@句

January 0612012

 先生も校舎も好きだ定時制

                           中西秀斗

校生の俳句といっても実質は大人の俳人と同じレベルだ。野球で甲子園に出るような高校が仮に社会人野球のチームとやっても互角以上の試合が予想されるように、俳句だって知情意のバランスのとれたいわゆる進学校の高校生は技術にも感覚にも秀で、大人の俳人をくすぐる術だって全部こころえている。じゃあそういうこましゃくれたハイティーンに死角はないかというとこれがあるんだな。これに対抗するには自分の現実を泥臭く詠うに尽きる。憤懣やる方ない現実や欠落している自分の部分をさらけだすこと。深刻ぶらないであっけらかんと。彼らに一番欠けているところだ。この句の作者は定時制。昼間は多くが働いている人たちだ。先生が好きだは常套。演出じゃなくてたとえほんとうにそうであったとしても「詩」にはならない。凄いのは「校舎」だな。学校が好きは定番陳腐だが、「校舎」は真実そういう気持がなければ出てこない言葉。昼間商店や工場で働いている人にしか言えない。進学校の生徒には絶対詠えない。作者は学校という概念じゃなくて現実に触れえる校舎という物象が好きなんだと気づいたとき胸が熱くなる。ついこの間まで高校で俳句部を指導していたのでつい戦法のような言い方になってしまった。すみません。『17音の青春2008』所載。(今井 聖)


January 1312012

 父よりも好きな叔父来て落葉焚き

                           芝崎康弘

ヤジがふつうの会社員で、フーテンの寅さんみたいな叔父さんがやって来る。またはその逆で職人のてやんでいオヤジに対して叔父さんはビジネス最前線の商社マンだったりする。まあ、前者の方が通俗性があって落葉焚きにも寅さん叔父の方が似合いそうだが、後者だと子どもの屈折がみえて、ちょっとシリアスな話になりそうな気がする。実際はそんな対照的な兄弟はあまりいなくて職人兄弟とか医者兄弟とかが圧倒的に多いのだ。階級格差の根は深い。落葉焚きは落葉を処理するために焚くというイメージは僕にない。なんとなくぼおっとしたいときに落葉を焚く。春愁や秋思にひってきする精神的な季語だ。もっとも焼芋を目的とする落葉焚きというのもあるかもしれない。『17音の青春II』(2000)所載。(今井 聖)


January 2012012

 空井戸に夜をしづめて冬深し

                           中山政彦

校三年生の作品。いわゆる進学有名校の生徒さんだ。載っているのは高校生の俳句コンクールの作品で一人三句出し。この人の他の二句は「月氷るカルテに赤き筆記体」「冬の夜の海のごとくに振子時計」。月氷るの句はなんとなく怖ろしいカルテの雰囲気が出ているし、冬の夜の句はダリの絵のような感じがある。技術も感覚も伝統咀嚼度も三句とも完成度が高いのだ。俳句は老人の文芸であるという言葉があってそれは何も揶揄ばかりの意味ではなくて、加齢とともに見えてくる、或いは齢を加えなければ見えないものがあるという肯定的な言い方でもあるのだが、十八歳のこういう三句をみると我ら「大人」は果たして加齢の効能を俳句にどう積んできたのか恥ずかしくならないか。俳句がなめられてはいけない。我ら六十代、七十代、八十代の高みを見せてやろうではないか、ご同輩。『17音の青春』(2008)所載。(今井 聖)


January 2712012

 今生に子は無し覗く寒牡丹

                           鍵和田秞子

者五十歳の作。子が無いという思いについての男と女の気持には違いがあるだろう。跡継ぎがいないとか自分の血脈が途絶えるとか、男は観念的な思いを抱くのに比して女性は自分が産める性なのにというところに帰着していくような気がする。そんな気がするだけで異性の思いについては確信はないが。同じ作者に「身のどこか子を欲りつづけ青葉風」。こちらは二十代後半の作。「身のどこか」という表現に自分の本能を意識しているところが感じられる。「覗く」はどうしてだろう。この動詞の必然性を作者はどう意図したのだろう。見事な寒牡丹を、自分の喪失感の空白に据えてやや距離を置いて見ている。そんな「覗く」だろうか。『自註現代俳句シリーズV期11鍵和田釉子集』(1989)所収。(今井 聖)

