをよく表している。「この花はいつか見た花」というおもむきだ。「十年一日のごとし」という感慨も、ちらりと頭をかすめる。そしてまた、水に浮かぶこの花の風情が、さながらモネの描いた睡蓮のように、どこか永遠性を秘めていることをも告げているようだ。睡蓮を眺めていると、私はいつも「全て世は事も無し」と呟きたくなる。「十年前の日が射して」いるせいかもしれない。『ぽぽのあたり』(1998)所収。(清水哲男)




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