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January 0312012

 どの星も棘あるごとし寒波来る

                           岡崎 伸

さが厳しければ厳しいほど、夜空は引き締まり、月や星は輝きを増す。とはいえ、同じ天体でも絵に描く場合には、太陽には本体の円形を囲む線によって温みや光彩を表し、月は本体のみが描かれる。そして、星だけに輝きの尖りが付く。パソコンで「星」と打って変換される「☆」にも5方向に輝きが放射される。星は輝くものの代名詞として使われ、その輝きはまたたいて見えることからより強調されるのだろう。科学的に説明すれば、星のまたたきは大気の揺らぎによるものだというが、大小の星が点滅しながら灯る夜空はいかにも美しい。掲句は寒波を背負っている夜空であり、より透徹な空気を感じさせる。輝きを棘と表現することによって、星に美しさだけではなく過酷な冬季であることも言外に含む鋭利な表情も刻まれた。〈遠眼鏡百ほどそらふ初鴨に〉〈猫すこし横へずらして日向ぼこ〉『遠眼鏡』(2011)所収。(土肥あき子)


January 1012012

 落涙に頁のちぢむ寒昴

                           田代夏緒

は一旦濡れると一見しなやかに見えながら、乾いてからおどろくほど醜くでこぼこする。水を含んだ紙の繊維が好きな形に戻ってしまう理屈だが、それが涙となると単なる水滴とは違った表情を見せる。掲句では、ぽとりと本の上に落ちた涙を振り払うように目を転じると、窓の外には星が輝いている。それが鋭く輝く寒昴であることで、しめっぽい情から切り離すことができた。ところで、ずっと以前に読んだ本の、思いがけない場所で自分の涙の跡に再会することがある。その時とはまったく違う人物に感情移入していることに、時の流れを感じながら、当時の季節や部屋のカーテンの色など、まるで涙で縮んだ紙がほどけていくように、思い出がたぐり寄せられてゆく。「月の匣」(2011年3月号)所載。(土肥あき子)


January 1712012

 裸木よなきがらよりはあたたかし

                           島谷征良

間以外で裸を使う言葉には、飾りないことやむきだしの心細さ、包み隠すことのない透明性が込められる。ことに「裸木」とはなんと痛々しい呼び名であることかと思っていた。「冬木」にも「枯木」にも感じることのない、身のすくむような寒さが同居する。しかし掲句はその裸木でさえ、それでもなきがらよりはあたたかいという。これによって震えの象徴である裸木が、それでも生きている木であることを認識させる。今は寒風にさらされている裸木も春になれば必ず芽吹く。上五の切れにふたたび訪れる春を思い、また大切な人を失ったことへの慟哭が宿る。枯れては芽吹くことを数千回も繰り返すことのできる樹木にひきかえ、人間の生とはなんとはかないものだろう。昨年末、舅が亡くなった。若い頃、立山連峰で歩荷をしていた頑健な身体でも病魔には勝てなかった。静かに盛りあがる真っ白いシーツが、まるで雪山の稜線のように見えた。『舊雨今雨』(2011)所収。(土肥あき子)


January 2412012

 いつまでも猟犬のゐる柩かな

                           小原啄葉

と人間の交流は1万年から1万5千年前にもさかのぼる。それまで狼と同じように群れを作り、獲物を仲間で追っていた犬が人間の食べ残した動物の骨などをあさるうちに、移動する人間に伴って行動するようになっていったという。現在の溺愛されるペットの姿を見ていると、人間が犬の高度な知能と俊敏な特性を利用したというより、扱いやすい生きものとして犬が人間を選んだように思えてくる。とはいえ、犬と人間の原初の関係は狩の手伝いである。優れた嗅覚と聴覚を持つ犬は人間より早く獲物を発見して追い込み、仕留め、回収することを覚え、また居住空間でも外敵の接近を知らせるという警備の役目もこなした。その律儀なまでの主従関係はハチ公物語などでも周知だが、ことに猟犬となると飼い主を狩りのリーダーとみなし、チームの一員として褒めてもらうことに大きな喜びを得る。掲句は主人が収まる柩から離れようとしない犬の姿である。通夜葬儀とは家族には手配に継ぐ手配であり、その慌ただしさで悲しみもまぎれるというものだが、飼い犬にとっては長い長い指示待ちの時間である。じっと動かぬ主人からの、しかしいつ放たれるか分らない「行け」という言葉を犬はいつまでも待っている。『滾滾』所収。(土肥あき子)