お断り】作者名、正しくは「禾(のぎへん)」に「由」です。


February 0322012

 乱反射するや初刷りに核の海

                           古沢太穂

982年の作。元旦の新聞にきらきら光る海の写真が掲載されており、それが「核の海」であると感じている。核の海は核実験の海あるいは崩壊ソ連によって投棄されたとする核弾頭の眠る海さらに広義に原子核つながりでいえば海辺に立つ原発もイメージされる。文学はときに未来を予言する。「今」を読み取り、つづいて来る「未来」を予言するのは作者の思い。読み取るのは読者の感性。そこを避けたところに「普遍性」を見出そうとするのは両者の共同逃避ではないか『捲かるる鴎』(1983)所収。(今井 聖)


February 1022012

 あたたかき老犬と見る火星かな

                           的野雅一

季の句。あたたかきは老犬にかかるから犬の体のあたたかさ、あるいは老犬の人柄?のあたたかさだから春季の暖かとは別。「と」は大いなる主観。老犬が火星をみるわけはないので作者がそう感じているというほどのこと。無季の主観句であるこの句の魅力は老犬と作者と火星の登場する舞台設定。老犬が象徴するのは「命の短さ、尊さ」つまり瞬間。火星が示すのは「永遠」。瞬間と永遠の間に作者が立っている。その設定が魅力なのだ。間に立っていた作者はちょうど二年前の春に早世。今は永遠の側に立っている。『エチュード』(2011)所収。(今井 聖)


February 1722012

 一草も眠らず朧月夜なり

                           島田葉月

の夜の万象萌え出づるがごときざわめきが聞こえてくる。一草も眠ることがない。これは躁の句だ。ハイテンションそのもの。眠らなくても良ければ人生は二倍生きられる。不夜城という言葉もある。春宵一刻値千金、だから眠らずにいようよという句。不眠不休じゃいやだけど。『闇は青より』(2012)所収。(今井 聖)


February 2422012

 点滴一架日脚の長くなりしかな

                           石田波郷

い句からは多くの学ぶべきところがある。素朴なつくりに見えて凡句には及びもつかないところがある。点滴一架、まずこれが言えない。点滴瓶(袋)が下げてあって移動できるようになっている装置、これを「一架」で過不足なく言う。すごいなあ。次に大方の俳人なら「日脚伸ぶ」という季語をそのまま当てはめて安易に使いがち。それを「日脚の長くなりし」と言う。これも言えそうで言えない。もうひとつ。凡人は「かな」を名詞に付けて用いることが多いから「なりしかな」の何気なさが出せない。ことに近年の俳句にはこんな懐の深い表現はない。点滴の移動装置の影が見える。デッサンの確かさが「写生」の本意を示している。すんなり作ってあるようでいて創意も工夫も感覚もとてつもなく練られている。『酒中花以後』(1970)所収。(今井 聖)


March 0232012

 春の口紅三越の紙の色

                           須川洋子

快な配色。単純化されたものの配合。須川さんは楸邨門の中では数少ない「もの」派だった。「遠足の列大丸の中とほる」の田川飛旅子さんをひとつのお手本に学んだ。「寒雷」のような観念派の中の「もの」派は花鳥諷詠派がいう「もの」とはかなり違う。ほんとうに「もの」なのだ。神社仏閣老病死や季語の本意に依った「もの」ではなくて情緒をあらかじめ設定しない純粋な「もの」。そこらへんに転がっているあらゆる物象を対象とするのだ。周囲の圧倒的な数の「観念」派に抵抗する中で鍛えられた尖鋭的な「もの」派だ。須川さんが逝ってしまった。(「季刊芙蓉」2012・春・第91号)所載。(今井 聖)


March 0932012

 畦焼の祖父が火入れの責を負ふ

                           谷口智行

取県米子市に住んでいたときの公舎の前は自衛隊の演習地だった。別に柵があったわけでもなく、向かいの家々までは霞むほどの距離があった。ときどき火炎放射器の実演などもあったから今から思うと危険な野原だった。春に父が庭に放った火が演習地に燃え移り父が叫びながら走り回り消防車まで来た記憶がある。野焼、畦焼はかくのごとく危険なものであるということを実感したのである。「祖父」は風の向きや強さなどを計算に入れながら火を入れるのだろう。煙の匂いなどもただ茫々と懐かしい限りである。『日の乱舞物語の闇』(2010)所収。(今井 聖)


