内閣改造。糊しろ幅が足りないから、またすぐに毀れそう。(哲




2012ソスN1ソスソス14ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 1412012

 智慧の糸もつるゝ勿かれ大試験

                           京極昭子

試験は、進級試験、卒業試験のことを言い、本来春季なのだが、今は一月第二の土日が大学入試センター試験、本格的な入学試験シーズンの始まりである。そんな時、「花鳥諷詠」(2012年1月号)に、京極杞陽夫人、昭子についての寄稿(田丸千種氏)があり、その中に、母ならではの句、としてこの句が掲載されていた。頑張れ頑張れと、お尻を叩くのでもなく、やみくもに心配するのでもない母。智恵の糸がもつれないように、というこの言葉に惹かれ、春を待たずに書くこととした。時間をかけて頭の中に紡いだ智恵の糸を一本一本たぐり寄せ、それをゆっくりと織ってゆく、考える、とはまさにそういうことだろう。もつれかけても必ずほぐれるから、焦ってはいけない、諦めてはいけない、見切ってはいけない、言葉にすると押しつけがましくもなるあれこれが、こう詠まれるとすっと入る。妻昭子を杞陽は〈妻いつもわれに幼し吹雪く夜も〉と詠んでいるというが、記事の筆者は俳人としての昭子を「豊かな感受性と教養と好奇心をもって特殊な環境をいきいきと自立した心で生きた女性」と評して記事を締めくくっている。ほかに〈暖炉より生れしグリム童話かな 〉〈杞陽忌の熱燗なればなみなみと〉(今井肖子)


January 1312012

 父よりも好きな叔父来て落葉焚き

                           芝崎康弘

ヤジがふつうの会社員で、フーテンの寅さんみたいな叔父さんがやって来る。またはその逆で職人のてやんでいオヤジに対して叔父さんはビジネス最前線の商社マンだったりする。まあ、前者の方が通俗性があって落葉焚きにも寅さん叔父の方が似合いそうだが、後者だと子どもの屈折がみえて、ちょっとシリアスな話になりそうな気がする。実際はそんな対照的な兄弟はあまりいなくて職人兄弟とか医者兄弟とかが圧倒的に多いのだ。階級格差の根は深い。落葉焚きは落葉を処理するために焚くというイメージは僕にない。なんとなくぼおっとしたいときに落葉を焚く。春愁や秋思にひってきする精神的な季語だ。もっとも焼芋を目的とする落葉焚きというのもあるかもしれない。『17音の青春II』(2000)所載。(今井 聖)


January 1212012

 灯らぬ家は寒月に浮くそこへ帰る

                           関 悦史

灯や窓明かりがついた家に囲まれて一軒だけが暗い。ずっと一人で住んでいる人には「灯らぬ家」は常態であり、こうまで寂しくは感じないのではないか。待ってくれる家族がいなくなって、よけいに「灯らぬ家」の寂しさが身にこたえるのだろう。深夜になって回りの家の灯りが消えれば冷たい闇に沈んだ家へ寒月の光が射し、浮きあがるように屋根が光る。冷たい月の光がそこに帰る人の孤独を際立たせてゆく。いずれ賑やかに家族の時間も過ぎ去り、誰もが灯らぬ家に帰る寂しさを味わうことになるだろう。帰ったあと、ひとりで過ごす長い夜の時間を思うと掲句の冷たさが胸に刺さって感じられる。『六十億本の回転する曲がつた棒』(2011)所収。(三宅やよい)




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