January 3112012

 胴に鰭寄せて寒鯉動かざる

                           山西雅子

は水温が八度以下になると冬眠する。巨木のような胴体に、ひたりと鰭を寄せている寒鯉は、今水底深くごろりと沈む。眠るといってもまぶたのない魚たちのこと、当然目は開けたままである。人間とはあまりにもかけ離れた姿であり、きわめて忠実な描写であるにも関わらず、どこか掲句の鯉に人間の懐手めいた動作を重ねてしまうのは、龍鯉や夢応の鯉魚などの伝承のはたらきも作用していると思われる。俳句を鑑賞するとき、そこに描かれた言葉以上の想像することを戒めて「持ち出し」と言うそうだが、抗いがたくそれをさせてしまうのもまた定型詩が持つ強力な磁力であろう。「星の木」(2010年秋・冬号)所載。(土肥あき子)


February 0722012

 探梅の水に姿を盗られけり

                           水内慶太

のない時代、人は水に姿を映していた。それが確かに自分であるという確信は、ずいぶん心もとないものだったことだろう。しかし、姿を映すことは不吉でもあった。後年の写真がそうであったように、真実を映すとき、魂がそちらに移ってしまうと思われていたからだ。春の兆しを探す足元に水があり、なにげなく通り過ぎた拍子にわが身を見た。あまりにありありと映る水面に、ふと姿を盗まれたと思えたのだろう。青過ぎる空を映しているばかりの水は、そこを通過する何人もの姿を飲み込んできたに違いない。探梅という、ゆかしく訪ねる心が、作者を一層感じやすくしている。「月の匣」(2011年3月号)所載。(土肥あき子)


February 1422012

 バレンタインデーか中年は傷だらけ

                           稲垣きくの

年とは何歳あたりが該当するのだろうとあれこれ見ていくと、一般的に40代から50代をいうようだ。あれこれのなかには「ミッドライフクライシス(中年の危機)」という言葉も目についた。一途でがむしゃらを許される青年期を越え、ほっとひと息つく頃、老いの兆しらしきものを次々と自覚し始める。「折り返し地点」という言葉に、やり直しの限界に直面していることに気づき焦燥感がつのる。そのせいか、この不安定な時期にいきなり恋に落ちてしまうこともあるようだ。悲哀というには重過ぎるが、それでも年齢を重ねれば、どんな人間でも心の傷も蓄積される。いくつもの傷痕や、まだふさがりきっていない傷をあらためて眺めては、とりあえずため息をついてみたりするが、実のところ、そのうち癒えるものだという経験もまた持ち合わせている。それもまた傷つきながら体得してきたものではあるが、それさえ中年というふてぶてしさに見えて情けなく思う。バレンタインデーなどという「告白の日」のばかばかしさにあきれながらも、その甘さに酔いたいときもある。また傷を増やすとわかっていても、いまだ愛がなにものにもかえがたい力を持つことを信じるのも中年が手放すことのできないロマンだろう。『冬濤』(1976)所収。(土肥あき子)