March 1632012

 朝靄に梅は牛乳より濃かりけり

                           川端茅舎

乳はちちと読むのだろう。牛乳の白と比較しているのだから梅は白梅である。二者の比較のみならず朝靄もこれに加わるので三者の白の同系色比較。色の濃さは朝靄、牛乳、梅の順で濃くなる。僕らも日頃装いの配色にこんな計らいをする。思いの開陳。凝視。リズム。象形。比喩等々、表現手法はなんでもありで、その中に色彩対比もある。川端龍子の兄である茅舎は日本画を藤島武二や岸田劉生に学んだ本格派。この色彩構成はさすがという他ない。『華厳』(1939)所収。(今井 聖)


March 2332012

 雪すべてやみて宙より一二片

                           山口誓子

空を思う。昼だと日差しで雪が溶けるイメージがあるから。すべて止んだのにどうして一二片降りてくるのか。これは空から降ってくる雪ではない。完全に雪が止んだあとのしずかさの中、高みに積った粉雪が風のせいなどで自然に落ちて来るのだ。すべて止んだあと降りてくる雪、そんな難しいところをどうしてこんなに平明に詠めるのだろう。僕など同じ発想をしたらおそらく苦しまぎれに季語「風花」を用いるような気がする。風花は空から降ってくる雪だから趣旨が違うのに。そもそも止んだあとに落ちて来る雪なんて難しいところは諦めるしかないのだ。細かいことだが、一二片も最近の俳人は使えない。一、二片と書くだろう。じゅうにへんと誤読されるのが恐いからだ。読者が信頼できなくなっているということと自分と向き合うモノローグ性が弱くなって他者による理解を優先させる考え方が強くなっているからだ。だから「、」を多用したり名詞を並べるときに「・」を用いたりする。「、」も「・」も俳句の立姿を損ねる。読者を信頼するということと自分に向き合うこと。これは矛盾しない。『青女』(1950)所収。(今井 聖)


March 3032012

 三月やモナリザを売る石畳

                           秋元不死男

ナリザといっただけであまりにも有名な絵の複製だということがわかる。こんなことすら自分が作るときは臆病になるのだ。絵や複製という説明がなくてもそれとわかるのは石畳や「売る」があるからだ。三月はどうだろう。十月や七月ではだめかな。絶対三月であらねばならないと思う人にはそれなりの理由があるのだろうが、僕は十月でも七月でもいいような気がする。問題は季語がさまざまに取り替えがきくことをもってしてその句の価値が減じるという考え方ではないか。それは俳句というものは季節を詠うものだという目的意識に由来する。この句の上五に入れて価値を減じる季語もあろうが、三月と同じかそれ以上の価値をもたらす季語があるかもしれぬと考えることはこの句の価値を疑うこととイコールではない。『万座』(1967)所収。(今井 聖)


April 0642012

 畳を歩く雀の足音を知つて居る

                           尾崎放哉

由律の中でも短律といわれる短い文体が得意な放哉のこと。どうしてこの句「畳を歩く雀の足音」としなかったのだろうか。その方が「もの」に語らせて余韻が残るのに。放哉は「知つて居る」までいうことでそういう境涯にある「私」をどうしても言いたかったのだとだんだんわかって来る。しかしそこまで言わなくても上句だけで十分境涯もわかるのにと読者として思い返したりもする。言わずもがなのところをどうして言わないではおられなかったのか。一句を真中に置いての作者との対話は飽きることがない。俳句を読むうれしさを感じる時間である。『大空』(1926)所収。(今井 聖)


April 1342012

 落日の目つぶし鏡拭く沖縄

                           隈 治人

縄の落日が目にまぶしい。まぶしさを通り越して目つぶしのような強烈な光線だ。目つぶしで一端切る。鏡を拭くのは拭いても拭いても鏡から消えない沖縄の存在感を言っている。「目つぶし」がこの句の核。沖縄がテーマのようだが実は「目つぶし」の方が強烈な詩語だ。この句の「沖縄」は「目つぶし」がなければ生きてこないが、「目つぶし」の方は「沖縄」が無くても他の言葉とうまくやっていける。そんな気がする。こういう核になる語から探していく作り方もあろう。『感性時代の俳句塾』(1988)所載。(今井 聖)


April 2042012

 オルガンを聴く信長に春の風

                           井川博年

近俳句の勉強会で秋元不死男さんの「子規知らぬコカコーラ飲む鳴雪忌」という句を読んだ。この句の鳴雪忌が嵌っているかどうかは別にして、新しいものに関心を寄せる子規の性格から想像すると、もしコカコーラが当時出たらすぐに試しただろうという句だとの鑑賞をした。史実として信長がオルガンを聴いたかどうかは知らないが、やはり新しいものに積極的な信長のこと、こういうこともあったかと思われてくる。ドラマの一シーンにこんな場面を入れれば血なまぐさい生涯の信長という定説に奥行きが生まれること請け合いである。「OLD STATION 15 」(2012)所載。(今井 聖)


April 2742012

 蛇打ちし棒を杖とし世を拗ねる

                           吉田未灰

七までは思念の勝った高踏的な内容を思わしめる。たとえばモーゼのような、ツァラツストラのような、草田男作品のような。下五の「世を拗ねる」であれっと思う。なんだこりゃと思うのだ、最初は。ところが、なんだこりゃどころかこれは作者の風土詠だとやがて気づく。同著に「仁侠の地の木枯や叫ぶごと」もある。上州に生まれその地で営々と地歩を気づいてきた作者の郷土愛と言ってもいい。高倉健さんも唄っている「親の意見を承知で拗ねて曲りくねった六区の風よ」の「拗ねて」と同じ。国定忠治の地元である。フィクションだが木枯し紋次郎も上州。気づいたとたん俄然この句が面白くなった。世を拗ねる俳句なんて初めて見た。『点点』(2012)所収。(今井 聖)


May 0452012

 骨切る日青の進行木々に満ち

                           加藤楸邨

書きに「七月一日、第一回手術」1961年に楸邨は二度手術を受けている。結核治療のための胸郭整形手術。当時は胸を開いて肋骨を外したのだった。「青の進行木々に満ち」と手術への覚悟を生命賛歌に転ずるところがいかにも楸邨。悲しいときや苦しいときこそそこに前向きのエネルギーを見出していく態度が楸邨流。文理大の恩師能勢朝次の死去に際しては「尾へ抜けて寒鯉の身をはしる力」と詠み、妻知世子の死去の折には「霜柱どの一本も目覚めをり」と詠んだ。俳句の本質のひとつに「挨拶」があるとするなら、身辺の悲嘆を生へのエネルギーに転化していくことこそ「生」への挨拶ではないか。『まぼろしの鹿』所収。(1967)所収。(今井 聖)


May 1152012

 川幅に水が窮屈きんぽうげ

                           岡本 眸

句的情緒というものを毛嫌いしている僕にとって岡本眸さんは例外だ。眸さんの句の中には神社仏閣関連用語が比較的多く出てくる。またそういう用語を用いて従来の情緒にあらざるところを狙っているのかというとそうでもない。なのにどうして魅力を感じるのだろうか。俳人は粥を啜り着物を着て歌舞伎座に行き或いは能を観て、帰りは鳩居堂に寄り和紙を買ったりする。何を食べてどこへ行こうと自由だが典型を抜けたところにしか「詩」は存在しない。「詩」とは作者の「私」であり、提示される「?」だ。この句で言えば「窮屈」。川幅も水もきんぽうげもどこにでもある風景を演出する小道具。この言葉だけが異質。ここが詩の核である。こんな易しい俗的な言葉の中にしっかりと眸さんの「私」が詰まっている。「別冊俳句・平成俳句選集」(2007)所載。(今井 聖)


May 1852012

 夕焼雀砂浴び砂に死の記憶

                           穴井 太

の句が載っている本には鑑賞者がいて、その人によるとどうもこの句は長崎の被爆の悲しみや憤りを詠った句らしい。仮にそれが自解などで間違いない創作動機であったにしてもこの句にはそんなことは書かれていない。夕焼けの中で雀が砂浴びをしているのを見ていると、作者には砂に「死」というものの記憶が感じられるという句である。それ以外のことは書いてない。僕に感じられるのは第一に夕焼雀という造語の抒情性。第二に雀の砂浴びという平和な風景の中に「死」を見ている作者の感性。「死」が理不尽なものであろうと自然死であろうと関係ない。たとえば輪廻転生を繰返してきた人の前世の記憶であってもいい。『現代の俳人101』(2004)所載。(今井 聖)