February 2122012

 ねこ葬る地の下深き温みまで

                           笹島正男

月12年間一緒に暮らした飼猫を見送った。借家住まいゆえ、庭に埋めることは叶わず、火葬してペット霊園に納骨するという人間と同じ仰々しさとなった。掲句の「葬る」の読みは語数から「ほうむる」ではなく「はふる」。この「はふる」の語源が「放る」と知り、愛情とともに猫と人間とのあるべき距離が感じられた。野良犬などに掘り返されることのないよう、静かに眠っていられるよう深く深くひたすら掘る。作者の気持ちがおさまるところまで掘り進め、「地の下深き温み」に行き当たる。そして、そっと土に返すのだ。動物霊園事業に関わる法律が制定されたのが昭和45年というから、それ以前はおおかたは飼っているペットが死んだら火葬もせず埋めていた。そのうえ、猫は放し飼いにするのが普通だったので、年を取って家に帰ってこなくなれば、どこか死に場所を見つけに出ていったと言われていたのだ。いまやペットは、家族と同等、ともすれば家族以上の存在で人間に寄り添っていることから、死の受入れ方もまた時代とともに変貌している。それにしても、ペット産業に携わる人々から死んだ猫を「猫ちゃん」と呼ばれることについては、どうにも違和感がつきまとう。明日2月22日は猫の日。近所で猫を見かけるとまだ胸のあたりがきゅんと痛くなる。『髪(かみのけ)座』(2011)所収。(土肥あき子)


February 2822012

 囀りの裏山へ向く仏足石

                           松原 南

足石とは、釈迦の足裏の形を刻んだ石である。インドから伝わり、日本では奈良の薬師寺にあるものがもっとも古く、天平勝宝5年(753年)の銘がある。釈迦を象徴するものとして礼拝の対象とされ、比較的方々の寺社に見られるというが、わたしが実際に仏足石を認識したのは俳句を始めてからだった。同行者は皆、さして興味を引くでもなく、石灯籠や五輪塔を見るのと同様の反応だったが、その巨大な造形は寺の庭にあっていかにも風変わりに映った。ひとつひとつの足指には丹念に渦が刻まれ、前日の雨がわずかに溜ったそれは、宮澤賢治の「祭の晩」に出て来る大男の姿が重なるような深々としたあたたかさが感じられた。掲句は大きな仏足石が爪先を揃えて裏山に向けられているという。山は今、若葉が芽吹き、鳥たちの囀りであふれている。やはりうっかり里に下りて、助けられた少年に「薪を百把あとで返すぞ、栗を八斗あとで返すぞ」と言い残し、山へと去っていった金色の目をした男の足跡に思えてならない。〈薄氷を動かしてゐる猫の舌〉〈雫より生れし氷柱の雫かな〉『雫より』(2011)所収。(土肥あき子)


March 0632012

 きつぱりとせぬゆゑ春の雲といふ

                           鈴木貞雄

週は首都圏でも雪が降り、翌日は15度という落ち着かなさも春恒例のことではあるが、年々身体が追いつかなくなる。夏の厳しさも、冬の寒さもさることながら、かつてもっとも過ごしやすいと思っていた春が、一定しない陽気やら花粉やらでもっとも厭わしい季節になっていることにわれながら驚いている。正岡子規が「春雲は絮(わた)の如く」と称したように、春の雲は太い刷毛でそっと刷いたように、あるいはふわふわとしたまろやかさで身軽に空に浮かぶ。見つめていれば半透明になり、端から青空と一体化してしまうような頼りなさに思わず、「雲は雲らしく、もりもりっとせんかい」と檄を飛ばしたくなる心があってこそ、掲句が成り立つのだと思う。青春時代にはおそらく出てこない感情だろう。とはいえ、これこそ春の雲。春の空がうっとりとやわらかくかすんでいるのは、溶け出した雲のかけらを存分に吸い込んでいるからだろう。『森の句集』(2012)所収。(土肥あき子)


March 1332012

 あたたかな女坐りの人魚の絵

                           河内静魚

座りとは、正座から崩した足のかたちで、片方に斜めに流す横座りや、両方に足を流したあひる座りなどを指す。人魚の絵はみな横座りである。腰から下が魚なのだから横座りしかできないのは当然なのだが、では男性の人魚はどのように座るのだろうと不思議に思って探してみると、はたして腹這いか、膝のあたりを立てた体育座りをしていた。やはりなよやかな女性を感じさせる座り方はさせられないということだろう。よく知られているコペンハーゲンの人魚姫の像が、憂いを込めて投げかける視線の先はおだやかに凪ぐ水面である。たびたび海上に浮かび、恋しい王子の住む城を眺めたのち、引きかえに失うことになる海の生活を愛おしんでいるのだろうか。人魚姫が人魚であった時代は、愛に満ち、あこがれと希望にあふれた時代だったのだと、あらためて思うのだ。〈春風といふやはらかな布に触れ〉〈風船の空にぶつかるまで昇る〉『夏風』(2012)所収。(土肥あき子)


March 2032012

 白椿亡き子の臍の緒五十年

                           結城蓉子

年、民族学者の友人から仙台にある「冥婚」という風習を聞いた。亡くなった子供が20歳になったとき、あの世で結婚したとする追善供養である。亡くなったのちもなお、わが子が幸せに暮らしてほしいと願う親の心にひたすら胸を打たれる。掲句は白椿という清らかな花を眺めながら、臍の緒が収められている桐の小箱のことに思いを馳せる。指折り数えるまでもなく、もう50年という月日が流れているのだ。いつまでも幼いままの子の顔かたちをそっと胸の奥の小箱を開いて懐かしむ。生きるとは、あらゆることに区切りをつけながら過ごす日々をいうのだろう。暑さ寒さも彼岸まで。一歩一歩ゆっくり春になっていく。『アウシュビッツの風』(2011)所収。(土肥あき子)


March 2732012

 街に出てなほ卒業の群解かず

                           福島 胖

業という言葉には、これまでの生き方をまるごと認めて送り出す賞賛の拍手が込められている。叱られてばかりの学生生活でも、締めくくりはかくもおだやかな祝福に包まれる。神妙に揃えていた手足も、頬を伝った涙も、格式張った会場から出ればいつも通りに仲間と軽口を叩き、笑い合うことができる。青春のエネルギーはときとして辟易することもあるが、小鳥のさえずりや、雨上がりの芽吹きのように清々しく頼もしいものだ。このところテレビから繰り返し流れる「友よ、思い出より輝いてる明日を信じよう」(『GIVE ME FIVE!』歌:AKB48/作詞:秋本康)の歌詞の通り、若者は変化する環境に次々と順応できる。歌は「卒業とは出口じゃなく入口」と続く。卒業生たちは、来月にはあらためて新入生、新社員へと名を変える。出口に続く入口の直前まで仲間と群れている様子は、水にインクを落した直後、均一な濃度として溶け込むまでのわずかの間のふるえるような色合いに似る。おおかたの大人は、この無邪気な喜びののちに待つさまざまな苦労や、かつて自分にもあったこんな日を重ね、まぶしいような、切ないような複雑な気持ちになるものだ。そんな視線などものともせず、卒業式を終えた一群は元気に街へと繰り出していく。明日へ向かう躊躇のない一歩に心からのエールを。おめでとう!〈恋をしにゆく老猫を励ましぬ〉〈一人だけ口とがらせて入学す〉『源は富士』(1984)所収。(土肥あき子)


April 0342012

 嘴は亀にもありて鳴きにけり

                           丸山分水

アフ島で海亀と一緒に泳いだことがある。忠実に書くと、息継ぎをしにきた亀と偶然隣合わせ、その後ふた掻きほど並泳した。種族が異なっても「驚く」や「怒る」の感情は分るものだ。顔を見合わせた瞬間にはお互い面食らったものの、彼(もしくは彼女)は、ごく自然に通りすがりの生きものとして、わたしを追い抜いていった。息がかかるほどの距離でまじまじと見つめ合った貴重な瞬間ではあるが、実をいえば目の前で開閉した鼻の穴の印象が強く、おそらく向こうもあんぐり開けた人間の口しか見ていないと思われる。しかしその鼻の先はたしかに硬質でゆるやかな鈎状をしていた。「亀鳴く」の季語には一種の俳諧的な趣きとして置かれているが、同列の蚯蚓や蓑虫の鳴き声の侘しさとは違い、のどかでおおらかである。その声は深々と響くバリトンを想像したが、嘴の存在を思うと、意外に可憐な歌声を持っているのかもしれない。『守門』(2011)所収。(土肥あき子)