May 2552012

 眉に闘志おおと五月の橋をくる

                           野宮猛夫

志、真面目、努力、素朴、根性、正直、素直。こんな言葉に懐かしさを感じるのは何故だろう。あまり使われなくなったからだろう。使うとどこか恥ずかしいのは言葉が可笑しいのか恥ずかしがる方がひんまがっているのか。男が「おお」と手を挙げて橋のむこうからやってくる。貴方にこんな友だちがいるか。いても眉に闘志なんかない奴だろうな。へこへこした猫背のおじさんがにやにやしながらやってきて無言でちょっと手を挙げる。そんな現代だ。正面から真面目に一途にこちらにむかってぐんぐん来る。溌剌とした五月の男。そんな男がいたらむしろ迷惑なご時世かもしれない。正面も一途も溌剌も恥ずかしい言葉になってしまった変な時代だ、今は。『地吹雪』(1959)所載。(今井 聖)


June 0162012

 空蝉となるべく脚を定めけり

                           夏井いつき

間にある事物を自分の「知」のはたらきで感じ取り構成していく。俳句の骨法の大きな要素。地球上でこんなに人間が横暴に好き勝手しているのにその面倒にもならずそればかりか人間に「名指し」で妨害されても自分の力で必死に暮らしている鳥や虫たちがいる。雀や燕やカラスをみると胸が熱くなります。虫もそうだなあ。この空蝉も神の造型を感じさせる。『平成俳句選集』(2007)所収。(今井 聖)


June 0862012

 雪よりも白き雲来て雪かくす

                           山口青邨

のう、個人的なことなのですが、勝手ながらこれまでこの欄にはその折の季節に合わせて俳句を取り上げて鑑賞して参りましたが、これからはタイムリーな季節の句に関りなく取り上げていきたいと思います。この句「アルプス行」の前書きあり。この作者の句に感じるのは情緒の安定。感情の揺れをそのまま詩型に叩きつけたりしない落ち着きぶりです。それが大人の風格のようで若い頃は嫌味に見えたのですが、このごろはその魅力も少しわかってきたように思います。感情が安定していると風景もブレない。正面から大きな景に堂々と立ち向かう。横綱相撲というべきか。『現代の俳句』(1993)所載。(今井 聖)


June 1562012

 鮭食う旅へ空の肛門となる夕陽

                           金子兜太

きな景を自身の旅への期待感で纏めた作品だ。加藤楸邨は隠岐への旅の直前に「さえざえと雪後の天の怒濤かな」と詠んだ。楸邨の句はまだ東京にあってこれから行く隠岐への期待感に満ちている。兜太の句も北海道に鮭を食いに行く旅への期待と欲望に満ちている。雪後の天に怒濤を感じるダイナミズムと夕焼け空の色と形に肛門を感じる兜太のそれにはやはり師弟の共通点を感じる。言うまでもなく肛門はシモネタとしての笑いや俳諧の味ではない。食うがあって肛門が出てくる。体全体で旅への憧れを詠った句だ。こういうのをほんとうの挨拶句というのではないか。『蜿蜿』(1968)所収。(今井 聖)


June 2262012

 死ねない手がふる鈴をふる

                           種田山頭火

頭火は58歳で病死したがその5年前に旅の途中で睡眠薬を大量に飲んで自殺を企てている。結局未遂に終りそのまま行乞の旅を続ける。本来托鉢行とは各戸で布施する米銭をいただきながら衆生の幸せや世の安寧を祈ることだろう。だから鈴をふる祈りには本来は積極的な行の意味があるはずだ。死にたい、死ねないと思いながら鈴をふるのは得度をした人らしからぬことのように思える。しかしながらそこにこそ「俗」の山頭火の魅力が存するのである。「俳句現代」(2000年12月号)所載。(今井 聖)


June 2962012

 流れに沿うて歩いてとまる

                           尾崎放哉

々に沿って歩いてきました、または歩いていきました、くらいが大方の詩想。凡庸な作家はここまでだ。「とまる」が言えない。行きにけり、歩きけり、流れけり。みんな流して終る。「春水と行くを止むれば流れ去る」誓子の句の行くの主語は我、流れ去るのは春水。二者の動きを説明した誓子に対して放哉は我の動きを言うだけで水の動きも言外に出している。放哉の方が上だな。『大空』(1926)所収。(今井 聖)




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