April 1042012

 猫の子の目が何か見ておとなしき

                           喜田進次

いたばかりの猫の目は、どんな猫でもみんな濃いブルーである。「キトン(子猫)ブルー」と名付けられる深い青色は一ヶ月ほどかけて薄れ、本来の瞳の色になっていく。虹彩に色素が定着していないことが理由らしいが、この吸い込まれるような青い瞳にはもっとロマンチックなストーリーを重ねたくなる。しきりに鳴き続けた子猫がふとなにかを見つめ静かになったという掲句。『メアリー・ポピンズ』に赤ん坊は日の光、風、樹、小鳥、星のどれもが話しかけてくれた日々を、人間の言葉を覚えるとともに忘れてしまう、とムクドリが嘆く話しがあった。驚きやすい子猫をうっとりとなだめたものは、綾なす春の日差しか、きらめく木漏れ日か、人間の大人には見えないなにかが確かにそこにはあったのだろう。『進次』(2012)所収。(土肥あき子)


April 1742012

 ひねりつつものの種まく太き指

                           森 俊人

参も大根も、種を初めて見たときは心細いほど小さくて驚いた。その小さい種を、溝にそって一列に蒔いたり、一カ所に数粒ずつ蒔いていく。家庭菜園は収穫が最大の楽しみだが、育てる喜びを味わえることも大きいという。掲句では上五の「ひねりつつ」に作物への愛情が感じられる。ひと粒ひと粒にしっかりと体温を伝えるように、種は大地へと戻される。ふっくらと土に包まれ、たっぷりの太陽の日差しを浴び、ときには恵みの雨を経て種はしっかりと根付いていく。作者は、やわらかな芽吹きや、たわわな収穫の姿をなだらかな黒い土の上に描きながら、太い指先からまるで生み出すように種をこぼすのだ。そういえば、友人から大葉の種がもらったままになっていることを思い出した。栽培カレンダーによると、種まき4月が適当であり、初心者にも育てやすいとある。まずは大葉で、健やかな収穫の喜びを味わってみようかと思う。『自在』(2012)所収。(土肥あき子)


April 2442012

 春深しひよこに鶏冠兆しつつ

                           三村純也

わとりは庭で手軽に飼うことができる家禽であった。新鮮で栄養豊富な卵が手に入り、フンは飼料となった。にわとりの餌を刻み、水を取り替え、卵を回収するのは子どもの役目だと聞いたのは、清水哲男さんからだったが、昭和40年代のわが家の回りにもまだちらほらと庭でにわとりを飼っている家は存在した。友人の家にひよこが生まれたと聞いて、学校帰りに見に行くと、たんぽぽの絮毛を重ねたような愛らしいひよこがよちよち歩きまわっている。あまりの可愛らしさに毎日のように寄り道するようになったが、一ヶ月もしないうちにすらりと筋肉質の体躯になり、そのうち鶏冠(とさか)が生えてくる。孵ったばかりのひよこの雌雄を見分けることは極めて難しいそうで、そのため「初生雛鑑別師」という国家資格があるそうだが、彼女に家のひよこたちも、雌は残して、雄は引き取ってもらうことになっていた。鶏冠が大きくなれば雄なのだ。晩春のともすれば汗ばむような日差しのなかで、鶏冠がほの見え始めたとき、ひよこ時代は終わりを告げる。おたまじゃくしの足ほど重要ではなく、人間の親知らずほど無用でもない程度に考えていた鶏冠だが、ひよこたちの運命を左右するものかと思えば、その一点の赤が痛々しく切なく胸に迫ってくる。『觀自在』(2011)所収。(土肥あき子)


May 0152012

 メーデー歌いつより指輪にときめかず

                           福田洽子

980年代半ばから十数年間をOLとして過ごしていたが、メーデーとは希薄な関係のままだった。「8時間は労働、8時間は休息、8時間は自由な時間のために」というメーデー誕生の主張を、新鮮な気持ちで眺めている。バブル期といわれる好景気にもまるきり実感はなかったが「24時間働けますか♪」というバカバカしいCMは今も耳底に残っている。あらためて「メーデー歌」を検索してみると「聞け万国の労働者」がヒットした。聞いたことはあるが、歌詞は最初のフレーズのみしか覚えはなく、以降が「汝の部署を放棄せよ」「永き搾取に悩みたる」などと続くとは思いもよらなかった。この時代の先輩たちの熱き攻防が、後に続く労働者のさまざまな権利を成果として実らせてきたのだろう。掲句の「いつより指輪にときめかず」には、若い日々へのほろ苦い回顧がある。指輪にときめいていた頃の指は、未来を掴もうと戦っていた。野望に満ちた手は装飾品を欲し、また希望に満ちたしなやかな指にはきらめきや彩りがよく似合う。今あらためて、装飾品から解放され、じゅうぶんに時を経た無垢の指を見つめている作者がいる。次の世代へとバトンを渡したあとの手はおだやかに皺を刻み、戦い掴み取る手から、差し出す掌へと変貌している。『星の指輪』(2012)所収。(土肥あき子)


May 0852012

 銀河系語る泉にたとえつつ

                           神野紗希

人的な好みもあろうが、専門分野を簡潔に説明でき、明快な比喩を扱える人に出会うと、憧れと尊敬でぽーっとなってしまう。広辞苑で「銀河系」をひくと「太陽を含む二千億個の恒星とガスや塵などの星間物質から成る直径約十五万光年の天体」とあり、その数字に圧倒される。やさしく分りやすい信条の新明解国語辞典でも広辞苑の説明に追加して「肉眼で見える天体の大部分がこれに含まれる」とあって、そこからは「だからもうそこらじゅう全部銀河系だってことなんですっ」という開き直ったような困惑ぶりが見てとれる。数字が大きければ大きいほど、現実から遠ざかる。人間が瞬時に把握できる数は7という説があるが、それをはるかに超えた千億個などという途方もないものは数という親しみやすい存在から逸脱している。掲句のこんこんと湧く泉に例えられたことで、堅苦しく数字がひしめいていた銀河系が、途端に瑞々しい空間へと変貌し、たっぷりとした宇宙に漂う心地となる。〈起立礼着席青葉風過ぎた〉〈寂しいと言い私を蔦にせよ〉『光まみれの蜂』(2012)所収。(土肥あき子)


May 1552012

 縦書きの詩を愛すなり五月の木

                           小池康生

がものを伝うのを見て、あるいは花や葉が風に舞い落ちるのを眺め、人は文字を縦書きに書くことを思いついたのではないか。視線を上から下へおろすことは、人間の両目の配置からして不自然なことだそうで、横書きの文章の方が早く理解できるといわれる。しかし、ものを縦になぞることには、引力のならいでもある安心感がある。パソコンに向かっていると横書きに見慣れ、常に目は左から右ばかりに移動する。紙面の美しい縦書きを追うことは、目のごちそうとも思える。立夏から梅雨に入るまでのひととき、木々は瑞々しく茂り、雲は美しく流れる。青葉に縁取られた五月の木の健やかさのもとでは、やはり縦書きの文字を追いたいと、目が欲するのではないか。一年のなかでも特別美しい月である五月に、目にもたっぷりとごちそうをふるまってあげたい。〈ペン先を湯に浸しおく青嵐〉〈家族とは濡れし水着の一緒くた〉『旧の渚』(2012)所収。(土肥あき子)


May 2252012

 雲雀には穴のやうなる潦

                           岩淵喜代子

日の金環食の騒ぎに疲れたように太陽は雲に隠れ、東京は雨の一日になりそうだ。毎夜月を見慣れた目には、鑑賞グラスに映る太陽が思いのほか小さいことに驚いた。金環食を見守りながら、ふと貸していた金を返してもらうため「日一分、利取る」と太陽に向かって鳴き続ける雲雀(ひばり)の話を思い出していた。ほんの頭上に輝いていると思っていた太陽が、実ははるか彼方の存在であることが身にしみ、雲雀の徒労に思わず同情する。雲雀は「日晴」からの転訛という説があるように、空へ向かってまっしぐらに羽ばたく様子も、ほがらかな鳴き声も青空がことのほかよく似合う。掲句は雨上がりに残った潦(にわたずみ)に真っ青な空が映っているのを見て、雲雀にはきっと地上に開いた空の穴に映るのではないかという。なんと奇抜で楽しい発想だろう。水たまりをくぐり抜けると、また空へとつながるように思え、まるで表をたどると裏へとつながるメビウスの帯のような不思議な感触が生まれる。明日あたり地面のあちこちに空の穴ができていることだろう。度胸試しに飛び込む雲雀が出てこないことを祈るばかりである。『白雁』(2012)所収。(土肥あき子)


May 2952012

 かかへくるカヌーの丈とすれちがふ

                           藤本美和子

ヌーが季語として認知されているかは別として、ヨットやボートと同じく夏季、ことに緑したたる初夏がふさわしい。万緑を映した川面を滑るように進む姿には、なんともいえない清涼感がある。人間ひとりを収め、水上にすっきりと浮いているカヌーも、陸にあがれば意外に大きいものだ。カヤック専門店のオンラインストアで確認すると、軽くてコンパクトと書かれる一人乗りカヌーの全長が432センチとあり、たしかに思っていたよりずっと長い。水辺まで運ばれる色鮮やかなカヌーに気づいてから、長々と隣り合い、その全長をあらためて知る作者は、水上の軽やかな姿とは異なる、思いがけない一面を見てしまったような困惑もわずかに感じられる。水の生きものたちが、おしなべて重量を気にせず大きくなったものが多いことなどにも思いは及んでいくのだった。〈新しき色の加はる金魚玉〉〈たそがれをもて余しをる燕の子〉『藤本美和子句集』(2012)所収。(土肥あき子)


June 0562012

 六月や草より低く燐寸使ひ

                           岡本 眸

の生活で燐寸(マッチ)を使う機会を考えてみると、蚊取線香とアロマキャンドルくらいだろうか。先日今年初の蚊取線香をつけたが、久しぶりで力加減がわからず、何本も折ってしまった。以前は小さな家を「マッチ箱」とたとえたほど生活に密着し、あるいは「マッチ売りの少女」の売り物は、余分に持っていても使い勝手はあるごく安価な日常品としての象徴だった。その生活用品としてのマッチと認識したうえで、掲句の「草より低く」のなんともいえない余韻をどう伝えたらよいのだろう。煙草などの男の火ではない、女が使う暮らしのなかの火である。マッチは、煮炊きのための竈に、あるいは風呂焚きに、風になびかぬよう、静かな炎をつないでいく。そして、燃えさしとなったマッチの軸も、そのなかへと落し、鼻先に燃えるあかりを育てるのだ。幾世代にも渡って女の指先から渡してきた炎のリレーが自分の身体にもしみ込んでいるように、何本も失敗したマッチをこすった後の、つんと残る硫黄の匂いが懐かしくてならなかった。『流速』(1999)所収。(土肥あき子)


June 1262012

 平家蟹カゲノゴトクツキマトウ

                           小泉八雲

平家蟹
句や短歌など、日本の詩歌を英訳し紹介しつづけた小泉八雲。妻節子の『思い出の記』には「(八雲は)発句を好みまして、沢山覚えていました。これにも少し節をつけて廊下などを歩きながら、歌うように申しました。自分でも作って芭蕉などと常談を云いながら私に聞かせました。どなたが送って下さいましたか『ホトトギス』を毎号頂いて居りました。」という記述がある。そこでしばらく小泉八雲の俳句をあちこち探したが、見つけることはできなかった。実は掲句、小泉八雲の秘稿画本『妖魔詩話』(1934)に収められた八雲の草稿から見つけたものだ。これは天明老人編「狂歌百物語」に収められて狂歌を英訳したものだが、八雲は未発表のまま亡くなり、昭和9年没後にご子息一雄氏が編者となって出版した。平家蟹の項には八雲のペンによって描かれた強面の蟹のスケッチの脇に「カゲノゴトクツキマトウ」とカナで記されている。影の如く付きまとう……。蟹の甲羅に浮かぶおそろしい武士の顔を丹念に写し取るとき、思わず蟹の姿となって、ひいては安息を得られない平家の霊のひとつとなってペン先からこぼれ落ちたつぶやきであろう。はたしてこれを俳句作品として挙げるのは乱暴かもしれないが、八雲の作った俳句のようなもの、として紹介したい。(図版『妖魔詩話』「平家蟹」より)(土肥あき子)


June 1962012

 船ゆきてしばらくは波梅雨の蝶

                           柴田美佐

航する船を見送るシーンにカラフルなテープを投げ交わす光景は、いつ頃から始まったのかと調べてみると、1915年サンフランシスコで開催された万国博覧会に紙テープを出品した日本人から始まっていた。この頃既に布リポンがあったため大量に売れ残った色とりどりの紙テープを「船出のときの別れの握手に」と発案し、世界的な習慣になったという。行く人と残る人につながれたテープは、船出とともに確かな手応えとなって別れを演出する。陸を離れる心細さを奮い立たせるように、色とりどりのテープをまといながら船は行く。掲句にテープの存在は微塵もないが、船と陸の間に広がる波を見つめる作者の視界に入ってきた梅雨の蝶の色彩は、惜別に振り合った手のひらからこぼれたテープの切れ端のようにいつまでも波間に揺れる。〈啓蟄や木の影太き水の底〉〈小春日やこはれずに雲遠くまで〉『如月』(2012)所収。(土肥あき子)


June 2662012

 死にたれば百足虫は脚を数へらる

                           雨宮きぬよ

足虫(ムカデ)はその名の通り、多い種になると173対というから300本をゆうに越える足を備える。日頃怖れているものが死んでいるとき、観察する派と、死体であっても無理派に分かれる。作者を含む前者は、刺されたり攻撃されることさえなければ、その個体に興味が湧くという探究心の持ち主であろう。死んだ百足虫を目の前にして、ぞろりと揃えられた足の一本一本が絡まることなく規則正しく動いていた事実に思いを馳せる。生前の嫌悪は遠ざかり、複雑な身体を持った彼らに「お疲れさま」とねぎらうような視線が生まれる。同集には〈いくたびも潮の触れゆく子蟹の屍〉も見られ、こちらはさらに温情の純度が高まっている。一方、生きていようが死んでいようが、存在自体に意気地なく尻込みするタイプもある。私もはっきりそちらに所属しており、おしなべて昆虫関係は不得手だが、ことに足が多いほど苦手度は増す。ムカデ、ヤスデといった存在は虫というより怪物に近い戦慄を覚える。虫嫌いの傾向は子どもの世界まで万延し、ノートの定番ジャポニカ学習帳の表紙にも昆虫が登場しなくなったという現実を聞くとやはりさみしいと思う。わらじを脱いでいると思ったらまだ履いているところだった、という「ムカデの医者むかえ」など親しみも持てる話しや、一匹を退治すると連れ合いが探しにくるといわれる百足虫の夫婦愛の深さなど胸を打たれるではないか。キーボードを打つだけで粟立っている者の言葉では説得力に欠けるが……。『新居』(2011)所収。(土肥あき子)




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